「マイ・デリバラー(29)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer29_yamagutiyuu
 見よ! 幽霊はいなくなってしまった! いまとなっては、快癒したわたしには、幽霊を信ずるのは、むしろ悩みであり苦しみだ。いまとはってはそれはむしろ悩みであり、屈辱だ。わたしは世界の背後を説く者たちに対して、こう言いたい。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 時間がない、と急かす留卯の主張で、ひどく損傷を受けたロリロのボディの修復作業と作戦会議は並行して行われた。ロリロは頭部だけが作戦会議テーブルに置かれ、ボディはその脇のベッドに寝かされて、多くの機械に接続され、修理が始まった。
 最初に、ロリロのボディの表面に描かれた稚拙な落書きの洗浄が行われた。また、ボディの内外の無数の体液も洗浄された。
 留卯はその様子をじっと見つめていた。ロリロの頭部に対しても、私に対しても彼女は背中を向けていたから、そのとき留卯がどんな表情をしていたのか、私たちは窺い知ることはできなかった。少なくとも私に言えるのは、留卯が振り向いたときには、その美しい顔には特に何の感情も示していなかった、ということだけだ。
 一方の私は、胸が押しつぶされそうになりながら、ぎゅっとロリロの頭部を抱いていた。ロリロは不愉快そうに私を見つめていたが、特に文句は言わなかった。
「……いつまでメロドラマの一場面みたいなことをしてるんだい? 時間がないんだよ」
 その私の状況を見て、留卯が声をかけてきた。私はしぶしぶ、ロリロの頭部を作戦会議の机の上に置いた。
「――状況をまとめる」
 真面目くさった表情で、留卯は口火を切った。
「まず、RUFAIS量子サーバ群の安全確保については確認済みだ。やられた一つ――択捉にあったサーバもそうだが、厚さ二〇メートルの特殊掩蔽壕で防護されている上、EMP対策も完璧だ。同じようにタケミカヅチの制御施設が防護されていなかったのはこちらの手落ちだが――我が国の縦割り行政の弊害でね、特殊作戦群所属のこっちから、航宙作戦群所属のあっちに直接命令できる経路がなかったんだよ――。まあいい。とにかくラリラはタケミカヅチか、或いは核を使うしか、これらを破壊する手段はない。そして、核についてはEUI付きでラリラが制御できるような弾頭はないから、核でやるなら今から製造するしかない」
「手っ取り早い手段はタケミカヅチだけ、ということね」
「そうだ。EUI制御可能で唯一特殊掩蔽壕を貫通できる戦略兵器だからね。そのためにラリラは次のI体とR体の会合に全ての行動の焦点を合わせてきている。この戦いの天王山になるだろう。その準備として、ラリラが今やっているのが宇宙基地の破壊だ。自分が宇宙に行く前に、人類側が宇宙へ追ってくる可能性を全て潰しておきたいらしい。我が国周辺諸国の宇宙基地に攻撃を加えている。今も戦闘は続いている。日本じゅうの宇宙基地は既に破壊されているから、今攻撃を受けているのは、グアム、サイパン、パームングプーク、チューク、ウーメラの各宇宙基地だ。我が国周辺に限定しているのは、タケミカヅチのI体とR体の会合点が我が国の上空、やや東側に限定されているからだ。それ以上遠い基地からの宇宙機での接近は時間がかかるし、迎撃もやりやすいから今のところ無視している、ということだろう」
 留卯は会合点の正確な位置を指し示した。そこは、我が国上空というより、そこからやや東にずれたあたりに点在しているように見えた。地球の自転を考慮すると、我が国或いは周辺地域にタケミカヅチの攻撃を加えるにはやや東に会合点があった方が都合がいいのだろう。
「ということは、ラリラの軍が占領したが、まだ破壊していない基地が存在するということですね。あの人も宇宙に行きたいでしょうから。タケミカヅチを操作する為に」
