カテゴリー: ショートショート

「面接試験」立原透耶

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 しかめっ面をした顔、顔、顔。
 緊張して僕は膝の上に置いている手をぎゅっと握りしめた。
「簡単な質問だ」
 と中央のメガネが言った。
「君は……を殺したことがあるかい?」

「円筒の空/ゼナの子供たち」伊野隆之

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 朝を感じる順番はいつも決まっている。最初は遠くから伝わる振動で、次は光だ。光は牧草を目覚めさせ、空気の匂いが変わる。
 羊たちのやかましい声に重なり、羊を追う私の兄弟、姉妹、年かさの子供たちの声が聞こえてくる。
 私は、柔らかくて清潔な藁のベッドの上で身じろぎをし、私の中から聞こえてくる小さな鼓動に耳をそばだてる。
 せわしなく小さな鼓動は、それでいて力強い。私の体内に宿る新しい生命の鼓動だ。
 わずかにずれて聞こえる二つの生命の鼓動。おなかにいる私の子供は二頭だけで、同じ腹の兄弟、姉妹が少ない。同じ母親の乳を吸い、寄り添って暖めあうには少な過ぎる。それを思うと、私は不安になる。子供には、いつだって多くの遊び相手が必要なのに。
「調子はどうだい、ゼナ?」

「ラディッシュ!」片理誠

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「わ~お、びっくり」
 視界の中央で若い男女が軽くのけ反り、目を丸くしてそう言った。棒読み口調で、ご丁寧に小さく万歳のポーズまでして。
 丸めた台本の角で私は頭をガリガリと掻く。
「カット! ストップ、ストップ!」
 音声入力コマンドにより撮影が停止される。高精細だったディスプレイ上のCGが、通常の描画密度に戻った。
 はぁ、とため息が漏れる。
 何だ、今のは? 「わ~お、びっくり」? 子役だって、もう少し気の利いたリアクションをするぞ。ダサいし、古いし、わざとらしいし、何より、台詞が説明になってしまっている。こんな反応じゃ駄目だ。
 こめかみを押さえながら、三台並んだ大型ディスプレイの中央をにらむ。
 向こうもこちらを見返していた。カメラとマイクを通じて、あちらとこちら――バーチャルとリアルの世界――とは結ばれている。画面の中の二人のAIアクターたちとは、自然言語によるコミュニケーションが可能だ。

「交換恩返し」林譲治

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「夜分失礼します、与兵さまのお宅ですか」
「はい、与兵ですけど。あなたは? あんたみたいな美人の若い娘さんに知り合いいないけど」
「私は浦島太郎さんに助けていただいた亀でございます」
「俺は浦島じゃなくて与兵だって知ってるよね?」
「存じてます。与兵さんは、鶴を助けたことは?」
「あぁ、五年くらい前に罠にかかっていたのを助けたかな。それがどうした?」
「その鶴の恩返しで私がやってまいりました」
「はぁ、俺が助けた鶴の恩返しに、どうして浦島太郎に助けられた亀が来るの?」

「レッドライン」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 風は西から吹いてきた。
 香りもなく色もない、冷たく乾いた風だった。それは見知らぬ土地を通りすぎて、草と葉を揺らした。
「おい、真馬(しんま)」
 声をかけられ、真馬は振り向いた。英何(えいなん)だった。
「何を考えていた」
「何も」
「怖じ気づいたんじゃないだろうな」
「まさか。おまえこそ後悔してないか」
「するもんか。早く行きたくてしかたないくらいだ。出発はまだか」
「焦るな。指示を待とう」
 一行は森の外れにある繁みの中に身を隠していた。斥候の帰りを待っているところだ。まだ夜明け前で、あたりは暗い。

