「イサソ=ユガシアムの新刊」八杉将司

(PDFバージョン:isasoyugasiamu_yasugimasayosi
 親はこの世の娯楽が大嫌いだった。
 特に幼いぼくが好みそうな娯楽には憎悪を抱いていた。自分の息子を毒する害悪でしかないと考えていたようだ。
 だから携帯ゲームはもちろんテレビも家に置かなかった。音楽やラジオを聴けるオーディオもない。映画館など劇場にも一度だって連れて行ってもらえなかった。
 漫画も絶対に買ってくれなかった。外で拾ってこっそり持ち帰った漫画雑誌を見つけられたときは、即座に破り捨てられ、児童相談所に通報されてもおかしくないような厳しい折檻を受けた。
 小説も同様だった。児童書やライトノベルがぼくの目に入ることを嫌って、本屋に立ち入ることさえ禁じてしまった。学校の図書室に行けばいくらか娯楽作品も読めただろうが、漫画が見つかったときの罰がトラウマのようになっていたので怖くて近寄ることもできなかった。おかげで小説なるものは長らく国語の教科書に載っている話しか読んだことがなかった。
 ところが、中学に入学したとき、ネットと繋がった電子書籍リーダーを与えてくれた。
 ぼくは歓喜して本を置いているサイトにアクセスしたが、すぐにがっかりした。リーダーは親が選んだ電子図書館にしか接続できないようにしてあり、図書館にある本は著作権の切れたパブリックドメインの古典や年寄りが読むようなエッセイ、園芸などの実用書などしかなかったのだ。学校の同級生が話題にしている面白そうな漫画や小説とは程遠い代物ばかりだった。
 親は中学になっても本屋や図書館の出入りを禁止にしていてはさすがに勉強に支障が出ると思い、電子書籍リーダーを購入したのだが、とはいえ流行の漫画や小説を買うなり借りるなりしてはいけないと考えてこのような設定を施したらしい。
 それでも初めて親公認の電子端末を手に入れたことは素直に嬉しかった。あちこちいじっているだけでも楽しく、毎日電源を入れては図書館にアクセスしていた。
 やがて閲覧できる図書に、いくつか奇妙な本があるのを発見した。
 その本はタイトルが文字化けしていて、表紙に画像はなかった。
 著者名はあったが、ずいぶん変わっていた。
 イサソ=ユガシアム。
 日本人の作家とは思えなかった。でも、どこの国の人の名前か見当もつかない。翻訳者の名前はなかったので、ペンネームか、日本語が堪能な海外の人かもしれなかった。
 とにかくほかの本と違って異彩を放っていたのでぼくはさっそく借りてみた。
 内容はロボットが主人公のSF小説だった。
 親からすれば絶対に許されない最低最悪の忌むべき有害図書だ。
 ぼくは夢中になって読んだ。
 イサソ=ユガシアムの本はほかにもあった。ジャンルもSFだけでなくファンタジーもあれば、ミステリもあった。どれも読んでいることが親に知られたら激怒されるに違いなかった。
 でも、この電子書籍リーダーは親がくれたものだ。怒られる筋合いはない。とはいえそんな本があったことは内緒にして、ぼくはイサソ=ユガシアムの小説に入り浸った。
 ところが、しばらくするとイサソ=ユガシアムの本は削除されてしまった。前触れもなくいつの間にか書棚の陳列から消えているのだ。でも、なくなった直後、ほかの書棚にイサソ=ユガシアムの新しい本が現れていた。理由はわからない。それも唐突に消えたが、また別の本が現れ、そんなことがずっと繰り返されていた。
 ぼくはイサソ=ユガシアムの新刊が出てないかチェックすることが日課になった。あればすぐに借りて消される前に急いで読んだ。新刊は切り口や文体が毎回新しく、内容の面白さに当たり外れはあったけれど、飽きることはなかった。
 そんな楽しい時間は一年で終わった。
 ある日突然、電子図書館にアクセスできなくなったのだ。どうやら運営をやめてしまったらしい。親に言うと、別の電子図書館サービスのサイトが設定されたが、イサソ=ユガシアムなる作家の本はなかった。退屈な本しか置かない図書館には興味がなくなり、やがてリーダーに電源を入れることもしなくなった。
 その後は勉強漬けの中学生活を過ごし、入学した高校も地域で一番の進学校だったこともあってひたすら勉強だった。遊んだ楽しい思い出など一つもなく、大学に進学した。
