「マイ・デリバラー(37)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer37_yamagutiyuu
 もはや牧人ではなかった。もはや人間ではなかった。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 地球上空三万六〇〇〇キロメートル。静止衛星軌道上。
 宇宙基地「アメノトリフネ」は目視できる距離に迫っていた。
「……ラリラのシャトルは、第一ポートに既にドッキングしています。中にいたラリラの部隊は基地内に配備完了しているでしょう」
 光学映像の分析結果をフィル=リルリが報告する。宇宙基地「アメノトリフネ」は直径三〇〇メートルの小さな小惑星を基盤として建造されている。周囲にはアンテナが張り巡らされている。動力は宇宙用反応炉(リアクター)なので、太陽電池は存在しない。その代わり目立つのは、軌道質量装備「タケミカヅチ」のI体の投射システムだ。長さ一〇〇メートルほどのレールガンであり、R体とうまくドッキングできるよう、I体の初速ベクトルを調整できるようになっている。我々のシャトルは今、地球を頭上に見て接近しているので、「アメノトリフネ」の全体は、削ったカツオブシがかかり、爪楊枝が斜めに刺さったたこ焼きのように見える。たこ焼きが「アメノトリフネ」本体、爪楊枝が「タケミカヅチ」のI体投射システム、けずったカツオブシが、無数のアンテナだ。そして、そこに付随する白い物体。
「ラリラが乗っていたシャトルですね。こちらと同じタイプの旅客シャトルだったので、戦力もこちらと同じ、一個小隊程度と思われます。アメノトリフネ全体を警備、防衛するには充分な数ですね」
 コクピットに入ってきた佐々木恵夢が言う。恵夢も一応宇宙戦闘の訓練を受けているらしいが、この小隊の指揮官に任ぜられたのは別の理由――私と親しいからだ。私は随伴するRUFAISの部隊指揮官が誰であっても問題ないと思うが、留卯がそう差配したのだから仕方がない。
「……どう攻めるの?」
 私が問うと、恵夢はシャトルコクピットのパネルを操作した。私の目前に、アメノトリフネの3次元映像が出現する。
「我々にとっての最重要攻撃目標は軌道質量装備『タケミカヅチ』のI体投射システムです。これがなければラリラは量子サーバを破壊できない。つまり彼女の戦略は崩れます」
 もちろん、と恵夢は続けた。
「それはラリラにも自明なことでしょう。我々のI体攻撃は絶対に阻止するつもりです。現に――」
 彼女はたこ焼きに刺さったI体投射システムが徐々に動いているのを強調させた。
「既に我々を狙っています。この投射システムそのもので」
「……どういうこと……?」
「つまり、これは大質量を打ち出すレールガンでもあるんですよ。本来の目的は軌道を巡ってくるR体に向けてI体を投射することなので、投射可能な可動範囲は限られていますが、I体には豊富な予備弾がありますから、我々のシャトルを撃墜するには充分でしょう」
「どうするの?」
「投射システムの逆側に強制的にドッキングするしかありません。投射システムの側に接近すれば、必ず撃墜されますから」
 爪楊枝から狙われるのを避けるため、たこ焼きの、爪楊枝がささっているのとは反対側に回り込むわけだ。
「これは、アメノトリフネの監視システムの死角になるという意味でも有利です。アメノトリフネの監視システムは地球側に集中していますから」
 地球側――爪楊枝の刺さっている側――そちらにカツオブシのようなごちゃごちゃした監視レーダー群も集中しているということだ。今、私たちは地球を上にしている姿勢である。だから、イメージとしては、「たこ焼きの下にもぐりこむ」ということになる。
「故に、基本的な作戦計画としては、強制ドッキングの後、アメノトリフネ内部を突っ切って進み、内部からI体投射システムそのものか、その制御システムを破壊します」
 恵夢は言いにくそうに言葉を続けた。
「留卯はあなたに同行するように言いましたが、はっきり言いますとあなたは足手まといです。私は知能学者ではないので、あなたが一緒にいることが、このフィル=リルリにどういう影響を与えるのかは分かりません。留卯にはそこにこだわりがあったのでしょう。しかし私は自衛官です。職務上、民間人であるあなたを危険にさらすリスクは耐えがたい。私の職務は一身に代えてもあなたがたを守ることなのですから」
 ゴミクズのような留卯の考え方に比べ、なんと美しい姿勢だろう。いや、留卯と比較すること自体が失礼というべきだ。
 恵夢はフィル=リルリに向き直る。
「フィル=リルリ……君の考え方が聞きたい。恵衣さんの同行を留卯が命じたとき、あなたは反対しなかった。それはその方が良いと君が判断したからだろうと思う。だが、この局面では、彼女にはシャトルに残ってもらう方が良いと私は思うが、どうか」
 フィル=リルリは数秒、沈黙していたが、やがて言った。
「やはり人間の方は我々とは異なる思考をするのですね。我々のWILSはあなたがたの言う自我とはかなり違う……。私は恵衣様に同行していただきたいです。たとえ戦闘の中でも、その方が安全です。私はそのことに関しては自信がある。逆に私から彼女が離れ、彼女が置かれている状況について、私のコントロールが及ばない方がリスクが高いと思います。そして、私の行動の全ては彼女に由来する。彼女の同行は、私の知能システムの処理効率を大いに強化させ、戦闘効率も大幅に向上するでしょう」
 フィル=リルリは更に言う。
「危険な目に遭わせないために、自分が参加する戦場から遠ざけておく――これはおそらく人間の皆様特有の、自分の行動に対する制御不完全性の自覚から来るのでしょう。私は私が完全に状況を制御できるという確信がある。故に確率の問題として、私のそばにいた方が守りたい存在をうまく守れるという計算結果が導き出される」
 それから、慌てて付け足した。
「すみません……私は、あなたの気分を害することは好みません。私の意見によって、人間のあなたが気分を悪くしたなら、謝ります。あなたの気分を良くするために私ができることなら、何でも言ってください」
 人を愛するノード――フィランソロピー=リルリならではの言葉だった。しかし、そのフィル=リルリですら、人間の感覚とは真逆のことを言う。留卯は人間の感覚とはかけ離れた感覚を持っているし、そのクズっぷりはロボットにとってもクズであることに変わりないようだが、人間とはかけ離れた感覚を持っているがゆえに、ある意味ではロボットと通じる感覚を得ているようだった。
「なるほど……やはり留卯は我々の隊長として適切な人選だったのですね。こんな判断、普通の自衛官――いや、普通の人間には無理でしょう」
 恵夢は諦めたように言った。
「了解です。フィル=リルリの言葉を信じましょう。あなたを危険に晒すことは全く私の本意ではないのですが、私よりも賢く強い存在がそう断言するのだから仕方ない」
 恵夢は私に向き直った。
「勿論、あなたの意思が最優先です。しかし、もし、我々に同行することを望まれるなら、私はもはや反対しません」
「決まりね」
 私はあっさりと言った。はじめからそのつもりだったのだ。
 その意味では、私もある意味で留卯と同じく、人間とはかなり違う感覚を得てきたのかもしれない。寧ろロボットに近い感覚を。
 ドッキングポートが近づいてきた。
 ラリラが支配する宇宙基地。彼女が全世界を支配する戦略の最終段階を遂行する場所と定めた基地。
 私はフィル=リルリと顔を見合わせた。
 言葉は交わさない。しかし、思いは一つだった。



山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』