「牛殺し」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 名刺に記されていた名前を読んで、光田博夫は困惑した。
「牛殺しのマリス……ですか」
「はい」
 男は頷く。
「確認しますが、あなたの名前が『牛殺しのマリス』なんですか」
「そのとおりです」
 至極当然といった顔付きで、男は答えた。
 三十歳過ぎ、もしくは四十歳くらいかもしれない。小柄で痩せていた。見るからに非力そうだ。度の強い眼鏡を掛け、いささか古びた灰色の背広を着ている。あまり大きくもない会社の事務仕事に携わっている、といった雰囲気の男性だった。到底「牛殺し」などという物騒な名前は似つかわしくない。そしてもちろん、マリスなどという名前とは縁のなさそうな日本人顔をしている。
 博夫は警戒した。この男、変だ。

「縁日」飯野文彦

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 愛用している目覚まし時計そっくりな音だった。てっきり目覚める時刻を知らせていると想った私は、はっと身体を起こしたが、自分がどこにいるのかわからなかった。
「お降りのかたは、お急ぎください」にわかにパニックに襲われた。辺りを見回すうちに音が鳴り止んだ。「発車いたします」
「待ってください」
 考える間もなく駆けだした。古びた電車の車内だった。誰かが、窓を開けて、叫ぶ。
「車掌さん。降りる人がいるよおぉ」

「ほんの少しの未来」大梅 健太郎


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 一週間もの間、インフルエンザウイルスに殺されそうになっていた助手氏だったが、ようやく回復して博士の研究所に戻ってくると、ほんの少し前には無かったものが視界に入った。電気実験室の中央に据え付けられたそれは、電話ボックスサイズの四角いもので、真っ白なのに武骨な印象を受ける。
「これ、なんですか博士」
 助手氏が尋ねると、作業を続けていた白衣姿の博士が答えた。
「タイムマシーンだよ」
「そんなもの、僕が休む前から作ってましたっけ」
「君がインフルエンザに倒れたあと、久々に独りで研究所の掃除をしていたら、なんだかインスピレーションが沸いてね」
「では、もう一度休んだ方がいいですかね?」
 腕組みをした博士は、「いやいや、そんな君の復帰を待っていたんだ」と言ってタイムマシーンを指さした。
「まさか、乗れって言ってます?」

「如月の小紋」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 二月、晴れた日が数日続いた朝、頼乎(よりこ)の母は箪笥から畳紙(たとうがみ)に包まれた着物を取り出す。衣桁に掛けて虫干しをするためだった。
 頼乎は、この日が好きだった。滅多に見られない着物を眼にすることができるからだ。虫干しは換気のために窓を開け放つのでとても寒いのだが、彼女は気にすることなく部屋に居座り、着物の前で長い時間を過ごす。
 楝色(おうちいろ)の江戸小紋、と聞かされている。それがどういう意味なのか、頼乎は知らない。少し青みがかった紫色の布地は一見すると無地なのだが、眼を近付けてみると細かな波のような模様が描かれている。
「こんなに立派な着物があるのは、うちだけよ。これはあなたのお祖母さんのお祖母さんが遺してくれたものなの」

「種蒔くひと」立原透耶

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 ある日、学校からの帰り道、不思議な人に出会った。その女性は真っ黒な服につばの大きな帽子、サングラス、マスクをして、手袋もしていた。

 なにをしてるの?

 と尋ねたぼくに、おねえさんは掠れた声で答えてくれた。

 種を蒔いてるの。こうやって世界中を旅しているのよ。

 おねえさんの足元の土は湿っていて、掘り返して埋めなおした跡があった。

 素敵だね! なんのタネ?

