「日本SF作家クラブ発祥の地:山珍居インタビュー」宮野由梨香・増田まもる、YOUCHAN(イラスト・写真)

(PDFバージョン:interview_sanntinnkyo

[※結局、写真は後日、YOUCHAN 夫に撮り直してもらいました。( Photo by 伊藤のりゆき )]
 
 新宿の台湾料理店「山珍居」といえば、日本SF作家クラブ発祥の地として名高い。1963(昭和38)年3月5日に、ここで日本SF作家クラブの「発足準備会」が行われた。その様子は『星新一 1001話をつくった人』(最相葉月・新潮社・2007年)でも紹介されている。
 新しいものを創り出そうとする第一世代SF作家たちの熱気を支えたのは、この場所の美味しい料理と酒と、ご主人の人柄と、そこに集う人々の醸し出す雰囲気だった。
 山珍居には、三国志好きで語学に堪能なご主人・黄玉火氏の人柄を慕って、多くの文人たちが集ったという。店内の壁にはそうした人々の色紙がずらりと並べられていて、壮観である。

      

 残念ながら、黄玉火氏は2年前(2009年)に93歳でお亡くなりになられた。現在、店は息子さんの黄善徹氏が継がれている。
 その黄善徹氏に第一世代SF作家たちが集っていた頃の話を伺ってみたのが、このインタビューである。



―― 開店は1947(昭和22)年10月ということですが、これはお父さま(黄玉火氏)がお始めになったんですね?

黄善徹「そうです。店の場所はここ(西新宿5丁目駅から徒歩1分)に落ち着くまでに2回替わっています。開店の時には、西口のすぐ近く、今の小田急デパートの線路側の道沿いにあったんです。そこに10年くらいいてから、熊野神社の隣に移りました。そこにもやはり10年くらいいて、そして、ここへ引っ越して来たんです。以後、40年以上、ここにおります」

―― ここは日本SFの聖地となっていますね。昨年のTOKON10(第49回日本SF大会)のスーベニア・ブックにも「すべては山珍居から始まった」という記事が載っています。お父さま(黄玉火氏)もSFがお好きだったんでしょうか?

黄善徹「いや、とにかく三国志が好きでしたね。三国志の話をし始めると止まらない。それから、語学に堪能でした。作家さんが多く集まった理由は、そのあたりでしょうか。日本語にも訛りはなかったし、漢字も多く知っていました。何か文章のニュアンスについて尋ねられると、一緒になって「こうだから、こう解釈できるんじゃないか」などと言っていましたよ。そういうことが好きだったんですね。それから、当時は台湾料理が珍しかったということもあると思います。豚の耳なんて、まだどこも出していませんでしたから」

―― 集ったのは、SF作家に限らなかったわけですね。

黄善徹「そうやって常連になった作家さん方がマスコミの人なんかを通じて宣伝してくださって、それで、またそういう人達が集まるという感じだったんだろうと思います。『河童の会』なんて集まりもありましたよ」

―― それは、河童について研究する会ですか?

黄善徹「そうなんですけど、ちょっと変わった人達でね。『河童はこうやって酒を飲む』とか言って、畳の上で酒を仰ったりするんですよ。ビチャビチャにこぼしてね(笑)」

―― うわぁ、あと始末が大変ですよね。

黄善徹「そういった、なんだかオタクみたいな人が多く集まってきて…」

―― オタクを呼ぶ店ですか! 

黄善徹「そういった人達の中に、将来、SF作家になるような方々がいたんだと思います」

―― そういう人たちが集まるような雰囲気があったわけですね。SF作家なんてオタクに決まってますから。『宇宙人はこうやって酒を飲む』とか、同じノリでやっていたかもですね(笑)。

黄善徹「そうかもしれません(笑)」

―― 「ボッコちゃん」(星新一)が書かれたのは1957(昭和32)年なんですが、その執筆のきっかけについて、「ある晩、新宿で大いに飲んだことがある。空想科学小説のなかまなので、話はロボットや宇宙人の話で大いに楽しかった。そして、次の日、ふと思いついて書いたのが、この「ボッコちゃん」である。」(星新一「ボッコちゃん誕生前夜のこと」下書き稿より)と書かれています。これはお店が西口の近くにあった時の話ではないかと思うんですが…。

黄善徹「う~ん、何とも言い難いです。そうだったかもしれないし…」

―― 日本SF作家クラブの「発足準備会」があったのは、熊野神社の隣にお店があった頃ですね。1963(昭和38)年3月5日のことですが、当時の店も造りはこんな感じだったんですか?

