「悪い星」―豆腐洗い猫その3―間瀬純子


(PDFバージョン:waruihosi_masejyunnko
『読めば読むほどむなしくなる! かわいい猫の妖怪、豆腐洗い猫の悲惨な冒険』

一、宇宙の公団住宅の一神教の神


 宇宙の公団住宅の、その神の部屋にはほとんど荷物がない。蛍光灯が点滅している。ふすまがはずれた押し入れには布団もなく、棚板には昔の新聞紙が敷いてある。一面トップは『浅間山荘事件』だ。すべての窓ガラスは割れ、畳は黄色くなっている。
 その神の部屋は十四号棟の一階であった。ゆがんだアルミサッシ越しに見える狭い庭の真っ黒い濡れた土には、苔が生えていて、六畳の部屋の点滅する蛍光灯が苔の緑を鮮やかに照らした。
 庭には、ピザの包み紙や丸めたレシートが落ちていた。

 その神は一神教の神だったので、一人暮らしだった。豆腐洗い猫はこの神につかまえられて、宇宙の公団住宅の部屋に連れてこられたのだった。

 豆腐洗い猫は台所に行き、小さな冷蔵庫を開けてみたが、かび臭いばかりで、豆腐はない。豆腐もないのにこの先どうやって豆腐洗い猫をやればいいのだろう。猫は泣きたくなった。「豆腐を探しに行きます」と神に言ったら、神は、猫を柱に縛りつけた。

 神は言われた。「予も長い間、一神教でやってきたが、どうも信者とのコミュニケーションがうまくいかぬ。このたび下僕を使うことにした。豆腐洗い猫よ、そなたが予の下僕となるのだ」

「にゃー」柱に縛りつけられた猫はおとなしく聞いていた。でも下僕って何をすれば良いんだろう。

 神は言われた。「かの猫よ、もう一匹あれ」

 すると豆腐洗い猫そっくりの猫がもう一匹現れ、また、猫を縛った柱も同時に増えて、部屋が五角形になった。

「かの猫よ、もう一匹あれ」
 すると豆腐洗い猫そっくりの猫がもう一匹現れ、また、猫を縛った柱も同時に増えて部屋は六角形になった。この部屋は何畳になったんだろうとオリジナルの豆腐洗い猫は思った。

 最終的に、部屋は十一角形になり、猫は八匹になった。畳も十一角形になった。神は言われた。「そなたたちが、力をあわせて、信者たちのメンテナンスをするのだ」
「ですがにゃー、一神教の神様」と豆腐洗い猫は、オリジナルも複製もいっせいに言った。
 猫だって言う時は言うのだった。
「猫ちゃんたちは一神教の神様の教義も知りませんにゃー。猫ちゃんたちは、落ちぶれて妖怪になる前は神だったにゃー。そのころは道ばたで豆腐を洗っただけで、『あらありがたや。祠を建てて祭るべし』って、信者ができましたにゃー。何の教義もありませんにゃー。教義とかぜんぜんわかんないにゃー」

 神は言われた。「豆腐あれ」
 すると八匹の豆腐洗い猫の前に、ひとつづつ豆腐が現れた。猫たちは豆腐洗い猫であるから、夢中になって、いっせいに同じ仕草で、胸の毛皮の隙間から、肋骨をぽいぽい抜くと、手早く組み立て、猫の肋骨タライをつくった。
 そして、いっせいに口から水をぴゅーっと吐いて、タライを清らかな水で満たす。両手をタライに突っこみ、心をこめて豆腐を洗いだした。

 夢中で豆腐を洗っている八匹の猫に、一神教の神が言われた。
「もう一度言う。予の言葉は絶対である。そなたたちは予の下僕である」
「にゃー」と猫たちはうなずいた。みんな柔らかい猫毛の模様も同じだった。
「そなたたちの役目は、信者たちを慰撫することである」


二、宇宙の公団住宅の広場でフリーマーケット


 八匹の豆腐洗い猫たちに、下僕としての最初の使命がくだされた。神の貴重な放出品を、フリーマーケットで安く信者たちに売り与えるのである。
 猫たちは、十四号棟を出て、会場である広場に向かった。

 宇宙に来てからずいぶんたったような気がするが、ここはずっと夜だった。
 宇宙のさらに天上には、暗黒星雲だかブラックホールだかわからないが、蛭のような粘りつく黒い雲が広がり、どろどろと流れていく。星とおぼしき、青白い光点がにじんでいたが、すぐにその黒い雲に飲みこまれて消えた。