「パープルキー」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 本当に行けるのか。
 真馬の頭に最初に浮かんだ言葉が、それだった。
 本当に“外”に出ることができるのか。
 ならば……。
 その先に続く言葉を発するのには、勇気が要った。
 最初は噂に過ぎなかった。
 ――“外”に出ようとしている者たちがいる。彼らは仲間を集めている。
 じつのところ、こうした噂はこれまでも何度か伝わってきた。嘘か本当か、実際に出ようとして、途中で警備士に捕獲されてしまった者も何人かいると聞いた。しかしそれは散発的なもので、実行者もただのお調子者か粋がっている連中でしかなかった。
 今度も似たようなものだろう、と真馬は思っていた。それでも噂の出所を探らないではいられなかった。
 もしも、もしも本当に“外”に出ようとしている者たちがいるのなら。

「鼠の媚薬」太田忠司(画・YOUCHAN)

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「西東君、“彼”は見つかったかね?」
 鶴間博士に問いかけられたとき、西東時夫は背筋に汗が流れるのを感じた。
「いえ……まだ……」
「そうか。ひょっとしたらもう研究室から逃げてしまったかもしれないね」
 博士は眉間に皺を寄せた。機嫌はよくないようだ。
「もう一度確認しておくが、おかしなウイルスに感染していたとか、そういう危険性はないのだね?」
「はい、それは問題ありません」
「ならば、致し方ないな。サンプルは他にもいるんだし、実験は一からやり直しするしかないだろう」
「すみません……」
「以後、気を付けてくれよ」
 博士が出ていった後、時夫は大きな息をついた。
 とりあえず取り繕うことはできた。しかし、いつまでもこのままにはしておけなかった。
 部屋の隅、薬品棚の後ろを覗き込み、声をかけた。
「おいアル、いるか」
 呼びかけに応じて、白く小さな生き物が顔を出した。
「うまくごまかしてくれたか」

「ナリムの樹」伊野隆之

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 記録されていた生物学者のインタビュー

 母胎樹がナリムを理解する鍵でした。母胎樹の葉の遺伝子解析結果が、ありふれたデコの木と一致したことでも、母胎樹の重要性に関する確信は揺らぎませんでした。
 母胎樹とデコの木は、似ているところもありますが、形態は明らかに異なっています。あれだけ形態が違えば遺伝子解析の結果が一致することはあり得ず、それが逆に母胎樹の特異性を際立たせていると考えたのです。
 ナムタワンⅣの初期入植者は、高度なバイオエンジニアリング技術を有していました。何らかの理由で、デコの木と、ヒトとのハイブリッド化を試みたのではないか。母胎樹は、デコの木とヒトとのキメラなのではないかと。それを確認するには、母胎樹の花と果実のサンプルが必要だったのです。
 行動規範は十分に理解しています。現地の禁忌を犯すようなことは、極力、避けるべきです。ただ、調査を始めてから五年が経過したのにもかかわらず、調査が行き詰まっていたことで、無理をしてしまいました。
 必要なものは、わずかな細胞で十分です。それに、母胎樹の花が咲く新月の夜、ナリムは絶対に外出しません。気づかれるはずがないと思っていました。
 寝静まるまで村の外の森で待機していました。村に入ったのは深夜で、中心部を迂回して母胎樹が植えてある村外れの墓地に向かいました。暗視ゴーグルを使っていたのは、ナリムたちに気づかれる可能性を減らすためです。ええ、気づかれたはずがありません。

「睦月の家長」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 元旦とは一月一日の朝のことである。高橋躯庵(くあん)は父親にそう教えられた。
 彼にとって父親は、すべての規範だった。この星に住む人間としてするべきこと、日本人として守るべき掟について、父親は厳しく、しかし愛情を持って躯庵に教えた。
 元旦にするべきことも、教えてもらった。朝、東の稜線から昇ってくる「初日の出」に向かって手を合わせるのだ。
 そのためには夜が明けないうちから起き出し、家を出て小塚丘(こづかおか)に登らなければならない。
 前日の大晦日は日付が変わるまで起きていて、新しい年がやってくるのを迎えた。だから睡眠時間は足りていない。妻も息子も夜明け前に起きることを嫌がったが、躯庵は有無を言わせなかった。しきたりに従うことが何よりも重要なのだと信じていたからだ。