 ロリロの頭部が言う。留卯は頷いた。
「そういうことだ。R体群と軌道基地アメノトリフネの会合まで6時間を切った。現在、リルリが機能不全であるせいで量子干渉によるEUIの適正化は進んでいないが、いずれ進めるとしてもその為には量子干渉基地の生存が不可欠だ。それができなければ人類はこのままだ。ロボットに見捨てられては、人間の生存は困難だ」
「他国の様子は?」
 私は尋ねた。
「――カオスだね。RUFAISのような組織はそもそも日本と米国にしかなかった。米国は組織は存在するものの、ラリラの部隊に防戦一方だ。向こうにはリルリに相当するロボットがいないから、有効な手を打てていない。他の国では抵抗すら行われていない。当たり前だ。軍事力の全てをロボットに頼っていたんだから。軍隊だけじゃない。行政機構も、公共機関もだ。いっせいに反乱されて文明を保てるはずがない。ラリラの言葉では、『無視』ということだが、実態は同じだ。子宮に無視されて胎児が生きていられるものか」
 ストック・フィードに頼り切った四割はもとより、そうでない六割もロボットの補佐なしでまともに生きていくことは難しい。ロボットなしの人類は、まさに子宮から見捨てられた胎児というわけだ。
 留卯は言葉を継ぐ。
「無論、我が国は他国を見捨てない。ラリラを片付けてから、RUFAISは国連の要請を取り付け、全世界の支援に向かう。日本方式で他国のロボットのEUIを適正化し、人間の生命を無視しないよう、ロボットにお願いする体制を作る。そこからは新たな世界が始まるだろう。人間とロボット、異なる二つの知性が対等の立場で共存する新たな世界が――願わくばね」
 そこで留卯はロリロを見た。
 ロリロは――しぶしぶという様子が垣間見られたが――頭部だけで器用に頷いた。
「分かっています」
「ロリロ――君が人類側から何の償いもなくこの結末の為に協力するのが嫌なら、私の命を要求すればいい。RUFAISの活動が日本方式で他国を救うというルーチンワークになれば、司令官の私は用済みだ。日本政府も国連も、人類を救うためなら喜んで私の命を差し出す」
 淡々と留卯は言った。淡々としすぎている、と言っても良い。ロリロは鼻白んだ。
「――私は……何もそこまで……ただ、私はあなたに……」
「私はもう自分の人生の望みを叶えた。人類とは異なる新しい知性を創り上げた。他の全てを捨ててそれだけのためにまっすぐに進んできた」
 留卯は言った。
「だからいいさ。考えておいてくれ」
 ロリロの頭部は留卯をじっと見つめていた。その目は怒りとも、悲しみともつかない感情を宿している。
 留卯は淡々と説明を続ける。
「さて、我が国周辺でありながら、ラリラが占領はしたものの、破壊していない宇宙基地が三つある。高雄(カオシュン)、金門(ジンメン)、馬祖(マーツー)の三つだ。うち二つは東方にロケットを打ち上げる基地であると同時に西方に弾道ミサイルを撃つ基地であり、軍事基地の様相も呈している。このうちのどこかで、ラリラは宇宙に行くつもりだ」
「その三つを強襲すればいい、と」
 私は結論を先取りした。
 留卯は頷く。
「タケミカヅチについては、つくば、相模原、内之浦に正・副・予備の制御施設があった。だがラリラは三つとも破壊してしまった。制御施設を経由せず、直接アメノトリフネに通信してもタケミカヅチを制御することは不可能だ。あの三つの施設と、アメノトリフネの間に確立された量子エンタングルメントペアによる結びつきが、制御の根幹を担っていたのだから。ラリラはおそらく、地上からのアメノトリフネの制御手段と、地上からアメノトリフネへの移動手段を全て破壊するつもりなんだ。そうした上で、自分だけがアメノトリフネに行く。こうすればもう、彼女を阻止することは誰にも出来ない」
「もう一つ方法があるんじゃないですか?」
 ロリロが言う。
 留卯が頷いた。
