カテゴリー: ショートショート

「クエスト」山口優(画・Julia)

(PDFバージョン:quest_yamagutiyuu

「こんにちは。マナミちゃんのママ」
 わざとらしく私をそう言って見つめ、リリカはにっこりと笑って目を細めた。
「――リリカ……」
 私は戸惑った。リリカと呼ぶべきか、リリカちゃんと呼ぶべきか。娘の友人として接するべきか、かつての親友――いやもしかしたらそれ以上だったかもしれない――として接するべきか、全てが分からず、混乱していた。
 私たち二人の間にできてしまった二六年という年齢差が、私とリリカの間に重く横たわっていた。だが、リリカはそんなもの存在しないかのように、ずんずん私に歩み寄る。
 そして、エプロンをした私の腰に、ぎゅっと華奢な腕を回した。
「会いたかった。ユミ」

「箱の中のX」山野浩一

(紹介文PDFバージョン:hakononakanoxshoukai_okawadaakira
 〈山野浩一未収録小説集〉の第4回目は、「月刊タウン」(アサヒ芸能社)の創刊号(1967年1月)に発表された「箱の中のX」です。
 写真をふんだんに設えた男性向けの情報誌で、「プレイボーイ」のようなアダルトな記事もあれば、ヴェトナム戦争の模様などもレポートされています。
 ここに掲載されたショートショートが、「箱の中のX」でした。2回目からは 「四百字のX」シリーズと銘打ち、「X塔」(2号、1967年2月)、「同窓会X」(3号、1967年3月)といった連載になっています。
 やはり目を惹くのは、手書きの見開きというレイアウトになっていることでしょう(画像)。

 原稿用紙1枚で何ができるか。
 興味深い挑戦で、こうした縛りでコンテストをやってみても面白いかもしれません。
 なお、コピーの際に中央の綴じ部分が読めなくなっているので、私が欄外に当該箇所を鉛筆で添えたものです。

 続報ですが、「数学SF 夢は全くひらかない」の初出が判明しました。川又千秋さんのニューウェーヴSF誌「N」の11号(1971年4月頃、奥付がないので推定)でありました。
 もとは「プラネトイド」という名前でしたが、7号から「N」に改名し、11号は「N」になってから5冊目。
 同じ号に大和田始さんの批評「造反無理・革命有罪」が掲載されています。

 なお、これにはちょっとしたこぼれ話がありまして……。
 岡和田が、まさにこの「造反無理・革命有罪」を調べている際、偶然、存在を知った原稿なのですね。それでコピーを山野浩一さんに送ったので、山野さんの遺品から出てくることになったわけですが、私はすっかりお渡ししたことを忘れてしまっておりました。でも、山野さんはちゃんと持っていてくださったのです。
 今になって、ようやく当時の様子が思い出されました。山野さんも、「数学SF 夢は全くひらかない」を書いた時期のことは、忘却の彼方にあったようでした。
 あまりにたくさんの資料を整理していたがためですが、お恥ずかしい限りです。

 ご協力いただいた、佐藤正明さん、林芳隆さん、三浦祐嗣さん、本間邦博さん、安田圭一さん、巽孝之さんに改めて感謝します。(岡和田晃)




(PDFバージョン:hakononakanox_yamanokouiti
 Kは会社にいる時も家へ帰ってからも、便所に入る時すら手放さない小さな箱を持っている。箱の中を誰にも見せず、尋ねると「Xが入っている」というのである。秘密にされるとよけい知りたくなるもので、会社の慰安旅行の時、同僚のMが眠っているKの枕元に忍び込んで箱の中を覗いてきた。ぼくはMに何が入っていたのかを聞いたが、彼も「Xだ」というのだ。いや、Mだけではない。よく注意してみるとラッシュの電車の中でも競馬のスタンドにも、小さな箱を大事そうに持っている人間はかなりいる。しかもぼくにはどうしても中身を見る機会が訪れなかった。いつか会社の中でも箱を持つ者がふえて、ぼくだけがとり残されていくように思える。遂にぼくはたまりかねて一番力の弱そうな男から無理に箱を奪い取り、そのまま便所の中に逃げ込んで中から鍵をかけた。そして、そっと箱を開いてみた。

