「静岡SF大全の舞台裏」高槻真樹

(PDFバージョン:sizuokaSFtaizenn_takatukimaki
 驚くべきことに、静岡SFというものは大変に多い。目下、リストアップしているところでは、ざっと100本ほどになる。東京や大阪ならともかく静岡SFがそんなに多いのか。発掘作業は先入観を捨て、見つけ方のコツをつかむまでが大変だった。しかしそれは大いなる発見の物語でもあったのだ。
 大好評のうちに終わった「東京SF大全」の後を受け、いわばパロディ企画として始まった「静岡SF大全」。第50回の節目を迎える日本SF大会・静岡大会に向けて発表していくべく、大会実行委から依頼を受けた私たちSF評論賞チームの奮闘が始まった。その現在に至るまでの実績はぜひこちらの公式ブログを見ていただきたい。
http://blog.sf50.jp/
 黙っていてもざくざくと出てきてスーベニアブックに掲載された「100本」を選ぶだけでも大変だった「東京SF」のようなわけにはいかないだろう。
「…そんなの、あったっけ?」
私たちはお互いに顔を見合わせて途方に暮れた。最初は「なんとか30本」を合言葉に皆で思い出せる限りの作品をリストアップしていった。
「えーと、『ちびまる子ちゃん』」
「それ、SFか?」
「いや、あったでしょうノストラダムスネタが」
「…苦しいな」
といった具合。
 これでは埒が明かない。そこでだめもとで、ネットで「静岡 舞台 SF」などと打ち込んで検索する作業を繰り返してみた。こんなことでも地道にやってみるもので、じわりじわりと作品がたまり始めた。特徴的なのは、活字作品の数に対して、マンガ・アニメ・映画など、ビジュアル作品の数が相対的に多数を占めることだった。
 SFにかぎらず、ネット上でコツコツとご当地作品を発掘している人は多い。特にマンガ・アニメが顕著で、これはロケハンに使われた土地を探し出して「聖地巡礼」することがファンの間でひそかに流行しているせいかもしれない。好きな作品の世界に入りこんだような感覚が楽しめるからだろうか。
 たとえばよく知られたところでは、丸川トモヒロのマンガ「成恵の世界」。作者の丸川が地元出身のためか、物語の舞台は浜松市である。宇宙人の女の子が彼女になるという一見割とよくある話だが、「成恵の世界=非Aの世界」であり、かなりマニアックなSF知識が土台にある。アニメ化もされ、好評を得た。
 他にも猫部ねこによる「きんぎょ注意報!」は磐田郡がモデルであると一部ファンから指摘されているし、光永康則の「怪物王女」の舞台である笹鳴町は浜松市中区佐鳴台がモデルであるとも言われる。「天体戦士サンレッド」で人気を集めたくぼたまことのシリーズ姉妹編「超絶変身!! アースカイザー」では静岡の各地を舞台に人情味あふれる悪の怪人たちのあたたかな日常が描かれる。
 いずれも作者が静岡出身でありリアルな情景描写が可能であるということもあるだろう。だが静岡を舞台にするということは、大阪や名古屋や福岡を舞台にすることとはまったく意味が異なる。私たちの調べた範囲では、その土地特有の個性がストーリーに大きく関与してくることはほとんどなかった。おおむね東京のもっとも周縁部の地方都市というような扱いである。温暖でのんびりとしていて、それでいて東京と文化的にはほとんど変わらない。「日帰りできる田舎」いわば伊豆のイメージだ。なるほどビジュアル的にほどよくひなびた地方都市を描くためには、静岡は格好の位置にあるのだろう。
 SFの周辺にも視野を広げると天野こずえの「あまんちゅ!」(高校ダイビング部の青春ストーリー)、ばらスィー「苺ましまろ」(不条理マンガ)などこうした作品は多い。
