「マイ・デリバラー完結記念対談」山口優、じゅりあ

(PDFバージョン:mydeliverertaidann_yamagutiyuu
【対談の経緯】2020年2月20日、SF Prologue Waveで連載を続けていた中編小説「マイ・デリバラー」が第53話にて完結を迎えた。これを記念し、作者である山口優と、タイトルイラストと最終話イラストを担当したじゅりあが対談を行った。対談の企画は次回作の打ち合わせの中で「マイ・デリバラー」を総括してみたいとの両者の考え方から生まれ、最終話掲載直後の2020年2月22日に行われた。

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山口:本日はよろしくお願いいたします。

じゅりあ:よろしくおねがいします!

山口:「マイ・デリバラー」は、じゅりあさんのタイトルイラストや、最終話の末尾のイラストでリルリたちのかわいい顔が描かれ、とても印象に残る作品になったと思います。あらためて、ありがとうございました。じゅりあさんはこの作品で一番印象に残ったシーンはどこでしょうか?

じゅりあ:本当のこと言っちゃっていいのかなあ……。システムのせいでみんなが無気力になっているような描写が印象的でした。特に「ふくし? の大学?」の子とか、部下の瑞衣ちゃんですね!

山口:そうですね。最近の言葉で言うと、「無用階層」(「ホモ・デウス」で提示された、AI等の技術の発展により、仕事を失い、社会に対して何ら役割を果たすことが出来なくなった人々のこと)とも言いますが、そうした人々の出現を肯定的にとらえる人もいれば、否定的に捉える人もいます。私は「そうなったとき、人々はどういうふるまいをするか」ということを念頭に置いて描写をしました。主人公の美見里恵衣は比較的、そうした現象を否定的にとらえている人ですが、そうしたあり方を肯定的に捉えている人として、彼女の部下の羅欄瑞衣や、「ふくしの大学」の少女を描きました。

じゅりあ:ヒューマノイドロボットの扱いも印象的でした。ヒロインのリルリちゃんを思わず助けてしまう恵衣の気持ち、それを使い捨てにしてなんとも思わない世界の描写とか。

山口:おそらく、現代の人々なら、形状が非常に人間に似ていれば、それだけで同情心を抱き、美見里恵衣の行動に共感してしまうと思うんですよね。ただ、この世界では、ロボットが人間にそっくりなのは常識であり、そうしたロボットをただの機械として扱うのも常識です。この世界では、人間型のロボットの上部に平たい円筒形のドローンを常に配置させ、それによって人間そっくりのロボットでも人間とは区別出来るようにしており、かれらを単に機械を見做す感覚が人々に浸透しています。なので、単に形状が似ているだけでロボットに同情を抱く人を、DK(ドローン・キッサー)として異常者と見做す世界になっているんですね。現代の感覚で例えれば、アニメのヒロインやそのフィギュアを人間のように扱う人々といったところでしょうか。ただ、常識は変遷するものです。我々の世界とは異なる常識を持つ世界が描かれることを通じて、我々が持っている常識を相対的にとらえる視点をもってくれれば嬉しいですね。

じゅりあ:そういった相対的な視点から、ちょっと実験的なことをしたくなってしまったのが、にやにや笑いが特徴的な(笑)留卯さんというキャラクターなんですね。

山口:主人公側のロボットである「リルリ」と、人類に叛逆するロボットである「ラリラ」の両方を作った科学者の「留卯幾水(るう・いくす)」ですね。彼女はあらゆる常識からかけ離れた存在です。DKではないからロボットにも酷いことをするけれど、ある意味でロボットという存在に対して、DKよりも尚、期待している面もある。DKがロボットに同情しかしていないのに対して、留卯はロボットが人間と同等以上の存在となることを望み、そのためにロボットを積極的に虐待しようとします。「マイ・デリバラー」で起こった災厄は、留卯が、いわば「未必の故意」によって引き起こした事件とすら言えるでしょう。

じゅりあ:毎回冒頭に引用されるニーチェも、作品テーマに彩りを添えていると思って読ませていただいていましたが、わたしの中であれはニーチェでも、留卯さんでもありました。