「メーターの修理にきました」八杉将司

(PDFバージョン:me-ta-noshuurini_yasugimasayosi
 友人はぼくのことを「怖いもの知らず」とよく言う。
 その言葉だけならぼくが大胆不敵で勇敢な男のように思えるが、そんな格好いい話ではない。誰もが耳をふさぎたくなるほどの怪談を聞かされても、観客が思わず悲鳴を上げるホラー映画を観せられても、ぼくはまったく怖いと感じないのだ。恐怖の感情が乏しいどころかもはや欠落していることに、友人が皮肉で「怖いもの知らず」と言ったに過ぎない。
 でも、そんなことを言われる筋合いはなかった。ぼくは別にそれで困ることはないし、他人に迷惑がかかることもない。友人はつまらないだの、張り合いがないだの文句を言うが、知ったことではなかった。
「そんなおまえの性格が社会の役に立つぞ」
 バーで一緒に飲んでいた古くからの友人がそう言うので、ぼくは憮然と返した。
「大きなお世話だ」
「まあ、話だけでも聞け。俺が大学の神経科学の研究室にいるのは知っているだろ」
「ああ」
「うちの教授が実験の被験者を探しているんだよ。ただ変わった条件があって、それがおまえならぴったりなんだ」
「ぼくの怖がらない性格がか?」
「そうそう、それでな……」

「消えてしまったメッセージ」木本雅彦


(PDFバージョン:kietesimattamessage_kimotomasahiko
 特別支援学校の指導員という仕事をしていると、色々な子供に出会う。
 タケシは喋らない子供だった。
 小学三年生になっているが、喃語──いわゆる赤ちゃんが出すような言葉を数語使うだけで、発語は少なかった。せいぜい二語文が限界だった。
 それでも、身振り手ぶりや、マカトンという簡単な手話を併用することで、彼は周囲に意思を主張していたし、周囲も彼のことを、部外者が想像する以上に理解していた。友達にしろ先生にしろ、付き合いが三年にもなると、以心伝心という部分が出てくるから、当然とも言えた。
 僕が勤めている特別支援学校は、主に軽度から中度の知的障害の子供を受け入れている。軽度の知的障害というのは、だいたい知能指数が50から70程度の子供のことを指す。平均が100なので、普通を基準に考えればやはり低い。
 いくつかある知能検査や発達検査の方法に共通して言えるのは、言語能力が大きな割合を占めるということだ。たとえば指差した絵に書かれている動物の名前を言えるかとか、青い鉛筆はどれ? という質問に回答できるか、など。後者の場合は、青と鉛筆というふたつの属性が合わさったときに理解できるかという設問になる。
 僕は指導員なので、直接試験をすることはないが、試験の様子を見学することはある。その様子を見ていたり、結果の説明を聞いたりしていると、こういう試験で子供の成績というか知能指数の数値を測るというのは、難しいものだなと感じることがある。
 飛行機というものを理解しているけれど、発語できない子供の場合、これはなに? と聞かれると両手を広げてブーンとやったりする。彼は飛行機を理解しているのだが、それを言葉では表現できない。しかし彼にとっては、両手ブーンが言語の替わりなのだ。
 理解力だって意外にあるように思う。僕がタケシと関わっている範囲で感じるのは、多分この子は僕の言っていることをほとんど理解しているであろうということだ。だけど彼自身は言葉を出せないから、もどかしいだろうな、と。
 そんなことを心理士の先生に話してみたところ、
「日常生活での理解ってのは、その前後の流れや習慣や視覚情報から総合的に判断したりする部分が混ざってきます。色々な情報源から得られたものから彼は反応しているので、一見すると言っていることを理解しているように思うかもしれませんが、言語単体の理解力は検査結果として出てくる通りなのです」
 という答えが返ってきた。周囲が思っているほど、彼は「言語」を理解しているのではないというのだ。
 そうなのだろうか。
 そんな疑問を抱えながら、僕は今日もタケシと遊ぶ。