 猫たちは、風呂敷包みを背中に背負い、暗い、宇宙の公団住宅をつっきる、広い道を、横一列になって歩いた。まったく同じ歩きかたである。
 道の脇にぽつぽつと立つ街灯の明かりで、箱形の五階建ての公団住宅の、薄汚れたモルタル塗りの棟々が、白く浮きあがっている。棟の横壁には棟番号が大きく書かれていた。住宅は古く、箱形の棟と棟の間には、ソメイヨシノの並木がある。葉も花もない木はとてつもなく太くなり、シルエットになった枝はもだえ苦しむようだった。

 道には、ピンクや白やベージュの、きれいな玉砂利が敷きつめられている。猫たちはじゃりじゃりと玉砂利を踏んで歩いた。
 そして猫たちは、重力の向きが変わるたびによろけ、道ばたのソメイヨシノの幹や、公団住宅の壁や、街灯にぶつかった。

 やがて、公団住宅の広場にでた。ここがフリーマーケットの会場である。
 広場の正面には、コンクリートでできた水色の給水塔がそびえたっていた。公団住宅の給水塔だ。
 広場は真四角だ。手前の辺に面して、三十二号棟がべったり横に伸びている。この三十二号棟は、他の棟と違い、一階部分が商店になるはずだった。でもお店は何もなく、一階はがらんとした、吹きとおしの歩廊だった。二列になった太い柱が規則正しく並び、上の住宅棟をささえている。

 広場の左端で、三十二号棟は直角に、別の棟と交差する。その棟は集会所棟で、給水塔のほうへ向かっていた。
 豆腐洗い猫たちは、三十二号棟の歩廊の右側の隅っこに座りこんで、風呂敷を下ろした。太い柱が並ぶあいま、コンクリートの床にゴザを八枚敷く。

 風呂敷の結び目をとくのは、猫の肉球には、とてもむずかしい。八匹がかりで、すごく時間がかかった。それでもがんばってひとつひとつ風呂敷をといていくと、中から出てきた商品は、ペットボトルに金や銀や、鉄や銅の、さらさらした粉を詰めたものだった。
「にゃー?」と猫たちは言った。

 猫たちはさかんにくしゃみをしながら、金属の粉を種類ごとに、直径十センチくらいのアルミのおわんに移した。
 八匹の猫がいっせいに言った。「こんなの信者さんたちの役に立つのかにゃー?」
「おふだがないにゃー」「絵馬もないにゃー」「お守りもないにゃー」「破魔矢もないにゃー」「おみくじもないにゃー」「今年の運勢ラッキーカレンダーもないにゃー」
「ぜんぜんだめにゃー」

 豆腐洗い猫たちの居場所から、歩廊を数メートル左へ行った、集会所棟に寄ったブースでは、信者がいなくなり、落ちぶれた神が、干し首や、絶滅した動物の犬歯でつくった呪術物やラッキーアイテムを売っている。だが、豆腐洗い猫たちの商品はただの金属の粉だ。なんのラッキーもついてこない! あっちのほうが魅力的じゃないかにゃーと猫たちはいっせいに思った。

 でもがんばって、商品に手書きのポップをつけた。『いちぐらむ じゅうえん』
 でもだれもお客が来ない。

 歩廊と広場のさかいには、しけた街灯がぽつぽつ立っており、猫たちの商品をなんとか照らしていた。歩廊の床はコンクリートだが、広場にはぎっしり美しい玉砂利が敷かれている。
 玉砂利の粒が、かすかに街灯の明かりを反射して光る上を、神々の黒い影がうろうろと出歩いている。神はすごくたくさんいた。だいたい、我が国だけで、八百万の神が坐(いま)すのだ。
 ギリシャ・ローマ神話とかの神々、仏教の大量の仏様もおいでになる。もちろん、南米の鉱山の神ティオも忘れてはいけない。

 日本の神様たちは、おみくじ用の歌を詠んでは、地上に送り届けておられた。神主さんたちは、神社社務所そなえつけのラジオで、その歌を受信するのだ。
『ぬばたまの 黒毛和牛の 肉……』『命なるかな』『とうふあらふ 猫は 複数いるのかな?』
 神々のまとう綺羅は星のごとく、光沢があって、なんか光っている。お神酒が届く。
 豆腐洗い猫は、零落して妖怪になったとはいえ、昔は神だったが、下っ端だったから、宇宙におられる神々になどいっさい面識がなかった。とても緊張した。

 神々は、豆腐洗い猫たちの商品になど目もくれず、広場を回遊している。時々、集会所に入っていく。集会所からはおいしそうなバーベキューの匂いがする。集会所に押し売りに行く度胸は豆腐洗い猫たちにはない。

 八つめの包みを、猫たちが八匹がかりで肉球をつかってやっとほどくと、真空パックされた豆腐が八つ出てきた。猫たちは肋骨をとりだし、豆腐洗い用タライを組み立て、豆腐洗いデモンストレーションをやった。三十二号棟の歩廊に、水がばしゃばしゃいう音が響きわたった。豆腐は、猫たちの爪で、あっという間に傷だらけになった。