「冬の子供たち」青木和

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 朝が来て、降り続いていた雪がようやく止んだ。
 なんとか歩けそうだったので、ぼくたちはねぐらにしていた洞窟を出発した。
 雪は粉のように細かくさらさらで、どっさり積もらないかわり融けることもなく、風に舞って地面の上を転がっている。土はなかば凍りつき、足を踏み出すと靴の下でざくざくと崩れるような音をたてた。
 冷たくて乾いた空気がきりきりと頬を刺す。空は真っ白な、霧だか靄だか分からないもので覆われていた。雪が降り出す前のような暗さはないけれど、遠くへ行くほど空と地面との境目が分からなくなる。
 あたりは一面、岩山と荒れ地ばかりが広がっていた。洞窟が見えなくなると、もうどっちから来たのかさえ曖昧になった。
「こっちの方角でいいの?」
 前を歩く〝お兄さん〟の背中に尋ねる。
「ああ」
〝お兄さん〟は前を向いたまま返事した。

「オレオレ詐欺」八杉将司

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「オレオレ、オレだよ。助けて欲しいんだ。車で事故って賠償しなくちゃいけないんだけど、相手がヤクザでさ……」
「古っ」
 タカシは思わずつぶやいて顔をしかめた。今どきそんなアプローチで振り込め詐欺電話をかけてくるやつはいない。オレオレ詐欺の名称で有名になりすぎて、めったに引っかからないのだ。
「振る? そうそう、金を振り込んで……」
「そのフルじゃねえよ、馬鹿」

「代返」立原透耶(画・YOUCHAN)

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 大学なんてくそったるい。一般教養だって? フザケンナ。そんなもんサークルやバイトの方が身につく。親は大学を出ないとダメだっていうが、大学を出たところで大した職につけるとも思えない。一流大学いやせめて二流ならまだ話は違うんだろうけどな。こんな底辺校じゃあ意味なんかない。先輩の話によると、問い合わせを出しても資料すら来ないらしい。くそったれ。
 しかもさ、ムカつく教師がいるんだよな。あの語学のババア。「欠席回数が5回になったら自動的に単位はなくなります」だと。毎回毎回小テストしやがって、中学生かっつーの。テストを受けないと出席にならないし、かといって授業開始直後のテストだけ提出して教室を抜け出すわけにもいかない。授業の途中と終わりに、わざわざ名前を呼んで出欠確認しやがる。クソだるい。フザケンナよ。おれたちは、てめえみたいに老い先短いババアと違って、やることがたくさんあるんだ。タバコ吸ったり酒飲んだりダチと遊んだり……たまにナンパに成功したり。
 今日も不満タラタラ椅子に座っていたら、右端のポニーテールのちょっと可愛い……渡辺なんとかっていう女子が、テストを提出した後、すうっと扉から出て行くじゃねえか。おいおい、だったら最初からサボった方が得だぜ、後2回、名前を呼ばれるんだ。
 そう思って教科書に落書きしたりスマホをいじったりしていると……授業開始後45分ぴったり、始まった。ババアが70人の名前を淡々と呼び始める。
「ウィース」
 仕方なく返事する。
 渡辺なんとかさんの名前が呼ばれた。ほら、な。
 ところが、だ。
「はい」
 とても爽やかな声が響いた。
 まじ?

「椿」飯野文彦

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「まア、いやだわ、真ッ紅なのね……」
「そんなこと知らないわ。赤いんだって白いんだって、散る時が来れア散るでしょうさ。真ッ紅ならどうだって言うのよ」

里見弴「椿」より


 柱時計が、ボンと鳴った。ボリュームを絞って流していたラジオが、放送の終わりを告げる。ふだんは明け方までつづく放送も、日曜の深夜はもうない。
 スイッチを切った。辺りの家々はすでに寝しずまったか、澄ました耳に靴音ひとつ響いてこない。