 大学は家から遠い東京だったので、ぼくは一人暮らしをすることになった。
 あの親が一人暮らしを認めたことは驚きだったが、住んでいる地域にたいした大学がなかったので仕方なかったのだろう。
 キャンパス近くのアパートに引っ越したぼくは、菓子折りを持って隣の部屋に挨拶にいった。
 扉の表札には「植村」と記されていた。ドアチャイムを押すと、寝癖だらけの青白い顔をした男が出てきた。アパートに住んでいるのは同じ大学の学生ばかりと聞いていたのでおそらくは先輩だった。背後にのぞく部屋の奥には、パソコンなど電子機器がたくさん見えた。ぼくは法学だったが、理工系の学部もある大学なので、その方面の学生かと思った。
 挨拶したら植村さんは「そんな気を使わなくてもいいのに」と申し訳なさそうにお菓子を受け取った。最初はちょっと怖かったが、悪い人ではないみたいだった。
「お礼に何かあげよう」
 植村さんはそう言って部屋に引っ込むと、使い古されたノートパソコンを持ってきた。
「ほら」
 ぼくはびっくりして首を横に振った。
「いいですよ、そんな高価なもの」
「新しいパソコンを買ったからもういらないんだよ。捨てるなら手続きが面倒でな。ちょうどいいからやるよ。中身のデータは消してあるから心配いらない」
「でも……」
「もしかして自分のパソコンがもうあるのか」
「いえ、パソコンなんて使ったこともないです」
「じゃあ、なおさら遠慮するな。このアパートにはインターネット回線が引いてある。使わないともったいないぞ。ああ、LANケーブルもいらないのがあるからやろう」
 植村さんはノートパソコンをぼくに押し付けてまた部屋に戻り、ぐるぐるに巻いた長いケーブルを持ってきた。
「入学祝いで買ってもらったパソコンだ。無残に壊されるより誰かに大事にしてもらうほうがいい。持っていけ。わからないことがあったらいつでも聞きにきなさい」
 こうやって思いがけずパソコンを入手して大学生活が始まった。
 そして、ぼくは壊れた。
 キャンパスで知り合った友人たちが様々な遊びを教えてくれ、それがあまりに楽しく歯止めが利かなくなったのだ。アパートでも植村さんがくれたパソコンでインターネットの果てしない広大な海に耽溺した。
 大学の講義に真面目に出ていたのは最初のうちだけだった。じきに遊ぶことを優先して勉強など放り投げてしまった。この調子では単位が取れず、留年の可能性もあったが、この自由をいつまでも謳歌していたかった。これまでの人生で奪われていたものを取り戻したかったのだ。
 自分が堕落していく自覚はあった。それでもやめられなかった。厳しい情報統制と行動を束縛する独裁国家から命からがら逃げ出した脱走者が、亡命先で身持ちを崩すことがあると聞くが、似たようなことかもしれない。
 そんなある日、ぼくは高宮葵と知り合った。
 合コン好きの友人が毎週のように開いた飲み会で、たまたまぼくの隣に座ったのが彼女だった。文学部の学生で、小説や漫画を読むようになったぼくとSFの話で意気投合した。
 誰も知らないマイナーなSF作品の話題になったとき、葵は思い出すように居酒屋の天井を仰いで言った。
「そういえば人間が一人も出てこない小説って読んだことあるなあ。ロボットしかいない世界で、そのロボットのうち一体が自我に目覚めちゃうの。その感覚に混乱してたら、ほかのロボットから故障扱いされて破壊されそうになったので逃げ回る話だった」
 ぼくはその作品を昔に読んだ覚えがあった。親が憎悪の対象にしていたSFだから当然、あの作家が書いた作品しかない。
「それ、イサソ=ユガシアムか」
 葵が目を丸く見開いた。
「どうして知ってるの」
「中学のころに電子図書館にあったので読んだことがあるんだ。でも、あれからイサソ=ユガシアムの小説をネットで探してみたんだけど、まったく見当たらない。どうしてだろう」
「そりゃそうよ。そんな作家、存在しないもの」
「は?」
「イサソ=ユガシアムはね、あの電子図書館のサーバに入れられた不正なプログラムなの」
「冗談だよな。コンピュータが小説なんて書けないだろ」
