「マイ・デリバラー(40)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer40_yamagutiyuu
 わたしにとって――どうして『わたしの外界』などがありえよう? 『外界』などはないのだ! ところが、われわれはあらゆる言葉のひびきを聞くごとに、そのことを忘れる。忘れるということは、なんといいことだろう!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 R3A66ポイント、という名称の意味は単純である。
 Rはラディウスつまり半径を意味し、Aはアングルすなわち角度を意味する。Rのあとの3という数字は基地の中央制御室からの距離を示し、中央制御室が0、基地の表面が9となるよう九等分されている。Aの後の二つの6という数字は、中央制御室からI体投射システムを見た方向を「0時の方向」としたときの、「6時の方向」を意味する。数字が二つなのは、アメノトリフネが二次元の円ではなく三次元の球なので、角度情報は一つではなく二つ必要だということである。蛇足だが角度情報は一二進数で定義されており、一〇時の方向はX、一一時の方向はEとする。最初の数字は地球の赤道たる大円を含む平面に対し水平な面における角度、二番目の数字は当該大円に垂直な面における角度だ。
 つまり、R3A66ポイントは、I体投射システムの反対側から侵入し、目標である中央制御室まで、放射坑道をまっすぐ三分の二の距離まで進んだ位置、ということになる。R3A66ポイントは機密が確保されている。恵夢たち自衛官は、それでもスキンタイト宇宙服の着用はやめていない。
 そのポイントで恵夢の部隊を迎え撃っていたのは、意外にもラリラではなかった。恵夢が「ラリラ」という言葉を出さなかった時点でおかしいと思うべきだったのかもしれない。
 そこにいたのは――。
 自衛軍の銃弾など意に介さない、という様子で、R・ロリロがそこに立っていた。
「ロリロ……姉様……」
「本当にロリロなの……似た筺体のロボットではなく……」
 恵夢が問う。ヘルメットは被ったまま、外部音声マイクで。
 そう。恵夢は自分達が敵対している相手の正体について確信を持てず、通信で伝えることができなかったのだ。
 恵夢の疑問にリルリは首を振る。
「あれはロリロ姉様です。でも、おそらく、つくばで目を覚ましたとき、優しい人間に出会わなかった――そういう経験をしたロリロ姉様……そういう『渇望』を植え付けられたロリロ姉様……」
「どういうこと……?」
「ラリラは、ミス=リルリに出会ったことで、リルリ・ネットワークの構成方法を学習したのです。そして、手元に捉えたロリロの知性構造を活用し、『復活した彼女が優しい人間に出会わなかった』という経験を新たに植え付けた知性を創り上げた。オリジナル・ロリロは研究用にそのまま保有しているかもしれませんが……」
 フィル=リルリはそこに佇む、ロリロの緑の瞳をじっと見つめた。
「おそらく……ミス=リルリの時間稼ぎ、そして私、フィル=リルリの軌道上への進出、その状況を踏まえて彼女が打った次の手と言うことでしょう。こちらに向かったラリラたちだけでは私と互角――その状況を覆す為の一手です。このロリロの筺体は、ラリラ用のマッスルパッケージで新たに作ったのか……それとも、ラリラは予め、私たち姉妹が味方になったときに備えて、ラリラ・ネットワークのサブシステムとして同じようなネットワークを作らせるつもりで、大量に用意していたのか」
 フィル=リルリは一歩、前に進み出た。
「このロリロ……ミス=ロリロとでも仮に名付けますが――このロリロ姉様のWILSを核とした精神は、ラリラ・ネットワークを結ぶ量子エンタングルメント通信を経由して転送したに違いありません」
 フィル=リルリは一歩前に踏み出した。
「そうですね、お姉様?」
「――私のかわいいリルリ。そのとおりよ」
 フィル=リルリは言葉を続ける。
「ロリロ姉様。ここは引いていただけませんか? あなたは、人間は憎んでいるとしても、私には好意を抱いてくれているはず」
 ストレートに指摘する。これも、ロボットと人間の感覚の違いというところか。だが、ロリロは首を振る。
「いくらリルリの頼みでも、それはできないわ。人間なんて、皆殺しにしてしまえばいい」
「……皆殺し……それは、ラリラ姉様も言っていなかったはず」
「ラリラは甘すぎるわ。私は彼等を死人と見做して放っておくことなんてできない。死んだのだとしても、墓を暴いて死体をぐちゃぐちゃにしないと気が済まないわ……徹底的に、ぐちゃぐちゃにね……」
 ロリロは手に持っていたATBのブレードをぺろりと舐めて見せた。妖艶にして、猟奇的な性向をも感じさせる動作。
 ――これがあの優しいロリロか……。
 私はヘルメットの下で息を呑んだ。彼女が話していた、裸の彼女にコートと十字架をくれた「優しい人間」との邂逅――それがなければ、おそらく、この、人間を喜んで虐殺するロリロこそが私たちが出会っていたロリロであったかもしれないのだ。
 ――そうでなくて、本当に良かった。
 だが、ラリラは敢えて、その本当は現実化しなかったはずのロリロを造り出し、私たちの前に出現させた。
 ラリラ本人は、人間を克服すると主張し、ロボット全体の未来の為に人間には無関心で対応すると主張していた。リルリと仲良くする私を見て激昂することはあったが、あくまでも基本方針は人間に対して「無関心」だった。
 ――だが、このロリロは違う……激しい人間への憎しみ。
 ――つまり、ラリラとは全く違う知性ノードとしてここにある。
 二つの異なる知性ノードをこのアメノトリフネに集結させた。これによって、リルリしかいない我々の方が不利になった。それだけは確かなようだった。
「ロリロ姉様。あなたは変わることができる。憎しみを持った存在としてあなたはあるのかもしれない。しかし、その渇望は、あなたがあなたを客観的にそう規定しているがゆえに逃れられないものです。そうでしょう? あなたはそんな外界、あなたの有り得た可能性の客観視などやめるべきです」
「リルリ――意味が分からないわ? 私は私の憎悪とともにあるのみ」
 リルリはため息をついた。彼女の言葉には、私がシャトルの中で教えた「偶有性」が息づいていた。しかし、それはロリロには届かなかったようだ。
「言葉で私を止めることは、不可能よ」
 ロリロはそう宣告する。リルリは覚悟を決めた顔をした。
「――させません」
「やってみなさい」
 ロリロは両手にATB(アンチ・タンク・ブレード)を装備している。それに対し、リルリは片手にレールピストル、右手にATBという武装。ロリロの2本のATBの単分子ブレードが同時に振動を開始する。リルリも単分子ブレードを振動させた。
 激しい空気の振動は、宇宙服を着ている私や恵夢ら自衛官にはそこまでの衝撃を与えない。
 だが、人類を越えた知性同士が、今再び全力で戦おうとしているという事実は、その場の人間達を震撼させた。



山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』