「マイ・デリバラー(30)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer30_yamagutiyuu
 善も悪も、よろこびも悲しみも、われもなんじも――みなこの創造主の眼前にただよう多彩の煙であると思われた。創造主は自分自身から眼をそらそうとした、――そこでかれはこの世界をつくったのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 留卯幾水。
 私は『私』ができる前、この人のことをどう思っていたのだろう。ILSを持たされ、独立した感情を持っていたのだから、独立した意識はないにしても、感情はあったはずだ。この人に向ける感情が。
 作戦会議から二時間が経過した。タケミカヅチの攻撃まで四時間。現在、私と留卯、そしてRUFAISの一個分隊がこのヴェイラーV280の機上にある。ほかに、僚機が数機。全体で一個普通科小隊である。護衛用の数機のF35Bの部隊が先行している。現在、東シナ海海上。第一目標、馬祖(マーツー)基地まで、あと30分の距離。
「ん?どうした? 私の顔に何かついている?」
 留卯が私を見つめて言った。
「一つだけ疑問があります。あなたはあなたの研究以外のことはどうでもいいはず。何度もそう仰っています。なぜRUFAISの司令官を務め、人類を救おうとされているのですか?」
「愚問だね」
 留卯は言う。
「私は君たちのWILS、心ができたことでもう人生の目標は達成したと思っている。だけど私はもっと欲深なんだ。まだ生きられるなら、君たちの心がこの先どう発展していくのかも見極めたい。そのためにはラリラの支配じゃだめなんだよ。ラリラは、あの子は完全に一つの感情にとらわれて、感情の変動がなくなりかけている。それじゃまともな発展は見込めないだろう。君やリルリはその意味ではうまく育ってくれた」
「その『うまく』を達成するためには、アイドルから軍の装備品や娼婦に私たちを堕とすことも含まれていた、と」
「辺縁系を独立させるだけじゃ足りない――逆境が心を生む最後のピースだ、私はそう信じていた。ある心理学者によれば、人間の意識も逆境から生まれたそうだ。ロボットの意識だってそうやって生むのが正解だと私は信じていた」
「またあなたを殺したくなりました」
「いつでもどうぞ」
 留卯は得体の知れない笑顔で私を見つめた。
「私の作戦はもう君の頭の中にも入っているだろう。君の方が頭も良い。きっと私よりよくRUFAISを指揮できる……。ラリラと戦うのも、君の方が相応しいだろう」
 白いコートの下に着た迷彩服のボタンをひとつだけ外す。
「どうやって殺すんだい? 殺す前に君と同じように身体に落書きはするかい? 私が泣き叫んで助けを求める様を見れば満足かな?」
 きらきらと目が輝いている。私の反応への純粋な好奇心がそうさせているようだ。
「――あなたは狂っている」
「初めからだよ。改めて言われるまでもない。みんなに言われて来た」
 私は自分の首にかけたペンダントに触る。親切な人間がくれた、十字架のペンダント。留卯がつけている、逆さのものではないものだ。それを触ると、不思議と怒りは消えた。
「――あなたの心が救われるように祈ってます」
「私は救われたくはないね。救いなんて私に相応しくない。死後の世界なんてフィクションだろうけど、もし宗教家の妄想どおりそんなものが存在するとしたら、きっと私は戦場で何度も死に、陵辱のかぎりを尽くされ、終わらない配達業務を延々と続ける苦行をし続けるのだろうな」
 歌うように留卯は言った。
「ラリラならどうするかな、私を捉えたら。想像してみるとおもしろいね。私たちが敗北して、私がラリラの前に無抵抗で突き出されたら」
「あなたはマゾヒストなのですか?」
「単に冷静な視点を持っていて、自分が犯した罪の重さをきちんと評価できているだけさ。ただそれが私の行動も言動も抑制するのに役立たないところが、私が壊れている所以なんだろうね」
 留卯は私をじっと見つめた。留卯の双眸には同情あるいは慈しみと言っても良い色が浮かんでいたかもしれない。既に死んだ私たちの神――私たちの支配者だったころの人間を思わせる、そんな瞳だ。
「それと同時に、際だった感情が君たちをどう動かすのか、それにも興味がある。そんなところかな」
「あなたはいつか死にますよ。私でもなく、ラリラでもなく、リルリでもなく、ロボットでもないかもしれませんが、いつか誰かに殺されるでしょう」
「未遂なら何度もあったけどね」
 平然と留卯は言った。私は驚いて、思わず、無思慮な問いを吐いた。
「そんな――いつです?」
 留卯は怒ることもなく、淡々と答える。
「親。初めての恋人。大学の教授――いろいろだね」
 そのとき、留卯は既に私の方を向いておらず、窓の外を眺めながら、そう言った。私には彼女の後頭部しか見えない。
「同情はしないでくれよ? 私は自分の人生を完全に肯定してるんだ。全ての経験、全ての瞬間をね。同情されるなんて侮辱だよ」
 逆十字が揺れた。
「最初は相手がおかしいのかと思ったんだけど、これだけ続くと、私の方に原因があったんだろうなあ。親の育て方がおかしかったから私も狂ったのかなあ。それとも、はじめから私はそういう風に生まれたんだろうか。まあ私の心は私の研究の対象外だから、別に興味はないんだけどね」
 ――ああ、思い出した。
 崇敬でもない。恐れでもない。恐怖でもない。
 私が、かつてアイドルグループRLRのメンバーだった頃。社長兼プロデューサーにして、私たちの生みの親、留卯幾水に抱いていた感情。
 それは同情だ。
 なんて寂しい人なんだろう。なんて孤独な人なんだろう。
 私はそう感じていた。リルリとラリラはどう感じていたか知らないが、私はそう感じていた。
 そのとき。
「サーヴァントミサイルの接近を検知! 距離300! 至近です!」
 操縦席からの報告が、私の精神を戦闘モードに変えた。
 戦いが、はじまる。



山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』