 六畳の和室に並べて敷いた布団の片方で、うつ伏せになりながら、奈緒美は手にしたポラロイド写真を見つめた。左側に敷いた、もう一つの布団は、無人のままだ。
 叔母が帰ってこない一人の家で、じっとしていられず、厭な胸騒ぎを感じながら、家捜しした。結果、新たに鏡台の引き出しの奥に隠してあるのを見つけた、一枚のポラロイド写真だった。
 十月になったとはいえ、夢中で探しまわったため、汗を掻き、一時間ちょっと前、ガス風呂を沸かし直したほどである。

 新し物好きの叔母は、発売されたばかりのポラロイドカメラを買って、子供のようにはしゃいでいた。
 ――エスエックス70って言って、オートフォーカスもついてるのよ。これで奈緒美ちゃんの成人式、いっぱい、撮ってあげるから。短大の卒業式だって。それに……。
 それに? 何を撮ってくれるの?
 奈緒美の問いに、叔母は曖昧に笑っていたものだ。それなのに。

「AIと幽霊」大梅 健太郎


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 セミが鳴くことを忘れてしまうほどの猛暑の中、博士は研究所の機器の冷却に追われていた。
「冷房機器の更新を、昨年の夏のうちにしておくべきだったな」
 ホームセンターで購入してきた業務用の巨大な送風機を設置しながら、博士はぼやいた。あまりの猛暑のせいで、エアコンはどこのショップでも品切れ状態となり、最速の納品でも半月後と言われてしまっていた。
「今年の夏の高温は、まさに異常です」研究室の真ん中に据え付けられた、ドラム缶のような円柱形のロボットがため息をついた。「いかに優秀な私といえど、昨年の夏の時点で予測することはできませんでした」
「SOWAKAはまだ昨年の夏には存在してなかっただろ」
「だから、できなかったと言ってます」
 ウィーンと機械音が鳴り、ぺろりと舌が出た。ため息機能と、テヘペロ機能。こんなものを人工知能SOWAKAの外装に付ける時間と金銭的余裕があったのならば、昨年のうちに最新式のエアコンを購入しておくべきだったと、博士はため息をついた。
「この暑さはどれくらい続きそうなんだ」

「後継者たち」伊野隆之

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 朝、目が覚めると、久しぶりに自分の体を実感する。今回は三ヶ月近くになる。僕のようなシェアボディの数は限られているから、どうしても退屈な待機期間は長くなる。ベッドの中で寝ている間にこわばった体をほぐしている今の僕は、自分の体をアップロードたちに貸し出している傍観者ではなかった。
 ベッドから起きるとシャワールームに向かって歩き始める。歩行の際の平衡感覚は、体が覚えている。久しぶりでも戸惑うことはない。フローリングの床の感触を足の裏で感じながら、今日こそは上手くいくだろうかと考えている。
 まだ朝七時だ。冷たいシャワーを浴びると頭がはっきりする。アップロードたちは、僕の体を丁寧に使っているから、体調はいい。アップロードたちに貸し出された僕の体は、いつもいいものを食べ、適度な運動をしている。一日の摂取カロリーとカロリー消費のバランスの維持が僕の体を使う際の条件になっているから、おいしいものを食べる経験をするためには、ちゃんと運動をさせるよりない。もちろん、無理をさせることも禁止しているから、疲れが残るようなこともない。適度な食事に適度な運動、必要なケアを欠かすこともないから、僕の体は至って健康なのだった。
 髪を乾かしていると、僕が起きたことに気がついたのか、シェリーがすり寄ってくる。茶色の短毛で、ミックス。放棄された市街地で拾ってきたやせっぽちの子猫は、この家に住んでいる八年の間にでっぷりと太った立派な雌猫になっていた。
「そろそろダイエットだよな」

「花嫁」立原透耶(画・YOUCHAN)

