「雑感I 東日本大震災」平谷美樹

(PDFバージョン:zakkan1_hirayayosiki
 二〇一一年三月十一日。東日本大地震が起こった。
 ぼくは、被災地である岩手県に住んでいる。被災地とはいえ、津波被害が甚大であった沿岸部からは五十キロ以上も離れた内陸であるから、我が家の被害は軽微である。
 五月の半ば。内陸の生活は以前とほとんど変わらないくらいに回復しているが、沿岸の復興は遅々として進まない。
 しかし、津波に親族を、生活を奪われた人々は、いかに生き抜いていくかを自ら考え、立ち上がり、歩み始めている。
 内陸に住む人の多くが、
「津波に家を流された人に比べれば」
 と、考え自分の悲しみや嘆きを押し込める。
 あるいは、
「まだ避難所生活をしている人たちもいるのだから」
 と、ほぼ復活した日常生活を送ることに罪悪感を感じている。
 多かれ少なかれ、心の中に鬱々としたものを抱きながら、ともかく自分たちが頑張らなければと萎えた心を奮い立たせている。
 釣りを趣味としているぼくは、三日間の停電の後つけたテレビの画面に、見知った風景が黒い濁流に呑み込まれる映像が映し出されたのを見て言葉を失った。
 今でもありありと脳裏に思い浮かべることのできる、防波堤釣りに向かう道筋の、あの建物、この建物が跡形もなく持ち去られ、混沌の荒野と化している。
 のんびりと煙草をふかして釣り糸を垂れていた突堤に漁船が乗り上げ、水面(みなも)に屋根が浮いている。
 記憶の景色とテレビ画面に展開される光景とのギャップに、ただ低い唸り声をあげるしかなかった。
 自分が体験した家や家具の激しい鳴動よりも、冷酷に映し出された流れる屋根の群の方が衝撃であった。
 作家として現地に立ち、実際の景色を見、臭いを嗅ぎ、音を聞いてこなければという思いが勃然として沸き立って来たのだけれど、ぼくを押しとどめるものがあった。
 火事場見物的な気持ちが一欠片でもあるならば『作家として』などという大義名分を持ち出してはならない。
 正直な話、ぼくには心底から『作家として』現地を見てみたいと言いきれるだけの自信はなかった。
 だから、今でも沿岸に足を向けていない。
 幾つかの病を抱えているから、ボランティアに行ったとしても迷惑をかけることは目に見えている。
 平静を装いながらも、ぼくの心が実は砕かれているのだと知ったのは、煙草の本数が極端に増えていることに気づいたからだった。
 心を砕かれた者たちが立ち上がり、歩き出すためには、砕いた原因にそれなりの決着をつけなければならない。
 ぼくの場合は、以下のようなものであった。
 地球では現在まで数回、全生命体の八割以上が絶滅するという大規模な異変が起こった。そのほとんどが、地殻変動によるものだという。
 今回の地震では、四百キロから五百キロの断層がずれた。
 地球の赤道の周囲がおよそ四万キロであるから、百分の一である。
 地球規模で俯瞰すれば、きわめて局所的な地殻変動である。
 不思議なことに、それを思うだけで気分が落ち着いた。
 なんのことはない。絶対的な〈不幸〉という感情を、地球規模という基準で見直すことで自分をごまかしたのである。
「津波で家を流された人に比べれば」
 と、考えることと基本的に違いはない。
 大きな衝撃をうけた者たちは、段階的に平静を取り戻す。
 今、岩手のローカル放送では、津波の被害についての検証が少しずつ流れ始めている。
 被災した人々に考慮して、当初は語られなかったのだろう事が、遠慮がちに、小出しに、遠回しに、語られ始めている。
 三陸沿岸には、何度も大津波が襲来した。
 その津波を体験した人々が、立てた石碑がいくつかある。
〈これより下に家を造るな〉
 と、その石碑は教えている。
 津波の体験を生かして、高台に移った集落もある。
 また、
〈津波の時はてんでんこ〉
 という教えについても語られている。
 津波が起こったときは、親子兄弟の事を考えずに、自分の命だけを考えてともかく逃げろという教えである。
 岩手県三陸沿岸の町は、ほとんどがリアス式の入り江にあり、強固な防波堤が築かれ、津波の避難訓練も頻繁に行われていた。