黄善徹「いや、その頃は2階が畳だったんですよ。発足準備会は畳の部屋でしたね。座敷で、みんながごろっと寝転がったりできるところです」

―― 一階は、当時もこんな感じだったんですか?

黄善徹「もっと広くて、でも椅子はまばらで、『商売をやる気があるのか?』と言われたことがあるくらい隙間が多かったんです。「地下に国民党のスパイの巣窟がある」とか小説(付記参照)に書かれたこともあったらしくて、お客さんが面白がって中を覗くんですよ。調理場の中とか裏口を見たりね。ねえよ、そんなもん!(笑)……」

―― それは、楽しい話ですね(笑)。

黄善徹「駅からちょっと離れていて、隠れ家的な感じだったのもあるんでしょうね。この辺りは置屋さんなんかもあって芸者さんもだいぶいたようですから、「逃げ場」として使われるような感じですか。『知らないだろう?』とか言って、人を連れて来る感じで」

―― 立地条件もけっこうポイントですね。オタク心をそそります。ぼく(増田)もNW-SFの人達と、40年ほど前によく来ましたよ。ここの料理は本当に美味しかったです。

黄善徹「有難いですよね。ここの色紙も、お客さんの方から店を応援しようって、書いて下さって。親父は「色紙を書いてくれ」なんて頼んだことはないそうなんですよ」

―― そうなんですか。それにしても、すごい色紙ばかりですね。特にあれは 本当に「お宝」ですよね! 他には絶対にないというか、あり得ないというか…。 



黄善徹「サインだけの色紙は掲げてないんです。絵入りのものを掲げるようにしているんですけど、これは別格ですね」

―― これが書かれた時の状況については、何かご存知ですか?

黄善徹「ちょうどその4人が座っていたところに誰かが色紙を差し出したんでしょうね。それで座っている場所のままにサインをしたんだと思います」

―― ずっとここに掲げてあるんですか?

黄善徹「これは外せないんですよ。外すと、『あれは?』とお客さんに訊かれてしまうので」

―― SFファンで、これを見に来る人とかもいるんでしょうね。

黄善徹「いますね、それは。SF関係では、隣に夢枕獏さんのものがあります。それから、2階に平井和正さんの色紙があります。栗本薫さん・中島梓さん、両方のサインが入ったものもあります」

―― お父さまからお店を継がれたのは、いつ頃なんでしょうか?

黄善徹「継がれたというか、親父が亡くなるまではずっと「後継者」で、パンフレットにも「後継者」と書かれているんですよ(笑)。もう、中学生の頃から後継者と勝手に決められていました。皿洗いから始まって、もうずっとです」



―― 中学生の頃から運命が決められていたんですか?

黄善徹「そうです。気がついたら、もう逃げようがないという…(笑)。」

―― 逃げようとは、なさらなかったんですか(笑)?

黄善徹「それ、福島正実さん(〈SFマガジン〉初代編集長)にも言われましたよ。『君、何でここにいるの? 何が面白いの?』って」

―― はい?

黄善徹「福島さんを車で家まで送って行った時に、そう言われたんですよ。……イヤな顔して運転していたのかなぁ? 何だか、わからないけど(笑)」

―― 「言われるままに、後を継いでいいのか」というようなことですか?

黄善徹「そう、福島さんって、壊すタイプね。造っては壊すタイプ。そういう話し方なんですよ。『え?』と思ったことは記憶にありますけど、福島さんの家に着く頃には、『俺、出なくてはいけないのかな。いっそこのまま、どこかへ行ってしまおうかな』という雰囲気になってきたのね」

―― 恐ろしい…というか、福島さんらしいです。そそのかされてしまうんですね。

黄善徹「そそのかされるって、正にそうだよね。『若い時は一度しかないんだよ、君』っていう感じで。まあ、お酒が入っていますからね(笑)。『でも、何か残さなくてはいけないんだよ』と言うんですよ」

―― はあ。いきなりそう言われても、困りますよね。

黄善徹「『難しいんじゃない、それ? …… 全然、具体性がない』とか思って。まあ、福島さんの頭の中にはそれが出来あがっているんでしょうけどもね」

―― それは、お幾つの頃のことですか?