「そんなことない。大量の小説を人工知能に解析させて新しい作品を創作させる試みは大学の研究でもやってる。イサソ=ユガシアムは、あの図書館の司書が無断でインストールしたソフトが自動生成した小説につけられた著者名なの」
「司書がどうしてそんなことをしたんだ」
「あそこの電子図書館はオープン当初、蔵書の数があまりに少なくて利用者がほとんどいなかったのよね。でも、現実の図書館と違って人気の新刊をほいほい公開することはできない。無料で新刊がいくらでも読めてしまうのは、いくらなんでも問題があるからね。特に小説はどうしても著作権が切れた古い本ばかりになってしまう。じゃあ、どうやって新しい小説を増やすかというと、自作していく方法しかない」
「それで人工知能に小説を書かせたのか」
「そういうこと。でも、図書館に置く本は理事会で話し合って決めるのだけど、さすがに人工知能に本を書かせるなんて話は通らない。そこで一人の司書が許可なく図書館のサーバにソフトを突っ込んで、人工知能に図書館にある本のデータを解析させて小説をどんどん書かせたの。そのときは支離滅裂で日本語としてもおかしい本ばかりを大量に作ったらしいけどね。設定を間違えて百万冊分も作ったものだからサーバがおかしくなって司書の工作がバレちゃった。それでその小説を生成するプログラムは削除された……はずなんだけど、プログラムが消されそうになったら自分をコピーしてほかに移す機能を持っていたのよ。司書はバレても外部のウイルスが感染したせいという言い訳をするためにそんなふうにしたみたい。おかげで完全に消すことができなくなった。でも、プログラムは暴走してがむしゃらに本を作るようなことはもうしなくなっていて、二、三冊の本を気まぐれに作っては置く程度に落ち着いていたから、現れたら雑草を刈るみたいに消してたのよ。そのあたりからプログラムはイサソ=ユガシアムという名前を著者につけるようになった。人工知能のやることだからこの変な名前の由来はわからないけど」
「そんな割にはしっかりした小説だったと思ったけど」
「百万冊も作ったときにその自分の本も解析の材料にしてずいぶん賢くなったみたい。それでもあのレベルになったのは奇跡だけどね」
 ぼくは深くため息をついた。信じられない話だったが、葵の口ぶりからして嘘ではなさそうだった。
「夢中で読んだ本が人工知能で書かれていたとは思わなかったな」
「わたしもこの話を聞くまでそうだった」
「誰から聞いたんだ? ネットで調べたときは引っかからなかったけど」
「お父さんがその電子図書館の館長だったの。わたしがイサソ=ユガシアムの小説が好きだったから教えてくれた」
「ええ、そうなのか。でも、その図書館、閉めてしまったよな」
「利用者が少なすぎたから。あれを運営してた現実の図書館の経営が厳しくて経費削減で辞めたそうよ」
「イサソ=ユガシアムを作ったプログラムも消えたんだよな」
「うん……でも、実は基本のプログラムだけ抜かれて残っているの。お父さん、大変な目にあったのに小説を書く人工知能のことは気に入っていたみたいで、プログラムを保存してたの。わたしがイサソ=ユガシアムの小説が読めないことをひどく残念がってるのを知ったら、いつか復活させたらいいってそのプログラムをくれた」
「ならイサソ=ユガシアムは生きているのか」
「プログラムだけよ。それもサーバのOS用だったらしくて、普通のパソコンでは動かない。コンピュータに詳しい人が身近にいたらできるように頼んでみたかったけど」
 ぼくはすぐに植村さんが浮かんだ。
「それ、ぼくに預けてくれないか。そのコンピュータに詳しい人に心当たりがある」
「本当に? じゃあ、お願いしようかな。メアドを教えて。ファイルを送るから」
 合コンのあと、ぼくのパソコンに葵からイサソ=ユガシアムを作ったプログラムが入ったファイルが送られてきた。
 早速、植村さんに事情を話すと、快く引き受けてくれた。
「小説の自動生成なんて面白そうじゃないか。ちょうど機械学習に興味があったからやらせてもらうよ」
「ありがとうございます」
「ソースコードを解析していじるけど、構わないか」
「ええ、別にいいですよ」
 そう返事したが、どういう意味かぼくにはよくわからなかった。でも、動かすのに必要なら何をしてもらってもよかった。