 どこかの神が猫の豆腐洗いを見物している。神はちっと言うと、古代の呪いの仕草である『あまのさか手』を打って、何も買わずに行ってしまった。
 黒い馬が、給水塔のほうから、集会所棟の横をとおり、集会所棟と三十二号棟が交わる点でくいっと曲がって、猫たちに近づいてくる。
 ぱかぱか歩く馬に乗っているのは、真っ黒いマントをかぶった偶像崇拝撲滅巡察使であった。落ちぶれた神の前で止まった巡察使は、人間のぶんざいで、馬用の鞭でその神をこずいた。
 そして、今度は豆腐洗い猫たちの前にきた。
「けっ、猫の神か。くだらぬアニミズムよ。おろかなる偶像崇拝よ。現世利益しかもとめぬ、高貴なる抽象思考のできぬ陋劣な猫の神など地獄に堕ちるがいい」
と、偶像崇拝撲滅巡察使は言った。にゃーと猫たちは思った。

 偶像崇拝撲滅巡察使は馬に鞭をあてた。馬は回れ右をして、玉砂利の小石を蹴たてて、去っていった。立ち去りがけに、馬のひづめが蹴った玉砂利が、左から二番目にいた猫の鼻にぶつかった。

「にゃー! ぎゃー!!」
 左から二番目の豆腐洗い猫が叫んだ。猫の鼻の上で玉砂利がぱかんと割れ、何か液体が噴きだしたのだ。液体が、かわいい猫ヒゲをびしょびしょに濡らす。猫は前足で鼻をこすり、街灯の真下に行き、前足を照らしてみた。血だらけなのを見て、すごく驚いた。他の七匹の豆腐洗い猫たちも集まってきて、いっせいに猫背を丸め、足元の玉砂利を見る。

 玉砂利の一粒一粒につき、ひとりひとり、小さな巫女たち乙女たちが包含されているのだった。乙女たちは、半透明の薄い膜にくるまれている。

 ためしに豆腐洗い猫たちは、いっせいに右手で玉砂利をちょっといじってみた。猫の爪にひっかかって、乙女たちの美しい横顔が裂け、鼻の軟骨や血が飛びだした。いやだにゃーと猫たちは思った。
 気づいてみると、八匹の猫の、それぞれの両手両足は血まみれなのだった。ずっと玉砂利の上を歩いてきたのだから、当然である。

『かくのごとく神々に踏みつぶされた乙女は地上では皆不幸になるのですよ』
 とおりすがりの偉い神様が、八匹の豆腐洗い猫たちに言った。
「にゃー?」

 偉い神様は、裸足で、玉砂利の乙女の、白い胸を踏みにじった。小さな乙女がぷりっとつぶれた。
『地上で願を掛けた乙女たちがトランス状態になると、宇宙に昇ってきて、宇宙の玉砂利に魂が籠もるのです』
「どうやって宇宙に昇ってくるんですかにゃー」と猫は訊いた。


三、悪い星


 どこかで、お寺の鐘がごーんと鳴った。八匹の猫たちはびっくりした。鐘はごんごん鳴りまくっている。

「悪い星だ」落ちぶれた神が言った。猫たちは、左横のブースでお店を広げる、落ちぶれた神を見た。落ちぶれた神は給水塔の上を、じっと見あげている。

 広場の正面にそびえる給水塔の横で、逆三角形に並んだ星が光っていた。逆三角形に並んだ星々といえば山羊座である。あんなところにあんな星はあっただろうか? と八匹の猫たちはいっせいに思った。

 蛭のような天上の黒い雲が流れていく。また星々は雲に飲みこまれていくのかと思ったら、その星々は雲よりずいぶん低い位置にあるらしかった。
 落ちぶれた神は、あわてて干し首や犬歯のネックレスをゴミ袋に入れ、あたふたと逃げだした。
 
 逆三角形に並んだ星がうなりをたてて動いた。
 山羊座の星は、うなりながら青白く燃え、逆三角形に並んだまま、地上へ向かってくる。

 星のひとつひとつは、猫を丸めたくらいの大きさだった。星は球体で、表面は、ぐしゃぐしゃにしたアルミホイルがあまりの高温に青白く変化したような感じである。
 星座は、正面から見ると逆三角形に並んでいたが、実際は、大量の星々が、前後数百メートルにわたってつらなっている。  
 星々が、がくんと急降下し、給水塔をかすめた。ごうごういいながら広場に入り、人くらいの高さで、集会所棟の脇をまっすぐに、滑り飛んでくる。

 最初の星が、集会所棟と三十二号棟が直角に交差する地点をすごい勢いでカーヴし、今度は三十二号棟の歩廊に沿って、向かってきた。
 星は、ボーリングのボールがいっせいにピンを倒すように、猫をなぎ倒した。肋骨を抜いていた猫たちはひとたまりもなく倒れた。
 八匹の猫のうち、三匹が、猫の厚い皮も打ち砕かれ、ぽんと破裂した。

