『「上西竜二 描く展」(華鴒大塚美術館(岡山県・井原市))』関竜司

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 1・写実絵画ブーム
 写実絵画が流行っている。2010年にホキ美術館(千葉市)が開館して以降、写実絵画はにわかに注目を集め、「月刊美術」「別冊太陽」「ARTcollectors'(アートコレクターズ)」など有力な美術誌でたびたび特集が組まれ、現代アートの潮流の一つをなそうとしている。
 2017年10月15日、筆者は写実画家の一人、上西竜二のトークイベントに参加するため華鴒大塚美術館(岡山県・井原市)を訪ねた。
 上西の絵画について述べる前に、写実絵画に対する筆者自身の見方を示しておきたい。写実絵画を評するとき、しばしば口にされるが「写真のように緻密だ」という言葉だ。筆者はこの言葉に違和感を覚える。なぜなら写真は現実をそっくりそのまま写し取っている訳でも、表現している訳でもないからだ。
 ヴァルター・ベンヤミンは『写真小史』の中で、写真の伝える現実とは切り取られ、物質化された現実であり、被写体を切り取り物質化するからこそ写真は、概念や科学的思考と親和性が高く社会に急速に広まったと述べている。言い換えれば写真の示す現実は、シャープに切り取られたデザイン化されたリアルだ。恐らく写実絵画がブームになっている背景には切り取られた現実に対するアンチテーゼ、物質化された現実に対する批判という側面がある。以下、写真とはちがう写実絵画の特徴を二つ指摘したい。
 まず第一に写実絵画のほとんどは、油絵(オイル・ペインティング)で描かれているが、油絵は対象のもつ肌触り、触覚、タッチをうまく伝えられるという特性を持っている。これらの特性は写真が捨象する要素であり、アニメでいえば新海誠、山本二三の原画が表現しようとしている部分でもある。現代の写実絵画は、油絵の特性を生かして写真が苦手としているキメの細かさ、ニュアンスに切り込んでいる。
 上西竜二もトークショーの中で自らがリンゴアレルギーだった話やスズメバチに刺された痛みとクラゲにさされた痛みの違いについて話をしていたが、まさにそれは写実画のもつニュアンスにかかわる話だ。概念化された知識や常識を相対化しようとする視点がそこにはある。
 第二に写実絵画は、写真と違い人の手を介するために、対象がほんの少し理想化される。この「ほんの少し」というところがポイントで、この「ほんの少し」の部分に現代的感性や美意識が反映される。
 劇作家・寺山修司は晩年のインタビューの中で、「政治を通して日常を変革しようと思うと非常に大雑把な形でしかできなくて、隅々の日常までいきわたっていかない。そういう政治では変革しえない領域みたいなことを演劇を通してやっていくということに、非常に面白い可能性がある」と述べている。
 現代の写実絵画も、まさに政治的な変革やパラダイムシフトの届かない日常の隅々や心の機微に光を当て、見つめ直すことを目指している。ある意味、「大きな物語の終焉」(リオタール)の末端に写実絵画は位置しているのだ。
 上西も「芸術には以前あったものを否定し、乗り越えてきた歴史があるが、自分はそういうものにあまり関心がない。むしろ生活や環境に根差した形で対象と向き合い、気づくことが大事なのではないか」と述べていたが、それはまさに日常の隅々の変革、政治で変革しえない領域の開拓に他ならない。
 コンセプチュアルアート、実験芸術、抽象画といった枠組みの変更を要求するアートの届かない領域に入り込む。それが現代の写実絵画の新しさなのだ。

 2・気づくこと・知ること・分かること
 上西もいうように写実絵画と言っても、その目指すところは画家によって全く違う。では上西竜二の絵画の目指すものは何なのだろうか。
 筆者がトークイベントに参加して興味深かったのは、対象と向き合い気づいたり経験したりすることで、上西が物事の「仕組み」を理解しようとしていることだった。例えば上西は機械の仕組みに興味があるといい、ストーブに点火するスイッチやチェーンソー、電子レンジを分解した話をしていた。「モノを作っていると物事の仕組みを知りたくなる」と上西はいう。
 日常生活の中で私たちはモノを見ているようで、実は全く見ていない。私たちは世界の中から自分に必要な部分だけを切り取って理解しているだけだからだ。車を運転しているとき、信号機の色に注目しても信号機そのものには注意を払わないようにだ。「目」で見たものを「手」で描きとる訓練をしていない私たちは、世界を極めて漠然とした形でしか把握していない。
 一方、画家である上西は描くことで、気づき、知り、分かるプロセスを重視する。そうした視点で見直したとき上西の絵画は、非常に理知的な趣きをもっていることに気づく。もしかすると上西の姿勢に最も近いのは、レオナルド・ダ・ヴィンチかもしれない。レオナルドもまた対象を目で見、描きとり、世界を仕組みとして理解しようとした人物だからだ。(さらに言えば上西同様、レオナルドも「機械」に強い関心を持っていた)。二人に共通するのは対象を積極的に描くのではなく、そこからに学ぼうとする知的な謙虚さだ。
 上西は、描くことは日常を生きることに他ならないといい、自分は「単純に極めて強い自然な純粋な気持ち」に従って描いているだけだという。「自分にとって絵を描くことは、日記を書くことだ」という言葉にも心ひかれた。
 上西がこれから何を見つけ、何を見せてくれるのか、目が離せない。

(2017・10・18)

上西竜二ホームページ
 http://www.ibara.ne.jp/~uenishi/index.html
 http://www.ibara.ne.jp/~uenishi/oilpainting.html



関竜司プロフィール


関竜司 参加作品
『しずおかの文化新書9
しずおかSF 異次元への扉
~SF作品に見る魅惑の静岡県~』