「数学SF 夢は全くひらかない」山野浩一

(紹介文PDFバージョン:yumehamattakuhirakanaishoukai_okawadaakira
 すでに、「朝日新聞」、「讀賣新聞」、共同通信、「日本経済新聞」、「東京中日スポーツ」等で訃報が流れたので、ご承知の方も多いと思いますが……残念ながら、二〇一七年七月二〇日、山野浩一氏は亡くなってしまいました。
 奇しくもこの日は、「SF Prologue Wave」で「自殺の翌日」が公開された日。日付が変わって更新を確認すると、すぐに山野浩一さんにお知らせしました。返事はありませんでしたが、「死滅世代」の反響には本当に喜んでいただけましたので、きっと(お気に入りの作品だった)「自殺の翌日」公開も確認されたものと信じています。「自殺の翌日」再掲が、山野浩一さんの生前最後のお仕事となってしまいました。

 「SF Prologue Wave」での〈山野浩一未収録作品集〉企画の今後についてですが、実は未収録作品は長短とりまぜ、少なく見積もっても二十五作品を超えた数があります。あまり湿っぽくなりすぎるのも山野浩一さんらしくないですので、ひとまず継続していき、そのお仕事を再評価する土壌を少しでも整えていければと思います。

 今回は、遺族のご依頼で私がお部屋の片付けを手伝ったときに発見した、ユニークなショートショート「数学SF 夢は全くひらかない」をお届けします。
 出典は不明なのですが(ご存知の方、お知らせください)、山野さんのお部屋から発見されたのはガリ版刷りのコピーでした。末尾に肩書として(筆者は宇宙塵同人)とあることから、SFファンジンの掲載作と思われます。
 「”話の特集”の「ピース・ホープ・ハイライト・セブンスター・いこい」につづいて懸賞小説第二弾」という記述を鑑みれば、おそらく一九七〇年頃の作品と推定されます。というのも「ピース・ホープ・ハイライト・セブンスター・いこい」は「話の特集」一九七〇年八月号に掲載された作品です。この号の「編集前記」には、山野浩一さんの顔写真と、「ショート・ショートの中から煙草の名前(日本専売公社発売のもの)を一番多く探し出した人10名に『NWSF(ママ)』誌を贈呈します。葉書にて話の特集編集部まで7月15日までにお寄せ下さい」とコメントが添えられていました。
 そう、ちょうど伝説の雑誌「NW-SF」が創刊された時期だったのです。「話の特集」同号の「編集メモ」には、「『NW-SF』誌(季刊・山野浩一単独編集)が創刊された。従来の空想科学小説としてのSFから自由な思考世界としてのSFへ脱皮しようとする意図によるもので、執筆者は山野浩一の他に種村季弘、平岡正明、河野典生、J・S(ママ)・バラード、相倉久人など。定価二〇〇円、送料50円、発行所は杉並区堀之内(編注:以下略)」と添えられていました。
 「数学SF」、「この作品の総和を求めよ!」という”読者への挑戦”がありますが……皆さん、おわかりになりましたか? 正解するとどんな賞品がもらえたのか、ちょっと気になってしまいますね。
 「SF Prologue Wave」の採録にあたって、企画・文字起こしは岡和田晃が担当しました。(岡和田晃)