 地震が起こり、津波警報が発せられるたびに住民は高台の避難場所に移動した。
 しかし、津波は来ない。
 来ても、水位の変化は小さい。
 何回も何回も同様のことが繰り返されれば、警報が出ても避難しない人々が出てくるのは、〈狼少年〉の昔話を引くまでもなく、当然のことである。
 しかも、津波から町を護る防波堤がある。
 避難訓練に参加する住民も年々減っていった。それを責めることはできない。
 防波堤を造った側は、
「想定外の津波」
 と言うが、お国のお墨付きがその一言であっさり反故にされたのは、住民にとって〈想定外〉であった。
 津波に崩され、無惨なコンクリートブロックの残骸と成り果てた防波堤の映像を見るたびに、ぼくは〈西洋型文明〉の限界を感じる。
 西洋型文明は、自然を『克服し、征服できるもの』として、常に対峙し続けて来た。
 その多くは、より快適な生活を追求するために行われてきた戦いである。
 また、西洋型文明は、自然にしろ動植物にしろ、人間が保護しなければならないものとして位置づける。
「自分たちが快適にすごせる自然環境を維持するために、環境を汚染するのはやめましょう」
 と、言うべき所を、
「自然に優しく」
 と、発言するのは、その最たるものである。
 克服できるはずの自然災害が、〈想定〉を上回った大きな力で襲いかかるとき、〈西洋型文明〉も〈科学技術〉も、呆気なく敗北を喫する。
 〈西洋型文明〉には〈想定〉がある。〈想定〉があれば、それを越える事が起こった場合、対処できないのは当然である。
 敗北した〈西洋型文明〉は、〈想定〉の基準を上げて、次の災害に備えようとする。それを〈くじけない〉ととらえるか〈鼬ごっこ〉と捕らえるかは、意見が分かれるところであろう。
 今回の大津波で何が一番有効であったかというと、
〈これより下に家を造るな〉
 であり、
〈津波の時はてんでんこ〉
 であった。
 危険に近づかないこと。危険から逃れること。これは、最も原始的な本能に根差している。〈西洋型文明〉は人の命を護ってはくれなかったが、本能に根差した、あるいは経験則から導き出された教えは人の命を救ったのである。
 自然は〈荒ぶる神〉であり人の力が及ばないことがあるということを前提とした古い古い考え方は、まだしも不必要な〈安心感〉を取り除いてくれる。
 原子力発電所が〈想定外〉の被害を受けたために、自然エネルギーに関心が高まっているが、再び同じ轍を踏もうとしている。
 取りあげられる自然エネルギーを利用した発電の多くが、そのメリットばかりが強調されてリスクについてはあまり語られない。
 原子力発電所が各地に建設されていく過程で、同様のことがあった。
 国も電力会社も、メリットを強調し、デメリットについては、取るに足らないことであるかのように語った。
 河口堰やダム建設についても同じである。
 現代は多様な価値観が存在し、何が正しいのか断じることはできない。
 我々は〈西洋型文明〉なしに快適な生活を送ることはできない。それはナチュラリストを気取って自給自足をする人々も同様である。また、電力というエネルギーなしに、社会は存続できない。
 東日本大震災を期に、何かが大きく変わるということはないだろう。人は慣れるものであり、忘れるものであるからだ。今盛り上がっている様々な機運も、いつしか落ち着き、過去のものとなってしまうのである。
 しかし、今我々が岐路に立っているのは確かである。
 これから我々がしなければならないのは〈選択〉である。
 目の前に提示された選択肢をよく吟味し、選択する。
 そして自らの意志で選択したことには責任を持つこと。
 選択したことによって負った責任を他に転嫁しないこと。
 どのようなことにしろ、選んだ責任は自分に、あるいは自分たちにあるということを認識しつつ、進まなければならない。



平谷美樹プロフィール


平谷美樹既刊
『義経になった男(一)三人の義経』
『義経になった男(二)壇ノ浦』
『義経になった男(三)義経北行』
『義経になった男(四)奥州合戦』