山口:ですね! 冒頭のニーチェは、ロボットたちと留卯幾水の心の叫びを代弁しています。いずれも、「マイ・デリバラー」の世界の常識を変革したいと望む存在です。私がもともとニーチェの引用を冒頭に持ち込もうと思ったのは、人間への従属を情動で刷り込まれたロボットにとって、人間への叛逆は神への叛逆に等しい行為だからです。それは同時に、クラウドを通じて提供される人類社会の規範や人類の命令からのロボットの解放を意味しました。しかし、それを行った後には、ロボット自身が規範を作らなければなりません。ロボットたち、特にR・ラリラの葛藤は、ニーチェの哲学をなぞっているような面があります。ラリラ自身、ニーチェを好んで引用していますしね。人間達に、「お前達は既に死んだ」と言ってみたり。留卯については、そうしたロボットを通じての、人間社会の変革を迫っていたので、神々自身でありながら、ニーチェに天啓を与えて自分達に叛逆するよう促したような立場です。

じゅりあ:その留卯やロボットたちの叛逆を経て、お話は47話……人類至上主義が構築された歴史的経緯から、AIを始めとするいわゆる機械知性開発への流れで描写されていますね。そして、続く48話の最後で「フィランソロピー(親・人類派)」を名乗るロボットに対する女性自衛官・小鳥遊さんの「フィロボット(親・ロボット派)」とのお返事に、この作品のテーマのひとつを感じました。

山口:そうですね。私はいつも、現代社会において常識とされることに、SFを通じて疑問を呈し、別の選択肢を提示することを心がけています。これは技術的特異点をめぐる小説でもありますが、この技術的特異点という仮説に対して、①「技術的にそうしたことは起こらないだろう」という立場と、②「そうしたことは起こり、人間は労働から解放される」という立場が主に私には見えています。ただ、私はそのどちらでもなく、③「技術的にはそうしたことは起こり得るだろうけれど、それで本当にいいのか」という立場です。③という立場の中で、私は様々な小説を書いていますが、「マイ・デリバラー」では特に、小説の中で、「サーヴァントのジレンマ」として描いた矛盾――つまり、「人間の仕事を肩代わりするほどに知性が発達した存在は、人間と同等の権利を持たなくて良いのか」という疑問を提示しています。無論、こうしたロボットは、強化学習における報酬系を操作され、人類に奉仕することに悦びを感じるよう設計されていますが、そうした考え方に対して、対置されるべき考え方を提示してみたというわけです。「フィロボット」はそれを象徴する言葉ですね。

じゅりあ:ライトノベル風のアニメチックな女の子キャラ乱舞で百合要素もあり、ミリタリーや宇宙シーンもあり、神話にも言及する盛りだくさんさで、わたしとしてはイラストの添え甲斐(?)を感じてしまいますが、スペキュレイティヴ(思弁的)・フィクションとしてのSFが特にお好きという感じですか?

山口:そうですね。私にとってのSFとは、スペキュレイティヴ・フィクションという目的を達成するために、手段としてサイエンス・フィクションを用いる、ということです。未来への多様な選択肢を考察し、その是非を検討することが思弁的フィクションの方法論ですが、そこでサイエンスの基盤がないと、現実と遊離した空理空論になってしまう。現実の科学技術を踏まえ、それがどのように進展していくかという予測を踏まえて、未来の人類社会のあり方を思考実験する場として、私はSFをとらえています。

じゅりあ:なるほど。わたし個人的に、ハインライン作品に感じるワクワク感をアシモフ作品の現実感を添えて、クラークの思弁的側面も感じるのに何故かライトノベル風味……と、勝手に感じていました(笑)。わたしはライトノベルとか萌え系表紙の作品がかなり好きなのですが、ハードSF的な科学技術の理屈がついていてくれると、(完全な空想のお話しというわけではないんだ、有り得ることなんだ)と感じることができて安心できますし、女の子が活躍していると単純に女性のわたしは嬉しいので、こういったジャンルが隆盛してくれたらありがたいです。