 だがこれではほのぼの日常SFばかりだ。もう少し違った傾向の作品はないものか。そのうちに「そういえば円谷特撮には静岡が多く登場する」と思い出す者が出て、何本かが列挙された。公式ブログでも「ゴジラ対ヘドラ」や「ウルトラマン/恐怖のルート87」などが登場している。近年でも金子ガメラの第1作「大怪獣空中決戦」など不思議と特撮映画は静岡との縁が深い。なぜなのだろう。
 リストを眺めるうちに次第に理由が分かってきた。静岡にはひとつ非常に強烈なランドマークが存在する。富士山だ。静岡というよりは日本を象徴する重要なランドマークのひとつ。特撮が静岡を愛する理由は「ひなびた地方都市」というよりは、むしろこちらだろう。精神的にも重要なランドマークであるからこそ、破壊・攻撃の対象となる。ゴジラには富士山がよく似合う。
 特撮映画以外にも、富士山に注目することでさらに多くの作品を拾い出すことができた。「惑星大怪獣ネガドン」で注目を集めた粟津順監督によるフルCG映画第二弾「プランゼット」もまた、そうした富士山のランドマーク性に注目した結果静岡が舞台となる。なんと侵略宇宙人への対抗手段として富士山火口を使った巨大な破壊砲が登場するのである。
 こうしたランドマークに意味を託していくスタイルは、特撮映画に限らずビジュアル表現全般にみられる特徴だ。だからこそ小説外で静岡SFは一大勢力を成すのだろう。
 たとえばマンガでは、芦奈野ひとし「カブのイサキ」。地球上すべての景観が十倍の大きさになってしまった世界の話で、移動手段として軽飛行機が多用されている。ここに富士登山のエピソードがあるのだが、富士の標高はなんと37760メートル。飛行機を用いての登山は、ほとんど異世界への旅である。黒田硫黄「茄子」の1章で、富士山を舞台に茄子の怪物と闘うエピソードがあるのもまた、同様の動機に基づくのだろう。
 それではこれに対して活字表現はどうだろう。実は非常に大きな勢力を占めるのが純文学系の幻想作品である。代表的なところでは内田百閒「由比駅」がある。東京から鉄道に乗って熱海へ向かううちに、いつもの夢の世界に絡め取られてしまう。このほか泉鏡花の「斧琴菊」は修善寺を舞台とするし、ほかにも岡本綺堂「修善寺物語」、島木健作「赤蛙」など境界領域の幻想的小説には、静岡がよく登場する。横溝正史「女王蜂」も伊豆の孤島が舞台だし、そもそも「金色夜叉」「伊豆の踊子」など、幻想的要素のない作品にまで広げれば、驚くほど多くの静岡小説が存在する。
 だが語り手の多くはこの地の住人ではない。主に東京からやってきた旅人である。夏目漱石が胃潰瘍の治療のため修善寺に滞在したことは有名だが、それだけではない。若山牧水や井上靖、中勘助、坪内逍遥…どれほど多くの純文学作家がここに旅し、時にこの地に居を構えたか。現在ざっと20ヵ所ほどの文学館が静岡県内にあることを示せば、そのかかわりの深さは十分に実感できるだろう(http://literarymuseum.net/lm-list/shizuoka.html)。
 実際に書かれた作品の内容からある程度推理することができる。おそらくは、明治以降の文人たちにとって伊豆・箱根あたりは構想を練る格好の異郷であったのではないだろうか。東京からさほど遠くない手近な非日常。だからそこでは想像力がのびのびと翼をひろげる。煮詰まった頭をほぐし物語をつむぎ出すための契機として、静岡は最適だった。山もあれば海もあり、創作に疲れた心身を癒す温泉場にも事欠かない。
 静岡のこのような特性は活字のSF作品にも大きな影響をあたえ、静岡を舞台にした想像力豊かなSF作品がいくつも生まれている。藤枝静男「田神有楽」や吉田知子の諸作品はほぼSFといっていいだろう。具体的な地名をあげていない場合でも、静岡の歴史や風土に触発されたと思われるSF作品は少なくない。また、瀬名秀明や辻真先、黒葉雅人など、この地に育ったSF作家が豊かな想像力ですぐれた作品を生み出しているのも、静岡の力なのかもしれない。



高槻真樹プロフィール