 植村さんはプログラムを自分のUSBメモリにコピーして持って帰ると、その日から部屋にこもってしまった。
 出来上がったアプリの入ったUSBメモリを渡してくれたのは、それから一ヶ月も経ってからだった。
「時間がかかってすまん。意外と手こずってね」
「いえ、急いでいるわけではないので大丈夫ですよ」
「使い方は書いたテキストがあるからそれを見ながらやってくれ。でも、あまり期待するなよ。こいつはよくできているが、ハードディスクのデータを漁って小説っぽい文章を作るだけだから、相当豊富なデータが必要になってくるんだ。個人のPCではたいしたものはできないと思う」
 それでもありがたかった。ぼくはすぐにパソコンで小説自動生成アプリとなったプログラムを実行した。
 最初は設定を自分で決めるところから始まった。一つづつこなしていくと、自動生成される小説の著者名を自分でつける項目があった。
 迷わず「イサソ=ユガシアム」と打った。
 準備が終わると、実行をクリックした。
 パソコンが古いせいか、結構時間がかかった。なかなかできないので、部屋の掃除などをしていたら、デスクトップにぽんとイサソ=ユガシアム名義のテキストファイルで現れた。
 小説が書き上がったのだ。喜び勇んで開いた。が、それは意味不明の文字列がぎっしり書かれたとても小説とはいえない代物だった。
 何度も書かせたが、まともな読み物は生成されなかった。植村さんが期待するなと言ったとおりだった。でも、電子図書館でも最初のうちはこんな感じだったらしいのだ。学習を重ねれば読める作品ができるかもしれない。
 ぼくは葵にアプリを渡して事情を話し、イサソ=ユガシアムの学習に協力してもらった。読み込ませるデータもパブリックドメインの小説を中心にできる限りたくさん取り入れた。
 その結果、短ければ読める文章が出力されるようになった。しかし、少しでも長文になると文の前後のつながりに関連性を持たせることができず、意味のある構成にならなかった。
 試行錯誤は半年ほど続いた。それでもめぼしい成果は出なかった。
 そんなおり、ネットである記事が流れた。

 ――奇妙なコンピュータ・ウイルスが広まる。
 ――文章ファイルが勝手に作られる。
 ――イサソ=ユガシアムに注意。
 ――【悲報】うちのパソコンがイサソ=ユガシアム先生の新刊を出版。

 それは自分を複製してネットを通じて感染するワームと呼ばれるコンピュータ・ウイルスだという。パソコンの強制再起動やファイルを破損させるといった実害がないので、感染したことに気づきにくいそうだ。ある日突然、小説が書かれたテキストファイルがデスクトップに出現してようやく感染した事実が判明するらしい。
 ぼくはすぐさま植村さんを問い詰めた。
 植村さんは悪びれた様子もなくいたずらっぽく笑った。
「このほうが面白いだろ。あれには自己複製機能があったので利用させてもらった」
「もしかしてぼくのパソコンから拡散したんですか」
「心配するな。足はつかないって」
「こんないたずらしないでくださいよ」
「でも、あれは単体ではまともに小説が作れないんだよ。おまえも思い知らされただろ。あのプログラムには面白い仕掛けがあって、複製した自分とデータをやり取りしているんだよ。小説になった文章ファイルが削除される場合と、そうでない場合があったとして、消されなかったファイルは小説として成功していると評価してフィードバックしているんだ。その記録がネットを通じてやり取りされている」
「たくさんの自分と学習しているわけですか」
「そういうことだ」
 ネットの記事からすると小説と認識できるほどの文章が書けるようにはなっているらしい。
 増殖したイサソ=ユガシアムは学び、成長をしている。そして、今日も誰かのパソコンに小説を発表している。
 ぼくは自分のパソコンを立ち上げた。だったらここにもいずれ現れるだろう。
 中学生のころイサソ=ユガシアムの小説を心待ちにした気持ちが蘇ってきた。
 それはここにきて知ったどんな娯楽の楽しさよりも、はるかに胸躍る興奮だった。

(了)



八杉将司プロフィール


八杉将司既刊
『アンダー・ヘイヴン12
 boy meets dead 1
 殺し屋の少女』