(PDFバージョン:yumehamattakuhirakanai_yamanokouiti
 市がたつというので一番にやってきたのだが、位置を間違えたのか、いんちき情報にひっかかったのか遠い地のことで判らないが、いちに私の早合点があったようだ。いちいち捜してもいられない知人もいない血のつながった人間ももちろんだ。荷はどうにも重く、にこにこ笑ってもおれず、逃げだしてきただけに似顔絵などで人相がわれているやも知れず、日本中に身のおきどころのないおれには臭いすら気ずかわねばならないのだ。散々な目にあうのはもう三度目などで誰かさんなどにはかかわらず、三下ともつきあわず、さんすけや山椒売りをしながら退散時だけを見計らって、ゆっくり散歩もできない生活に参加してきたのだが、もう死などは怖いとも思わないが、しちめんどうなことはしたくなし、知ることすらさけて忍んでしくしく泣いて生きていくしか能はない。今となってはごろついていた年頃は午後堂々とごきげんになって歩き廻り、ごたくをならべたもんだが、ろくでもない人生だ。ろくろく生き方などというものを考えることはなしに、ロックなどを聞いて、心のドアのロックも忘れ、ついでに人生語録も失ったが、そんなものをトロク考えてきたため釧路くんだりまで流れてくるはめになったのだ。質屋通いをしていた頃はましちゅうもんだ、ナワバリの失地恢復のいいだすと、しちめんどうな手続きののち、結局はやり合ってどんどんぱちぱち、ばかもんばかりがはち合わせ、鉢巻まいて、八幡様におまいりしても、蜂の巣つついたようないちかばちか勝負にや同じこと、結局四苦八苦で生きのびたものの苦労をねぎらってくれるものなどない。喰うや喰わずで靴のすり切れるまで逃げてとうとう北海道。はるばるきたぜ釧路へなどとイキがってもいられない。いい時代は遠い昔、トウのたった身体じゃ出直しもできない。当分この商売続けなきゃ暮らせないのが当世ってものさ。街じゅう市のたつところを捜し廻って、ようやく獣医近くってのを聞き、十二時にやってきたが、はて、しじゅう荷を背負っているだけに今日中さんざん捜し歩くこともできず、苦汁始終なめ続け。十五、十六、十七とおれの過去は暗かったが、今じゃ暗かろうが明るかろうがどうたっていい、せめて市のたつ場所だけでも誰か教えてくれないものだろうか。

「春の光の遅ければ」青木 和

(PDFバージョン:harunohikarino_aokikazu
 筧の水の出が悪い。何か詰まっているかもしれない。様子を見てきてくれと女房のツタが言うので、仁吉は水を引き込んでいるもとの川まで、筧をたどって裏の山を登った。家の前で倅の太郎が遊んでいたので、声をかけて連れてきた。
 川まではほんの少しの距離だったが、かんじきには湿った重たい雪がこってりとまといついてきて、仁吉はすぐに歩くのに難儀するようになった。
 子供を連れてきたのは失敗だったかと後ろを振り返ると、太郎は、藁の雪靴しか履いていないというのに、まるで雪に足を取られることなどないかのようにさくさくと歩を進めていた。
 立ち止まってもたもたとかんじきの雪をはたき落としている父親を、五歳の小さな体が軽々と追い抜いていく。まとった蓑が大きすぎて、足の先しかのぞいていない。まるで蓑虫が歩いているようだ。
「お父う、遅せえぞう」
 蓑虫は、幼い声で生意気を言う。

「収穫の日」大梅 健太郎


(PDFバージョン:shuukakunohi_ooumekenntarou
 ある小山の中腹に、真っ白い直方体の外見をしたA研究所があった。その一室で綺麗に洗濯されたばかりの白衣をひるがえし、博士が言った。
「ついに、新しい発明を完成させたぞ」
 研究所の床拭き掃除をしたばかりで薄汚れた白衣に身を包んだ助手は、博士が手にもっている白熱電球のお化けのようなものを見て、ため息をついた。いつも博士は変なものを発明しては、助手に迷惑をかける。ついさっきも、金魚を空に飛ばす機械が故障し、あたりにぶちまけられた水槽の水を拭いていたところだった。
「また、わけのわからんもんをつくったのですか」
 ふふん、と博士はわざとらしく笑った。
「世界の園芸業界に新風を巻き起こす、画期的発明と言えるかもだぞ」
「金魚が空を飛んでも、観賞魚業界に新風は巻き起こりませんでしたよ」
 助手の言葉には返事もせずに、ちゃらららん、と博士は効果音を口ずさんだ。
「植物成長促進ライト!」
 スイカ一玉はありそうな電球を、博士は助手に向かって突き出した。むしろその形状が発明と言っても差し支えなさそうな感じだ。
「その馬鹿デカい、絶滅危惧種と言っていい白熱電球がですか?」

