「ITのいと」大梅 健太郎


(PDFバージョン:itnoito_ooumekenntarou
 平日にやり切れなかった分の仕事をするべく土曜出勤していた僕は、突然スマートフォンに届いた未登録アドレスからのメールを見て、目を疑った。
『野洲里紗子です。久しぶり。元気にしてる?』
 あまりに短く無機質な文面に、僕は逡巡する。
「十年ぶり、ぐらいか?」
 つい、独り言をつぶやいてしまった。
 野洲里紗子は大学時代にゼミが一緒で、何人かでつるんで遊びに行くなど、何かと行動をともにしていた一人だ。ただ、正直言ってサシで何かができるほど仲がよかったわけではなく、卒業後に自然消滅する程度の関係だった。当時の、ひょろ長い細身の姿が頭によぎる。アラサーとなった今、少しは太っただろうか。
 スマホのアドレス帳を確認すると、野洲のメアドは登録されていたものの、もう長いこと使っていなかった。ただ、今送られてきたメールのメアドと見比べると、キャリアが違うだけでほとんど一緒だった。メアドの変更連絡が、どこかで途切れてしまったのだろう。メアドの切れ目が縁の切れ目だ。
 本当に野洲なのだろうかと、僕は不審に思いながらも返信を打った。
『久しぶりだな。こちらは元気だけれど、そっちはどんなもんだ?』
 自分でも無機質なメールだなと思いつつ、送信をタップする。すると即レスで返ってきた。
『こっちは元気じゃないよ。でもそちらが元気ならよかった。最近天気がよくないね。明日の降水確率は午前が五十%。午後は八十%に上昇するよ』
 元気ではないのか。僕みたいな過去の知り合いにメールをしたくなるくらいに、暇を持て余す体調。入院でもしているのだろうか。そう思いつつも、僕は当り障りのない返事をすることにした。
『元気じゃないって、ダメだろそれ。天候不順が続くと、身体の調子も悪くなるよな。晴れてくれればいいのに』
 書いた文面を眺め、もう少し優しい言葉をかけるべきだろうかと悩む。そう考えているうちに面倒くさくなり、えいやと送信した。すると、間髪入れずに返信がきた。
『天気が人間の心身に影響を及ぼすという研究があるね。快晴が続けば私もよかったのかもしれない。話は変わるけど。十一年と三ヶ月前に私が貴方にしたことを覚えているでしょうか』
「なんじゃそりゃ」
 また、口から言葉が漏れた。本当に話が急に変わったことに苦笑いしつつ、メールの文面を改めて読む。十一年三ヶ月前といえば、ちょうど僕達が卒論のテーマを決めようとしていたときだろうか。しかし、野洲が僕にしたということが何か、まったく思い出せない。しばらく考えてから、僕はメールを打った。
『卒論のテーマを決めるときに、何かあったっけ?』
『卒論とは関係がないよ。覚えていないのならよかった。でも私は私のことを謝罪しなければならないの。あのときはごめんなさい。反省してる』
 動揺しているのだろうか、「私」が二度打ちされていた。しかし、謝罪されるようなことがあったろうか。僕は記憶を掘り起こそうと、あの頃のことを思い出す。卒論以外で、野洲と僕が関わっていたこと。ふと、和歌山の海が頭をよぎった。
『あれか、ゼミ旅行の計画か』
『そう。あのとき私は貴方の出した美星町案をつぶしたの。ごめんなさい』
 岡山の美星町。そういえばそんなことがあった。僕は当時好きだった、同じゼミの女の子にいい格好をしようと画策し、自分が得意な天体観測のできる場所を提案したはずだ。でも、結局僕の提案が通ることはなかった。同様に、僕の恋心の行方も、うまくいかなかった。
『つぶすもなにも、あれはみんなで話し合った結果で、和歌山の海沿いの温泉地に決定したはずだろ』
『完全に忘れてしまったのね。くじで決めたんだよ。そして私はくじに細工して和歌山が出るようにしたの』
 なんだそりゃ。僕は十一年越しで明かされた真実に、脱力した。本当にどうでもいい話だ。なんと返事したものか、悩んでいると続いてメールがきた。
『貴方にとってはもう過去のことかな。そして取るに足らないことなのかもしれないね。でも私にとっては申し訳なさで後悔の念がつのる出来事だったみたい。そのことを貴方に伝える必要があったから今日メールしたの』
 わざわざ、ご苦労なことだ。少々、精神的に弱っているのかもしれない。
『つぶしたのが事実としても、野洲はなんでそんなことをしたんだ?』
『私がゼミ内で付き合っていた彼氏と和歌山に行きたかったから。私利私欲ね。でもそれが貴方の恋路を邪魔したことをあとで知った。本当にごめんなさい』
 さらりと自分の過去の恋愛話を出された僕は、恥ずかしさで胸がきゅっと締まった。なんだ、そりゃ。十年越しに、辱められた気分だ。
『僕にとっては、今の発言こそ謝罪してもらいたいくらいだぞ』
『重ねがさねごめんなさい』
 僕はため息をついた。どちらにせよもう過去のことだ。野洲もそんなに悪気があったわけでもないだろうし、今さら謝られても、どうでもいい。
『謝るくらいなら、今度おごってもらおうかな。せっかく糸がつながったわけだし、飲みに行こうぜ』
『了解』
 即レスとともに、候補の店のURLがいくつか送られてきた。最初から野洲も、そういうつもりだったのかもしれない。