黄善徹「大学2~3年生の頃かなぁ。すっかり店を継ぐつもりでいるのに、もう、びっくりしましたよ」

―― SF作家クラブ自体が、福島さんがまず動かしたというのがよくわかりますね。やはり、そういうエネルギーがないとできないですからね。

黄善徹「いつも、決然と立ち向かうという感じだもんね。」

――SF作家クラブの集団の中でも、福島さんが目立っているという感じでしたか?

黄善徹「目立つも何も、親父が僕を呼ぶんですよ。『おい、福島さんをお宅まで車で送って行け』って。そうすると、乗るんですよ。全然、遠慮しない(笑)」

―― それは、かなりの特別待遇ですよね。いっしょに宴会をしていた他の方々はみんなそれぞれで帰るわけでしょう?

黄善徹「その集まりには、手塚治虫先生も来ていましたよね。本来なら、手塚先生って、別格でしょう? それが、別格なのは福島さんなんだよね」

―― なるほど。では、他の方は「駅までついでに乗せて行って」とかもなかったわけですね。

黄善徹「そう、一緒には乗らない。乗ってもいいのにね」

―― で、乗っている間は、お説教ですか?

黄善徹「いや、何か考えていますね。で、突然しゃべり始めるんですよ。で、そこから説教が始まっちゃう(笑)」

―― 毎回、そうだったんですか?

黄善徹「いや、いろいろ教えてくれるんです。豊富な知識がありますから。『今日はこういう人に会ったけど、ああいう人は……、君、どう思う?』とか。そう言われても、僕にはわからない。『全然わかりません』とか答えると、『どうしてわからないの?』と怒られたりして」

―― それも、福島さんらしいですね。

黄善徹「でも、知識を拡げてもらいましたよ。『世の中、いろいろな人がいるんだな』ってね。『こういう、しっかりした奴もいるんだ』とか『こういうダメな奴もいる』とか、聞かせてもらいました」

―― 福島さんの交友関係だと、作家さんとか、編集関係とか?

黄善徹「そのあたり、ちょっとひねって、ぼかしながらね。きっと、普段は無口で思慮深い人なんだと思いますよ。あれだけしゃべるということは。でも、いいお客さんでしたよ。福島さんが来る時は、いつも宴会でした」

―― いつも来る時は、集団だったんですか?

黄善徹「そう。忙しかったんでしょうね。自分の時間なんかないんじゃないですか? 怒鳴りながら歩いて来る時もあったね。決断力が早いというか…、引っ張っていく力がすごく強いんだよね。だけど、その力が強すぎると、引っ張られる方は切れちゃうこともあるって感じかなぁ?」

―― 料理に文句をつけたりとかは、なさらなかったんでしょうか?

黄善徹「それはなかったですね」

―― SF作家クラブの宴会の時の料理はいつも決まっていたんでしょうか?

黄善徹「決まって出していたのは、鍋と腸詰とビーフンかな。お酒は老酒か日本酒でした」



―― ここの老酒は砂糖を入れなくても美味しいんですよね。僕(増田)もここで初めて砂糖を入れなくて飲んだんだ。彼らも入れなかったでしょう?

黄善徹「入れませんでしたね」

―― 最初から老酒なんですか? 「とりあえず、ビール」ではなくて?



黄善徹「ああ、最初はビールでしたね。でも、何ていうんですかね、宴会が始まる時の空気というのが独特で…お酒よりも『対峙の世界』という感じで」

―― どういうことですか?

黄善徹「言葉も発しないで、全員がお互いに向き合っているんですよ。入りにくいような緊張感があるんです。殺気というか、オーラというか…」

―― 真剣勝負ですか。それは、貴重なお話ですね。

黄善徹「リラックスした感じは出しているけれども、ちょっと違うんだよね」

―― 福島さんはSF作家クラブの「発足準備会」で「親睦会になってはならない」という意味のことをおっしゃっていますね。

黄善徹「そうそう、そういう感じです。だから、みんな緊張していたのかな。お酒を飲み始めるといったん緊張がほぐれるんだけど、そのうちにまた緊張してくるのね」

―― 他のお客さんはいないんですか?