 残った五匹の猫は、恐怖に襲われた。
 星は歩廊の柱に当たって砕け、火花がぱあっと広がった。

 火花が静まり、再び暗くなった歩廊に、白い木綿の、くたびれたドレスが浮きあがる。ドレスがいくつも歩廊に立っている。ウェストからは、チューリップやエーデルワイスを刺繍した、青いフェルトの前掛けが垂れている。
 それらのドレスを着た女たちの肉体が、しわくちゃの白い生地をふくらませ、荒い息づかいで胸部のヒダを上下させているのだが、剥き出しになるはずの、顔も手も見えない。

 白いドレスを着た、女たちの幻影が言う。彼女たちの星座は山羊座だ。
『あんなに信仰したのに、山羊を捧げ、生きた子供を捧げ、朝晩祈ったのに、何もしてくれなかったバカ神』
 殴る恋人たちや小麦の不作をなんとかしてくださいと。新聞に載る星占いでは、毎日毎日、もうすぐいいことがあります、と書いてあったのに。星座ペンダントも買ったのに。

「神と星占いは違う管轄にゃー」と猫たちは言ったが無視された。
 一神教の神の下僕である自分たちは、この人たちを慰めるために遣わされたのか?
「豆腐を洗うから見てにゃー」と言ったがもちろん無視され、幻影は崩れ、コンクリートの上にバラバラと玉砂利が散乱した。

 偉い神様が、落ちた玉砂利を踏みつぶしながら言った。『乙女たちは、星になって昇ってくるのですよ。こうやってつぶすと、地上では不幸になります』偉い神は青竹踏み健康法のように、玉砂利を踏みまくった。
『そのかわり、虹の橋をわたって、水晶の牢獄の女囚やマンディアルグの小説や耽美小説のヒロインに生まれ変わることができるのです。あなたの踏みかたは中途半端です。乙女たちの幸福のために、もっと徹底的に踏みつぶせよ猫よ』

 まだたくさん残っている、山羊座の星々が給水塔の横から、広場にすっと入ってきた。
 星々は青白く燃えながら、人の高さくらいの位置を保ち、集会所棟から、三十二号棟の歩廊へとカーヴし、まっしぐらに猫たちに向かってやってくる。
 偉い神様はひょいと星をよけた。

 猫たちはとっさに、売り物の鉄や銅や、金や銀の粉を見た。それらは、猫にくしゃみを起こさせる。
 一神教の神から、これを売る命令があったのは、何か意味があるのだろうか。
 山羊座の星々と、鉄や銅の粉が化学反応を起こし、星は変質して静まり、再び優しく瞬きだし、信者たちを見守るのだろうか。
 猫に化学知識などない。

 残った五匹の猫たちはいっせいに、金や銀、鉄や銅の粉が入ったおわんを猫手にはさんで、うなりながら飛んでくる山羊座の星にぶっかけようとした。猫の手はうまく器をにぎれず、歩廊のコンクリートの上に金の粉が、きらきらとばらまかれた。五匹の豆腐洗い猫のうち、二匹が星に砕かれた。

「まだ獅子座がくる」広場にいる誰かが言った。

 三匹の豆腐洗い猫たちはすごく怖くなり、逃げたくなったが、すくんでしまって動けない。震える前足を何とか動かし、肋骨でできたタライを胴体にしまおうとした。
 また星が飛んできて、集会所棟から歩廊へ曲がり、三匹の猫のうち、二匹を砕いた。肋骨でできたタライも砕いた。
 残った一匹は、最後の肋骨をぎゅっと胸に押し込むと、広場から逃げだした。
 この豆腐洗い猫が、オリジナルか複製かはもはやどうでもいい。
 猫がぴょんぴょん飛んで逃げると、着地するたびに玉砂利がつぶれていく。

 踏みつぶされた乙女たちが囁く。
『この程度の神の試練では、私たちは』『せいぜい、』『中学生のノートのエロ落書きにしか』『サド侯爵のヒロインになりたかったのに』
 ぐしゃっとつぶれながら言った。

『生まれ変わったら、神にお仕えするために』
『纏足(てんそく)をして歯を抜いて、そうフェラチオがうまくできるように』
『ネイルアートをした爪も抜いて』
『髪も皮膚がくっつくほど酷く抜いて』
『私の美しい顔から眼球を取り出して膣をうがって』

 にゃー! にゃーー!! 一匹だけ残された猫は悲鳴をあげながら逃げつづけた。

  つづく



間瀬純子プロフィール


間瀬純子既刊
『Fの肖像
フランケンシュタインの幻想たち
異形コレクション』