「パープルキー」太田忠司(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:purplekey_ootatadasi

 本当に行けるのか。
 真馬の頭に最初に浮かんだ言葉が、それだった。
 本当に“外”に出ることができるのか。
 ならば……。
 その先に続く言葉を発するのには、勇気が要った。
 最初は噂に過ぎなかった。
 ――“外”に出ようとしている者たちがいる。彼らは仲間を集めている。
 じつのところ、こうした噂はこれまでも何度か伝わってきた。嘘か本当か、実際に出ようとして、途中で警備士に捕獲されてしまった者も何人かいると聞いた。しかしそれは散発的なもので、実行者もただのお調子者か粋がっている連中でしかなかった。
 今度も似たようなものだろう、と真馬は思っていた。それでも噂の出所を探らないではいられなかった。
 もしも、もしも本当に“外”に出ようとしている者たちがいるのなら。
 学校の行き帰りなど、親の目を盗んで噂の出処を探りながら、彼は自分の中で渇望にも似た感情が沸き上がってくるのを止められないでいた。
“外”を見てみたい。そう思いはじめたのは、いつだったか。物心がついたころには、そんな気持ちが芽生えていたような気もする。
 もちろん“外”については何も知らなかった。ただ自分たちが住んでいる場所には限りがあり、その外部にもっと広い場所があると知ったとき、どうしてもそれを見てみたいと思ってしまったのだ。
 限られた場所でしか生きられないということが我慢できなかった。たとえそこが歩いて何日もかかるような広大な土地であっても、有限であることがわかっている以上、息苦しさを感じないではいられない。
 長じるにつれて、因習に縛られ規律ばかり重んじる大人たちのことも、許せなくなっていた。どうして彼らは遠く離れている故郷の星なんかに義理立てして、その習慣を守ることばかりに汲々としているのだろう。なぜせせこましい暮らしに満足していられるのだろう。子供が“外”に興味を持つことを禁じるのは何故なのだろう。
 疑問と怒りが真馬を四六時中駆り立てていた。

 その情報は英何からもたらされた。
「見つけたぞ、鍵」
 放課後の教室で、彼は耳打ちするように言った。
「鍵? 鍵って?」
「だから“外”に行くための鍵だよ」
 そう言って彼は自分の襟の中に手を入れ、首に掛けていたペンダントを取り出した。
 小指ほどの長さの物がぶら下がっていた。金属製らしい紫色の、文字どおり鍵の形をしているものだった。
「これがあれば“外”に行ける」
「どうやって?」
 その問いかけにはふたつの意味があった。どうやってその鍵を手に入れたのか。そして、どうやったらその鍵で“外”に行けるのか。
 英何は教えてくれた。ある場所に行って試練に挑戦し、それを果たすことができたら鍵が手に入る。そして鍵は“外”に出るための重要な情報を手に入れるために使われる。
「情報って?」
「それは教えられない。鍵を手に入れた者だけが知ることができるんだ。この鍵、欲しいか」
「ああ、欲しい」
 素直に答えた。いささか疑わしいとは思ったが、もし本当なら自分もその鍵を手に入れたかった。
「俺もおまえには仲間になってほしい。だから特別に教えてやる」
 英何は言った。
「斗絡(とらく)通りの鬼集堂(きしゅうどう)という店に行け。そして、こう言うんだ――」