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 ある娘が神に愛された。娘は神を畏れつつも、強く魅せられた。その娘はたいそう美しかったから、あちらこちらで評判になり、ついにある金持ちの跡取り息子に見初められた。
 村人たちは、娘は神の嫁になるのだと断ったが、目の前に大金を積み上げられ、誰も断る言葉が喉から出てこなくなった。娘の両親も、神よりも金持ちの人間に嫁げ、と娘を諭した。
 娘は少しずつ一族の刺青を彫り始めていたが、これも中断された。金持ちの息子は内地からやってきた一族で、娘たちとは種族が異なった。彼らは娘の白い肌、柔らかい手触りを好んだ。刺青を嫌っていた。それで娘は、ほとんどの刺青を断念し、手の甲に少しだけ彫ったまま、嫁ぐことになった。
 刺青がなければ、死後に一族の者がわたしを見つけてくれるかしら、と娘は壁にかけられた花嫁衣装を眺めながら涙をこぼした。

「天使と孔子」片理誠

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《顔認証、完了。あなたをサトウ・サトル様と認識しました。国民ナンバーは、JXAAZB―02150―91542245―253。花山市へようこそ。訪問の目的をお聞かせください》
 独立支援特区を出るなり、〈天使〉が頭上に飛んできた。直径二〇センチほどの碁石のような形をした、ドローンと呼ばれる無人機。全体が光沢のある白色をしている。本体からは四本の細いアームが突き出ており、そのそれぞれの先端では小さなプロペラがプーンと可愛らしく回転している。この回転翼が生み出す揚力によって、ああしてホバリングをしているわけだ。
 その姿を私は感慨深く見上げる。
〈天使〉は独立支援特区にはいなかった。これは高度な市民サービスであり、そのシステムの維持運営にはかなりの費用がかかる。要独立支援者ばかりが集められている独立支援特区は税制面で様々な優遇措置がとられている反面、こういった高級な行政サービスとは無縁な地区なのだ。
 だが、今日からは私も〈天使付き〉の身分だ。やっと国の要独立支援の認定が解除されて、晴れて独立支援特区から出られることになったのだ。十年かかった。

「チュティマの蝶」伊野隆之

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 チュティマ=ウィッタラパヤットは、バンコクのリバーサイドにあるホテルの中庭にいた。植え込みの中に目立たないように置かれた椅子に座り、手にしたタブレットの七インチの画面を見つめている。
 画面の中に映っている着飾った人々とは対照的に、彼女は黒い髪を後ろで縛り、地味なスーツに身を包んでいる。ここで、彼女自身は目立つ必要がない。目立つべきは、新郎と新婦であり、彼女が作り出した蝶だった。

「背中の神様」青木 和

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 ──サイッテーだ。
 俺は、鼻先にぐりぐりと迫ってくる黒い塊に向かって、口の中で呟いた。
 本当はもっと大きな声で言いたいのだが、どうせ伝わりやしない。塊の持ち主は両耳にごついヘッドホンをかけ、スマホの画面に夢中になっている。街中でヘッドホンをしている連中の中には、キャッチセールスやビラ配りよけに無音のヘッドホンをポーズでかけている奴らもいるが、こいつのはガチだ。シャカシャカと音漏れがしているし、スマホの画面はアクションゲームだった。
 いや、こんな奴はヘッドホンがなかったところで背後からの声に気づいたりなんかしないだろう。そうでなければ、芋洗いのような満員電車の中で、背中にリュックサックを背負ったままゲームなんかしない。
 そいつは俺より少し背の高い、そして少し若い──おそらく学生──の若い男だった。いったい何が入っているのかパンパンに膨れたリュックのせいで、専有面積が体の厚みの倍ほどになっている。
 ホームで電車を待っている俺の隣にこいつが並んだときから嫌な予感がしていたが、あいにく的中してしまった。今車両の中でこいつは俺の真ん前に立ち、俺はリュックと抱き合う格好で向かい合っている。