「自殺の翌日」山野浩一

(紹介文PDFバージョン:jisatunoyokujitushoukai_okawadaakira
〈山野浩一未収録小説集〉
 前回は原稿用紙四十八枚の中編「死滅世代」をお目にかけましたが、いかがでしたでしょうか。
 今回はうって変わって、ショートショートをお届けしたいと思います。こちらから読むのもいいですね。
 今回お届けする山野浩一氏の単行本未収録小説集は、「話の特集」(話の特集)一九七三年三月号に掲載された「自殺の翌日」をお届けします。プラトンの対話篇を皮肉ったような話の運び、切り詰められたロジック、全開のブラックユーモアが冴えていますね。
 面白いのは、この作品が「話の特集」当該号の表紙下部に全文が収まるようにレイアウトされていたことです。そのため、改行は完全に省略されています。
 山野浩一氏ご自身も、こうしたショートショートには愛着があった模様。「ピース、ホープ、ハイライト、セブンスター、いこいなど」が『鳥はいまどこを飛ぶか』(ハヤカワ文庫JA)に収められています。
 ちなみに翌「話の特集」一九七三年四月号には、小松左京のショートショート「オーバー・ラン」が掲載されており、レイアウトは若干異なるものの、これも表紙に全文が収められていました。
 ただし採録にあたっては、読者の便宜を考え、適宜改行を加えました。
 参考までに、表紙の画像をご覧ください(私の手元にあるものなので白黒コピーですが、表紙は本来フルカラーでした)。
 「話の特集」というユニークな雑誌とその文化圏については、矢崎泰久『「話の特集」と仲間たち』(新潮社)に詳しく、あわせて是非ご確認を。
 「SF Prologue Wave」採録にあたって、文字起こし、企画・監修ともに岡和田晃が担当しました。(岡和田晃)



(PDFバージョン:jisatunoyokujitu_yamanokouiti
「なぜあなたは自殺したのかね?」
「自殺なんかしていません。ごらんのように生きています」
「では昨夜このビルから飛び降りたのはあなたではないのかね」
「もちろんです。私は飛び降りていません」
「だが自殺死体があなたのものであることは、肉体的特徴と数人の証言によって証明されている」
「でも自殺した人間がこうして生きているはずはないでしょう」

「NO,NO,NO,NO」片理誠(作・絵)

(PDFバージョン:nononono_hennrimakoto


 空間投影ディスプレイの中で若い女性の顔が大写しになる。それはあくまでも簡易的な平面スクリーンで、高度な3D処理など施されてはいない。画質もかなり粗いものだ。だがそれでも鬼気迫る彼女の表情を伝えるには十分だった。甲高い声がミッション・コントロール室全体に響き渡る。
「追い返せるわけないじゃないですか! 彼らは皆、世界共同機構の正規職員なんですよ? しかも著名な科学者や技術者ばかりです!」
 その広報担当者は、可哀想に、今にも泣き出さんばかりだった。だが、ここで情にほだされるわけにはいかない。山本は科学省、宇宙開発局、深宇宙探査室の室長として、眼前で儚げに輝いている、薄っぺらい、ハンカチ大の画面に向かって、彼女に負けじとあらん限りの声を張り上げる。
「とにかく駄目なものは駄目だ! 誰が何と言おうと今、部外者は断固としてお断りだ!」
「国際問題になります! 機構からの正式な推薦状も届いているんですよ!」
「そんなもんは“のし”をつけて、速達で叩き返してやれッ!」
 腕を払うジェスチャーで一方的に通信を遮断する。
 気がつくとぜぇぜぇと肩で息をしていた。ここ数日、口を開けば怒鳴り合いばかり。世界中が、非公式な形ではあったが、あれやこれやと圧力をかけてくる。
 くそったれめ、とつぶやくと、すぐ隣から「まぁまぁ」と声がかけられた。