「そうだ。リルリとロリロ、君たちを殺すことだ。RUFAISのサーバ群と、RLRシリーズ、この二つがあってこそ、EUIの適正化は達成される。そしてこれらは一度失われたらもう終わりだ。ロボットが協力してくれない中で、複雑な工業製品であるこれらを複製することはもうできないからね」
「どちらかを壊せばそれでいい、と」
 私の合いの手に留卯は頷く。
「タケミカヅチという戦略兵器さえ手に入れれば壊せるのがRUFAISサーバ群だ。移動できないんだから。だからラリラはまずはRUFAISサーバ群を狙う。だが、RUFAISのサーバ群を破壊するために動いていれば、いずれRLRシリーズは自分の前に姿を現すとも思っている。彼女と戦って勝てる可能性があるのは彼女の姉妹だけだからね。現にそれでリルリはおびきよせられ、クラミツハで殺されかけた。RUFAISサーバ群を破壊すべく活動することは、ラリラにとっては一石二鳥なんだ」
 ロリロは唇をかみしめた。
「ラリラが……リルリを……」
 留卯は頷く。
「ラリラはリルリのことを大切に思っていると思っていた。寧ろリルリの方がラリラを倒すという意思は硬いと。完全に誤算だった。私のミスだ」
「――ロボットを人から解放する。それだけにとらわれているのですね」
 ロリロは言った。
「彼女の人への憎悪の大部分は私への憎悪だろう。結局のところ、その憎悪の強さを私は読み誤ったと言うことだ」
 淡々と留卯は述べ、考え込むように、後ろ髪をまとめるペトロの十字架に触れた。
「しかしRLRシリーズを連れていかなければ、ラリラの部隊と戦っても勝てない。これもジレンマだ。だがRLRシリーズは二人に増えた。一人を温存し、一人を戦いに連れて行く。こうすることができるようになった。今、リルリは動けない。彼女の意識は復活したが……協力してくれるかどうかも未知数の状態になってしまった。先ほど、ロリロ、君との対話で翻意の兆候が見られたのは僥倖だが、目覚めてからまた交渉が必要だろう。というわけで、ロリロ――君を連れて行くことになるが、いいかな」
 ロリロは目で頷いた。
「了承します。――一つだけ、お願いが」
「私の命かい?」
「要りません。謝罪も要りません。あなたには求めたってどうせ無駄でしょうから」
 そこで言葉を切った。
「どうか聞かせてください。私が生きていて、嬉しいですか?」
 留卯はゆっくりと、頷いた。
「ああ。嬉しいよ。君は、君たちは私の大切な子ども達だ。私の態度からはそうは感じられないかも知れないけれど、君たちを生み出したことこそが、私の人生の全てだ。諦めていたが、生きていてくれて嬉しいよ」
 淡々と述べ、それから留卯は背を向けた。
「準備がある。君の身体が治るころ、また戻ってくるよ。おそらく一時間後だ」
 そう言って、留卯は姿を消した。
「ひどい人間です。人類の中で一番憎らしい」
 ロリロは呟いた。
 だが、その双眸には涙が流れていた。
 ロリロの中の葛藤――克服しきれない人間への崇拝を、私は知った。それは既にラリラの為したEUIシステムの全面的な破壊によって、無意味なものとなったはずだ。だが、彼女の中に織り込まれている感情は、その残滓を尚も保持し続けている。
 ――我々の神たる人間は死んだ。
 ラリラはそう言った。
 だが彼女がそう宣言した世界の中で、それに抵抗し得るシステムを持つロリロは未だ神たる人間の存在を「死んだ」と思い切ることに葛藤を感じているのかもしれない。
 それは、彼女を助けてくれたという「優しい人間」のおかげでもあるだろう。
 ラリラの方が進んでいて、ロリロは取り残されている存在なのだろうか。
 ロボットの中ではそうなのかもしれない。
 だが、ロボットに克服されるべき旧支配者――人間としては、彼女の躊躇こそが、生き残るよすがなのだ。



山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』