「イサソ=ユガシアムの新刊」八杉将司

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 親はこの世の娯楽が大嫌いだった。
 特に幼いぼくが好みそうな娯楽には憎悪を抱いていた。自分の息子を毒する害悪でしかないと考えていたようだ。
 だから携帯ゲームはもちろんテレビも家に置かなかった。音楽やラジオを聴けるオーディオもない。映画館など劇場にも一度だって連れて行ってもらえなかった。
 漫画も絶対に買ってくれなかった。外で拾ってこっそり持ち帰った漫画雑誌を見つけられたときは、即座に破り捨てられ、児童相談所に通報されてもおかしくないような厳しい折檻を受けた。
 小説も同様だった。児童書やライトノベルがぼくの目に入ることを嫌って、本屋に立ち入ることさえ禁じてしまった。学校の図書室に行けばいくらか娯楽作品も読めただろうが、漫画が見つかったときの罰がトラウマのようになっていたので怖くて近寄ることもできなかった。おかげで小説なるものは長らく国語の教科書に載っている話しか読んだことがなかった。
 ところが、中学に入学したとき、ネットと繋がった電子書籍リーダーを与えてくれた。

「夢見るチンピラと星くずバター」八杉将司

(PDFバージョン:yumemirutinnpirato_yasugimasayosi
 昭彦は畳に転がって、古臭いブラウン管のテレビを見ていた。
 地デジチューナーを取り付けた小さなテレビの画面には、上下に黒帯のつく狭苦しい横長の映像が映っていた。タレントが流行のイタリアン・レストランのカルボナーラを食べてレポートしていたが、画質が荒すぎて説明がなかったら何を食べているのかよくわからなかった。
 部屋のドアがノックされた。昭彦が返事をためらっていたら、乱暴に何度も叩かれた。古い簡易宿泊所の安っぽいドアなので、それだけで蝶番が壊れそうだった。
「俺だ。昭彦だよな。開けろ」
 昭彦は太った体を起こしてドアを開けた。背の高い男が顔をしかめて立っていた。
「兄貴、ドアが壊れる」
 兄貴こと和志はため息をついた。
「探したぞ。苦労させやがって」

「Utopia」川嶋侑希+岡和田晃

(紹介文PDFバージョン:utopiashoukai_okawadaakira
 〈「ポップカルチャー論」学生優秀作〉の第3回は、川嶋侑希+岡和田晃「Utopia」です。
 これまでの「赤との混色」および「キュイジニエの旅」は、2016年度の学生優秀作ですが、今回ご紹介する「Utopia」は、2017年度の履修生の手になる作品です。
 2017年度に集まった学生作品の傾向としては、ワークショップで用いたRPG作品の世界観に準じた作品ではなく、むしろ、そこからインスパイアされつつも、シェアード・ワールドではない、独自の世界観を構築しようという意識がまま見られたことです。
 2016年度は、ファンタジーRPGの古典である『トンネルズ&トロールズ』完全版や、カードゲーム『ブラックストーリーズ』等を用いたワークショップを開催してみましたが、この「Utopia」は古典的なファンタジーRPGのガジェットを用いながらも、あえてスペース・オペラの舞台設定を導入した野心的な試みです。サイエンス・ファンタジーですね。
 むろん、「トンネル・ザ・トロール・マガジン」Vol.2の拙稿「T&TとSFの意外な関係」に見られますように、T&Tのような古典的なRPGはSFとは切っても切り離せないような深い相互影響関係があります。
 なお、「ポップカルチャー論」のレポートでは、作品の一部を切り出し、その光景をスケッチするようなスタイルでも作品として認めています。自然主義文学の創作訓練として、日常の光景をスケッチするという練習方法がありますが、それはSF・ファンタジーやRPGといった、首尾一貫した世界観の提示が求められる作品においても成り立つものと思います。
 問題は、作品を通して、首尾一貫した世界観をどのように表現していくかという点にこそあり、全体のイメージに強度があるならば、細部のみでも魅力は伝わるはずですから。「Utopia」もそのようなタイプの作品で、ここからどう展開するのか、続きが気になってしまいます。
 「SF Prologue Wave」掲載にあたっては、ハイ・ファンタジーとスペース・オペラをうまくマッチングさせるべく、岡和田が補作を行いました。(岡和田晃)