黄善徹「いませんね。いつも座敷を貸しきっていましたから」

―― それは「宴会」というより、SF作家クラブの「総会」だったんですね。しかも、今の我々の総会のような感じではなくて、みんな殺気立っている…?

黄善徹「そんな感じですね」

―― どのくらいの頻度で来ていたんでしょうか?

黄善徹「年に3~4度かな?」

―― 福島さんがお帰りになるというのは何時頃ですか?

黄善徹「そんなに遅い時間じゃないですね。完全に会は終わっていないんだけど、親父に『おい、送って行け』って僕が呼ばれて、福島さんだけが帰って他の人はまだ残っていて。だから、ちょっと欲求不満な状態で僕が車に乗せるからだったのかなぁ。昔から、偉い社長さんは早めに帰るもんね(笑)」

―― そういう雰囲気だったんですね、なるほど。

黄善徹「調布のお宅まで送って戻ると、1時間か2時間たっていますからね。戻ると大体会は終わっていて、まあ、数人が残っているかいないかという感じだったなぁ」

―― それはきっと、お父さまが気を利かせたんでしょうね。福島さんがいると、ピーンと張りつめた空気になるような感じだったんでしょうから。

黄善徹「でも、『帰らない』と言われれば、それまでですよ(笑)」

―― 中には、大阪からいらしていた方々もいたんですよね。小松左京さんとか、筒井康隆さんとか。

黄善徹「ああ、小松先生は当たりの柔らかい方でね、会とは関係なしに『この辺に来たから』って、よく寄って下さいましたよ。(インタビュー記事とりまとめ中に、訃報に接しました。心からご冥福をお祈り申し上げます。……山珍居およびPW編集部一同) 筒井先生は、父の所によく来ていましたね。あと、手塚先生も個人的にいらしていました。それから、夢枕獏先生、平井和正先生かな、SF関係で、よく見えられたのは」

―― 山野浩一さんも、多分、SF作家クラブがらみでここを知って、それで来ていたんだと思います。そういう意味ではNW-SFの聖地でもあるんですよ、ここは(増田)。

黄善徹「そういう方々もいらしていたんですね」

―― SF作家クラブというと、奇行で有名だったりもしたんですが、その類のことはなかったんですか?

黄善徹「いや、まともじゃなかったですか? 赤塚不二夫先生と比べれば(笑)。でも、赤塚先生もいい方でね、TV局の取材があったときに来ていただいて、便所用の色紙を描いてもらいました」

―― (色紙を見せていただいて)……これは傑作ですね!(「出たか、ニャロメ!!」という、とても迫力ある色紙です。著作権の関係で、画像でお見せできないのが残念です。)

黄善徹「『便所というのは一番大切なところですよ。人間にとって自分と向き合う一番大切な場所に、先生が一発ピシッと決めてください』と言ったら、『わかった』って。『おまえ、しつこい』とかいろいろ言いながらも描いて下さって」

―― それは、何というか、お二人とも偉いですよね。

黄善徹「だから、墓参りは欠かしませんよ。しつこくせがんで、似顔絵も描いていただきましたし」

―― おお、これは! (似顔絵に「徹ちゃん」のいう文字まで入っている色紙です。同じく著作権の関係で画像を載せられないのが残念です。) ここは、こういった色紙を見るだけでも、来る価値がありますよね。しかも本当に美味しいし。私(宮野)はカラスミ炒飯が大好きなんです。これは、昔からあったメニューなんですか?

黄善徹「いや、ここ10年くらいですね。切り落としのカラスミをたまたま炒飯に入れたら、それを食べたお客さんがTV局に葉書を出したらしく、TV局が突然取材に来たんです。その時にはもう炒飯にカラスミを入れるのを止めていたんですよ。「魚臭い」と抗議されたこともあったりしたので」

―― その葉書をTV局に出したお客さんは、いつも炒飯にカラスミを入れているって勘違いしたんですね。

黄善徹「TV局の人に『それはやっていません』と事情を説明したら、『胸に手をあてて、よく考えてみて下さい』と言われたの。『何それ?』と言ったら、『カラスミ炒飯というメニューで作ればいいことじゃないですか』と言うわけ(笑)」