 約束の日の晩、僕は野洲が予約してくれていた店に入った。十年ぶりの再会に、不安と興味が交錯して少し緊張する。しかし、約束の時間になっても野洲は現れなかった。
「なんだよ。もう先に飲んどくぞ」
 独り言を言いながら、ビールを注文する。しばらくすると、店員が料理とともにビールを持ってきて言った。
「お連れ様、本日は来られなくなったそうです。ただ、料理とお酒のお代はすでにお支払いいただいておりますので、どうぞごゆっくりしてください」
「え、あ、そうですか」
 デートをすっぽかされた男のような気分になる。変な下心でもあるように思われたのだろうか。改めて野洲にメールをすると、『今日はごめんなさい』と返ってきた。
「なんだよもう。つまらんな」
 予約してくれていた料理がもったいないので店をすぐに出ることはせず、僕は、ゼミの同期でまだ関係の続いている友人にメールを送った。
『野洲里紗子に、飲みの約束をドタキャンされた。ヒマなら僕に付き合えよ』
 二杯目のビールを注文していると、返事が来た。
『あんな状態にもかかわらず、リサコはお前と飲みの約束をしてたのか。献杯』
 献、杯? どういう意味だ。
『あんな状態って、やっぱり野洲は入院でもしているのか?』
『入院も何も、先月亡くなったばかりじゃないか。余命宣告されてから、早かったからなぁ』
 背筋に冷たい汗が流れる。僕は一体、誰とメールをしていたんだ。急いで野洲にメールをした。
『貴方は、誰ですか? 里紗子さんが亡くなったと、別の人から聞きました。親族の誰かですか?』
 送ると、信じられない速さで返信がくる。
『私は野洲里紗子ですよ』
『嘘つけ。野洲は先月亡くなったそうじゃないか。お前は誰だ』
『私は野洲里紗子ですよ』
 繰り返される同じ返信に、僕はため息をついた。らちが明かないので、友人の方にメールをする。
『野洲からつい先日、大学時代のことについての謝罪メールがきてさ。その流れで、飲みに行く約束をしたんだ。それが今日だったんだけど、結局野洲は来なくて。野洲が死んだのならそりゃ当然だけど、そうしたら僕は誰とメールをしていたんだろうか』
 しばらくして、友人から返事が来た。
『今、何人かに聞いてみたら、同じように野洲から昔のことについて謝罪のメールをもらった奴がいたぞ。そいつは野洲の葬式に行っていたから、びっくりしたそうだ』
 葬式に行った本人から、メール。考えるほどに、背筋がぞわぞわする。芋焼酎お湯割りを飲みたくなってきた。
『死者に酒をおごってもらっている俺って、いったい何なんだろうか』
 そう送ってから、野洲本人であると言い張る相手への、質問の切り口を変えてみることにした。
『貴方は、なぜ急に僕に謝罪をしようと思ったのですか? あんな、十年以上も前のことなのに』
『私が謝罪すべきだと判断したから。私はふとした瞬間に思い出しては後悔していたから。私が謝罪すべきだと考えているのに謝罪しないという不合理を私は解消すべきだと判断したの』
 自分のことなのに、どこか他人事に感じる言葉。そして、これだけの文量を一瞬で書いて返信するスピード。ひょっとして。
『野洲里紗子のオリジナルは、どうなったのか教えてください』
『野洲里紗子のマスターは二十五日前に膵臓癌で逝去しました。享年三十一歳です』
 実に的確な返事が返ってきた。これはやはり人間業ではない。親族などではなく、そういうことなのだろう。僕は確信して、尋ねた。
『貴方は、野洲里紗子の人格を複製した人工知能ですか?』
『正確には違います』
『じゃ、貴方は、野洲里紗子のマスターと、どういう関係ですか?』
『余命一ヶ月と宣告された時点の野洲里紗子のデータを保有した人工知能です。脳の深層部までフルスキャンしてコピーした人格と記憶を備えています。まったくマスターと同じというわけではないので複製ではありませんよ』
『だったら、野洲と名乗るなよ』
『マスターから「野洲里紗子」と命名されましたので』
 コードネームだったのか。そりゃ名前を聞かれたらそう答えるか、と僕は変に納得した。
『そんな状況なのに、なんで僕と飲む約束をしたんだ。一緒に飲むことなんてできないじゃないか』
『マスターの人格にのっとって行動しました。マスターなら飲みに行くと返答します。それに私が自由に使うことのできる予算が幾ばくかありますので』
 僕は、残っていたビールをひと息にあおった。
『これからどうするんだ?』
『マスターの記憶を順に整理していって最適化したいと考えています』
 なるほど。僕への謝罪も、その一環だったということか。
『それもそのうち片付くだろう? そうしたら、どうするんだ?』
 少し意地悪な質問をしてみた。そうなると、存在意義がなくなるのではないだろうか。
『マスターがやり残したことを私がやるのです。それがマスターの命令です。こうして貴方とメールをやり取りするのもその一つです。こういったときのことを想定してテレビ電話もできるようにしています。つなぎましょうか』
 ははっ。僕は独りで軽い笑い声をあげた。
『ぜひつないでくれ』
 すぐに僕のスマホが鳴った。テレビ電話のアプリを立ち上げると、そこには十年前とあまり変わらない野洲の姿があった。
「これからもよろしくね」
 野洲は、にっこりと微笑む。合成されたものとは思えないほど、滑らかに話す声。しっかりと、聞き覚えがあった。野洲の声だ。
「ああ。途切れていた縁の糸がせっかくつながったんだしな。これからもよろしく」
 画面越しの野洲の手元に、ビールの入ったグラスがあることに気がつく。僕はテーブルの向かいにスマホを立てかけ、ビールのお代わりを注文した。
「乾杯」
 僕らは画面越しにグラスを重ねる。カチリ、と音が鳴った。

(了)



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