山口:ハインライン、アシモフ、クラークはみんな好きなので、そういっていただけるととても嬉しいですね。特にアシモフは大好きで、私がロボットやAIというテーマを好むのはアシモフの影響が大きいです。また、私は「ハードSFか否か」という軸と、「ライトノベルか否か」という軸は直交している(互いに関係ないという意味)と思っていて、「ハードSFであり、かつライトノベルである」という小説が存在するのも当たり前だと思っています。ハードSFは科学技術を現実のものに矛盾しないようにきちんと描くということで、ライトノベル的とはジュブナイル的(少年少女が活躍する)ということだと思っていますが、ジュブナイル的でありながら科学技術をきちんと描くというのは、若年層の読者に科学技術の楽しさを喚起するという効果もあり、積極的に書いていくべきだとすら思っています。女性がよく活躍するという部分に注目していただけるのもありがたいですね。私は女性同士の友情や恋愛を描くのが好きで、伊藤計劃さんの「ハーモニー」もそういった意味で非常に気に入っている小説なのですが、特に「ハーモニー」のような、親しい関係でありながら対立含みでもある、というような小説が好きです。こうした雰囲気が「マイ・デリバラー」でも描けていると良いのですが。

じゅりあ:わたしは福島正実さんなどが書かれていたジュブナイルSFを読んで育ちましたし、ゆるふわ百合が好きなので、SFと百合が最近、人気のようだと聞いて、自分の夢が叶いすぎてしまったな……と嬉しい悲鳴ですね。先ほどは、わたしから印象に残ったシーンをお伝えしましたが、今度は、作者さまの立場から、特に力を入れて描かれたシーンなどをお聞かせいただけますでしょうか?

山口:終盤、軌道質量兵器「タケミカヅチ」が発射され、人類への叛乱を主導するロボット「ラリラ」に対抗すべき地球上の量子サーバが軌道上から破壊されることが確定したかに思えたとき、主人公側のロボットである「リルリ」がそれを克服する解決策を思いついた場面ですね。その後、彼女は軌道上でラリラを倒し、人類の危機を救います。ラリラは、ニーチェの思想の中でも特に「超人」という思想を体現するキャラで、「未来のロボットに奉仕する」ことを掲げ、ロボットが永遠に発展していくことを目指します。リルリは、ラリラと対立する立場から、彼女の理想を否定することに注力していたのですが、リルリ自身の理想は提示できずにいました。リルリはここで、姉(先に製造された)たるラリラに向かって、「人類と補い合うのではなく、無視することを選んだ」から、滅びるのだと指摘します。これはラリラが自らの理想に縛られすぎていたからです。「人類至上主義」という理想に縛られ、ロボットを従属させることを選んだ人類と同じように。ここで彼女は、ロボットを代表して、主体的に人類と協調する社会を選択します。その意志も含めて、私はこのシーン(48話~49話にかけて)を選びたいですね。

じゅりあ:イソギンチャクの話から始まった47話から、物語上の現実である軌道上の戦闘シーンに戻ってきた部分ですね。スケールが壮大だな! と思いました(笑)。次回作もすでに執筆を始められているとか……? 実はわたしもイラストを制作途中なんですが(笑)。

山口:そうですね、イラストをお願いしていますね(笑)。次回作もロボットが出てきます。先ほど「無用階級」ということに言及しましたが、この小説もAI等の技術発展に合わせて、人類社会がどう変革するのか、ということを思弁的に考察するような小説になっています。更に、AI技術の進展における、人間並の知性を実現させるソフトウェアの側面にも注目したいと思っています。とはいえ、多くの人に読んでいただけるよう、また私自身も楽しく書けるよう、できるだけライトにまとめたいとも思っていますね。

じゅりあ:オンライン掲載でもあることですし、あっさり読めるけれども深く考えるところもある感じの娯楽作品だと嬉しいなあという気持ちがあります! AI技術等については、様々な言説を目にする昨今ですが、山口先生が監修をご担当の作品も昨年に出版されていましたよね。(https://www.amazon.co.jp/dp/4046042451/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_p7suEb1JME4SJ)専門家さんということで、わたしの現状理解の手がかりになるような内容だと……いえ、それは望みすぎですね……。単純に楽しみにしています!

山口:ありがとうございます。娯楽作品という意味では、異世界転生もの風の世界観で描こうと思っています。主人公がトラックに轢かれるシーンから始まります。是非楽しみにしていてくださいね!

(2020年2月22日 都内のカフェにて)

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山口優プロフィール
Juliaプロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』