―― なるほど(笑)。

黄善徹「それで、その場で作ったのがカラスミ炒飯です。貼り紙も作りました」

―― もとからあるメニューのようにしてしまったわけですね。



黄善徹「だから、これもお客さんが育ててくれたんですよね。……ああ、そうですね。こういうアドリブが利くところは、福島さんのおかげかもしれない。『そうか、そうしよう』とスパッと判断する人だったからね。それを見習ったようなところがあるのかもしれない」

―― それがきっかけとなって「山珍居・特製メニュー」として定着したわけですね。

黄善徹「今はビーフンにも入れています。カラスミ・ビーフン」

―― それも美味しそうですね。

黄善徹「これも影響があるかもしれないなぁ。SFさんたちの『何か新しいものを作ろう』という考え方がありますよね。みんながあまり取り入れていないものを取り入れたり、作り方も変えたりしていますから。……まあ、『ひとつじゃないんだ』という見方を教えて戴きましたね、福島さんには」

―― 例の「家出教唆」が、よほど強烈だったんですね。

黄善徹「まず、『何で、お前、いるの?』だもんね。『何で、出ていかないの?』って、その雰囲気からいきなり話されるというのは、虚を突かれました。その時は、ただ『は?』という感じで」

―― それで、本当に跡を継がずに出ていく気になってしまっていたら、福島さん、お父さまに恨まれたんじゃないですか?

黄善徹「いやいや、『それくらいでは出ていかないだろう。気の弱い奴だから』と見込んだのかもしれない。『気を強くしてやろう』と思って言ったのかもしれないし。今にして思えばね」

―― 送ってもらいながら『何で、いるの?』とは、まあ、確かに普通は言いませんよね。

黄善徹「そう、もう『何が起きてもおかしくない世の中だ』という感じだよね。福島さんもあまりものに驚かない人だったんじゃないですかね?」

―― そうかもしれません。SFを読んでいると、たいがいのことには驚かなくなります(笑)。

黄善徹「そういう意味では、若いころにそういうことを言われたのは、人生において有意義でしたよ。だって、今、思い出しても『えっ?』って。……絶対、他の人は言わないことを、しかも、親父の知り合いがいうんだからね。普通は、逆のことをいいますよ。『しっかり修業して、いい料理人になって…』ってね。それがいきなり、『あんた、何してんの?』だもんね」

―― 究極のセンス・オブ・ワンダーですね(笑)。

黄善徹「まあ、親父もね、あまり自由にはさせてくれなかったけれども『食べに行く』とか『旅行に行く』というと、お金をくれたんですよ。それも何かを指定して『これを食べてこい』じゃなくて、『好きなものを食べてこい』と言うんです。だから、料理だけはいろいろ食べさせてもらいました。中国へも、色々なところに行かせてもらいましたよ。あの時代を考えると、よく行かせたよね」

―― それが、今の店の味に反映されているわけですね。これから来ようとしているSFファンへのお奨めメニューは何でしょうか? 福島さんがよく召し上がっていたものとか。

黄善徹「福島さんだったら、チマキ(肉粽)とヒーワン(魚丸…まぐろの上身の中に豚肉を詰めた団子をセロリ―で味付けしたスープ)かな。



それからビーフン(焼米粉)とエンチャン(煙腸…八珍香料を入れた豚のソーセージ)をよく召し上がっていましたね」



―― チマキは僕(増田)も「ここに来たら、これを食べなくては」と言われましたよ。

黄善徹「そういえば、福島さんもチマキをよくお土産にしていました」

―― 貴重な話を伺わせて戴いて、ありがとうございました。最後に、SF好きへのメッセージを何か一言お願いします。

黄善徹「昔ながらの味と伝統を生かしつつ、より進化していますから、是非いらして下さい」



                (2011年6月20日、新宿・山珍居にて)


(付記)筒井康隆「東京諜報地図」(初出〈小説現代〉昭和42年7月号)の中に次のような箇所がある。
   「十二社の仙珍居へ行きましょうよ」
    仙珍居というのは台湾料理の店だが、在日国府軍スパイの巣窟だ。
            (新潮社『筒井康隆全集 第五巻』20頁より)
 この「仙珍居」というのは、多分、「山珍居」のもじりであろうと思われる。



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