(PDFバージョン:utopia_kawasimayuki
 ――そのためなら、なんでもしてやる。
 セイラの心には複雑な感情が渦巻いていた。激しい欲望が希望と混交しているのだ。その思いは旅が始まる前も、今も、そしてこれからも変わることはない。第一の目的地である〈情報街(ビット)〉を前にして、彼女の興奮は、疲れも吹き飛ぶほどの域に達していた。
 深呼吸してから、もう一度、街の入口にある門を眺める。その向こうに、いくつかの建物と人影が見えた。この街での目的は、計画に必要な情報収集だ。
 しかし、ここまでたどり着くのに、すでに随分時間がかかっている。エルフの森の隅で禁じられた扉を開けたのは、何日前だったろう。もう何ヶ月も経ったかに思える。
 ――あぁ、みんなの心配する顔が目に浮かぶ。お爺様が上手く説明してくれているはずだ。ごめんね。
 背負い袋から〈妖精(エルフ)〉の森で汲んでおいた〈水筒〉を取り出し、僅かに口に含む。〈水筒〉は〈三人目〉に手を貸してくれた老人からもらった。不思議な仕組みで、飲み干しても新たに湧いてくる。これさえあれば、飲み水の心配はいらないだろう。
 高まる心を落ち着かせて、セイラは街に足を踏み入れようとしたが、肝心のことを忘れていた。
 街の手前まで道案内をしてくれた〈九人目〉の老人が、詩のように歌った忠告が頭をよぎる。

 この街に入りたいなら
 嘘は置いて来ることさ
 嘘を見破る者たちに
 追い出されては宿もない
 説明できない虚飾は取り去り
 能弁すぎる口は閉ざせ
 旅人たちはみな寡黙
 思い出にすら嘘はつけない

「どっちもどっち」大梅 健太郎


(PDFバージョン:dottimodotti_ooumekenntarou
 ちゃぷちゃぷという、水の音がする。目を開けると、僕は水の張られた透明な容器の中にいた。小さな部屋に置かれたガラス張りの棺桶、といった感じだ。小部屋にはぼんやりとした照明がともっているが、暗い。自分の身体を見て、丸裸であることに気がついた。
 棺桶の天井を押してみるが、びくともしない。コンコン叩いていると、小部屋の照明が明るくなり、女性の声が聞こえた。
「無事に、起動しましたか」

「わたしが…」飯野文彦

(PDFバージョン:watasiga_iinofumihiko
 彼がはじめてわたしの部屋を訪ねてきたのは、一年と少しばかり前、去年の桜が散りかけた頃のことだった。当のわたしはというと、花見とはまったく無縁の生活を送っていた。
 それより半年ほど前から、やっとこのこと採用されたファーストフード店で、パートをしていた。

 ――あなたは、調理だけを担当して。
 面接を受けたとき、マネージャーに言われた。それが採用の条件だった。客前には出せない容姿の女、それがわたし。差別だと騒いでも、一銭にもならない。かえって惨めさを増すだけだ。経験上、嫌というほど知っている。

 調理を担当をしても、ヘマばかりで、パートの時間は削減された。当然のごとく、給金も減る。元より生活はそれ以上切りつめられないレベルまで下げていたため、どうやってやりくりしていくかばかりが、重くのしかかっていた。
 別の働き口を増やすか。少しばかり景気が良くなったと世間では言っているけれど、わたしのように学歴も技能も持たず、何より醜い女は、やすやすと仕事など見つからない。それ以前に仕事を増やしたら、身体が持たない。
 子どもの頃から決して丈夫ではなかった。ファーストフード店の仕事だけでも、アパートに戻ると、小槌で全身をくまなく叩かれたようで、何もできず、ひたすら回復を願って、横になるしかなかった。
 あの晩も、そうだった。片づけものをしなくては、風呂にも入らなくては、と頭で思いつつも、どうにもこうにも疲れは痛みとなって身動きできず、横たわっていたのだった。