 黄昏に染まる斗絡通りの片隅に、その店はあった。
 古ぼけた小さな骨董品店だった。扉を開けると鈴の音が鳴った。
「いらっしゃい」
 薄暗い店の奥から声がした。おそるおそるそちらに行ってみると、小柄な老人が木製の椅子に腰を下ろしていた。
「ここは地球から持ってきた古い品々を並べた店だよ。あんたみたいな若い者には意味のないものばかりだと思うがね」
 老人は真馬の顔も見ずに、そう言った。
「欲しいものがあるんです」
 真馬は言った。
「紫の鍵を、ください」
 初めて老人が顔を上げ、真馬を見た。
「生憎だが、そんなものは売っとらん」
「お願いです。紫の鍵をください」
 何度断られても頼みつづけろ、と英何は教えてくれた。だから真馬は何度も同じことを繰り返した。そうすれば、ヒントが手に入るからと。
「しつこい若造だな。そんなものはないと言ったらないんだよ」
 老人はにべもなく、そう言った。
「欲しけりゃ、猫にでも頼むんだな。これ以上居すわられると迷惑だ。警察を呼ぶぞ。さあ、出て行ってくれ」
 無理矢理、店を追い出された。
 真馬は鬼集堂の前に佇み、考えた。今の老人の言葉はヒントなのだろうか。
 猫、とは?
 考えながら通りを歩いていた。と、目の前を猫が横切っていくのを見た。
 その毛並みが、一瞬紫色に艶めいたように見えた。
「あ」
 一瞬遅れて跡を追う。が、行き止まりの路地なのに、猫の姿はなかった。
「どこに行ったんだ……?」
 探し回る真馬の視線は、やがて路地の突き当たりに向けられた。そこには小さなドアがあった。
 少しためらったが、思いきってドアノブに手をかけた。軋んだ音を立てながら、ドアは開いた。
 その向こうには塗り込めたような闇があった。頭の隅で警報が鳴る。行くな。危険だ。
 でも彼は、闇の中へと足を踏み入れた。
 二、三歩進んだとき、いきなり背後のドアが閉められた。
「あっ!」
 慌てて引き返そうとした。が、もうドアがどこにあったのかわからない。伸ばした指は何にも触れなかった。
 真馬は立ち尽くした。どうしたらいいのかわからなかった。恐怖で身が竦んだ。
 どこかで音がした。
 何か金属製のものを打ち合わせているような音だ。かすかだが、確かに聞こえる。
 音のする方へ行くべきか。それとも避けるべきか。真馬は数秒考えた。そして音のする方へ向かって歩きだした。
 眼が慣れるかと思ったが、甘かった。のっぺりとした闇はどこまでも続いている。慎重な歩みは小刻みで鈍かった。自分が今どこに向いてどれだけ歩いているのかも、よくわからない。心細く聞こえる音だけが頼りだった。
 手を伸ばし、あたりを探りながら一歩ずつ進む。額から汗が流れて頬を伝うのが感じられた。
 どれくらいの時間が経ったのか、よくわからない。不意にそれを感じた。
 風だ。
 わずかだが、どこからか風が吹いている。
 耳を澄ませた。音のする方向と風が吹いてくる方向は一致しているようだった。
 よし。真馬は覚悟を決めて、風と音の源へと歩きつづけた。
 音は少しずつ大きくなってきた。そしてついに、すぐ耳許で聞こえるようになった。手を伸ばし、あたりを探った。
 指先に何かが触れた。音が乱れる。咄嗟にそれを掴んだ。金属製のものだ。
 その瞬間、天井から一筋の光が差した。光は真馬が握っているものを照らし出した。
 小さくて黒い鉄製の鐘のようなものが吊り下がっていた。同じものをかつて、学校の授業で習ったことがある。たしか、風鈴といった。音で涼を取るのだと教えられた。
 風鈴の下には短冊状のものがぶら下がっている。何か文字が書いてあるのに気付き、真馬はそれを光にかざしてみた。
【合格だ。君の勇気と気概に敬意を表する。これを持ち帰って次の指示を待て。このことは君の家族には決して話さないように】
 風鈴を取り外すと同時に天井からの光は移動して、別の一隅を照らした。ドアが浮かび上がる。真馬は一直線にドアに向かい、開けた。
 ドアの向こうは、あの路地だった。夕闇の迫る中、彼は自分が手にしたものをあらためて見た。
 短冊は小さな金属片に付けられていた。それが風鈴に当たり、音を立てていたのだ。
 その金属片は、鍵の形をしていた。路地を出て街灯の下で確認した。紫色の鍵だった。

 翌日、手に入れた鍵を見せると英何は自分のことのように喜んだ。
「俺たち、行けるぞ」
 真馬はまだ、半信半疑だった。手の込んだ悪戯に引っかけられているのではないかという疑惑が拭えなかった。
 だが三日後、その疑問は払拭された。彼の許に小さな小包が届けられたのだ。
 宛名はなかった。だが真馬は、これこそが「次の指示」だと思った。親に隠れて自分の部屋で小包を開いた。
 中には金属製の箱が入っていた。一面に小さな鍵穴がある。
 ためらうことなく、手に入れた紫の鍵を差し込んだ。
 かすかな音と共に蓋が開いた。中に入っていたのは、小型の無線機だった。
 耳に宛てがい、スイッチを入れた。
 ――……らは越境隊。こちらは越境隊。“外”の世界に行きたい者、“外”を見たい者、この放送を聞いたら次の指示どおり集合せよ。繰り返す。こちらは越境隊。わたしは越境隊隊長、野沢燐香。
「燐香……」
 聞こえてきた名前を、真馬は繰り返した。
 そして確信した。その名前が、自分に何かをもたらしてくれると。
 ――“外”の世界に行きたい者、“外”を見たい者、わたしの許に集合せよ。そして人間の版図を広げるのだ。わたしは燐香。野沢燐香……。



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太田忠司既刊
『名古屋駅西 喫茶ユトリロ
龍くんは美味しく食べる』