「始発バス」飯野文彦

(PDFバージョン:sihatubasu_iinofumihiko
 六月の長雨が降りつづく、どんよりと気怠い朝だった。英美子は、高校に入学してはじめて、バスにした。
 いつもは自転車通学だった。雨の日も雨合羽を着て、自転車に乗っていた。事実、十日ばかり前に梅雨に入ってからも、そうしていたのだ。ところが前日の帰り、もうすぐ家というところで、落ちていた硝子の破片を踏んづけ、タイヤがパンクしてしまった。
 英美子はテニス部に入った。中学時代からやっており、県大会にも出たことがある。それもあって、高校入学と同時に、入部したのである。
 高校の部活は、中学時代とは比べものにならないほど厳しかった。毎日、午後七時まで練習があり、一年生はその後に後片付けやコートの整備をしなければならない。英美子の家から学校まで、自転車で十五分程度である。比較的近いほうだ。同級生の通学時間はほとんどが三十分位だったし、中には電車と自転車を乗り継いで、一時間かかる者もいる。
 前夜の帰宅も、午後八時を過ぎていたため、自転車屋に行けなかった。また朝は早朝練習がある。午前六時半スタートだったが、一年生は準備のため午前六時には登校しなければならない。そのような事情もあって、この日はバスに乗ることにした。
 乗り慣れないこともあって、五時十分過ぎには家を出た。傘を差して歩いて五分ほどのところにあるバス停に向かった。
 まだ時間が早いうえ、強くはないが雨が止みそうもないこともあってか。バス通りに出ても、ときどき車がスピードをあげて行き過ぎるだけで、通行人はおろか、自転車やバイクに乗る者も見られなかった。
 うろ覚えだったが、五時半前後に停車するバスがあり、それに乗れば、十分ほどで学校に着けることは知っていた。しかし、勘違いということもある。バス停に着くと、まっ先に雨ざらしの時刻表を見た。だいぶ古びて、字が薄れていたけれども、五時二十八分のバスがある。
 バス停の後方には、ベンチがあった。掘っ立て小屋のように、板で三方を囲まれているので見えなかったのだが、正面から見ると、先客がいた。年老いた女が、ベンチの片隅に坐っている。
 見知らぬ女だったが、目が合い、微笑んだので、英美子も会釈した。
「どうぞ、お座りになったら」
 断りづらく、傘を折りたたみながら隣に腰を下ろした。
「息子を待ってるんですのよ」

「どろぼう猫」高橋桐矢


(PDFバージョン:dorobouneko_takahasikiriya
 どこからか花の香がただよう、月のきれいな春の夜です。
 小さな空き地に、あちこちから猫たちが集まってきました。オス猫もメス猫も、年寄りも若いのも、柔らかい草の上や、平たい石の上や、石畳の上に適度に離れて、来た順に丸くなって座ります。みな毛づやもよく、身体もふっくらしています。
 月が高く昇る頃、一番奥に座っていた大きな黒猫が、口を開きました。
「おめえはいつも落ち着きがねえなあ」
「あ、親分! そこにいたんすか! 黒くて見えませんでした」
 ふらふらと歩き回っていた若いトラ猫が、黒猫のそばにかけよりました。
 黒猫親分は身体は大きく毛づやもよいのですが、よく見ると丸い顔に古い傷があります。
 トラ猫は、親分の傷跡を、あこがれのまなざしで見つめました。
「この街が平和なのは親分のおかげっす。あの灰色の奴、親分にぶちのめされて、いい気味っす」
 親分は、トラ猫をじろりとにらむと、遅れてやってきたメスの三毛猫に話しかけました。
「三毛、久しぶりだな」
 三毛は、背中としっぽをささっと毛づくろいしてから、答えました。
「ええ、親分さん」
 黒猫は、トパーズのように黄色い目で、三毛をじっと見つめました。
「あいつはどうしたんだ。今日は来てねえようだが」
 三毛は、うるんだ目をそっとふせました。
「知りません。あたしたち、もう別れたんです」

「明けない夜」伊野 隆之

(PDFバージョン:akenaiyoru_inotakayuki
 ここのところ電力が足りない。いつだって薄暗いドームの第三階層は、いつにもまして暗かった。
 天井で心許なく光っているのはシリカの集束ファイバーを通じた地表からの光で、長い一日が終わろうとしている今、消えてしまうのも時間の問題だった。これからの長い夜の間、光源は電灯だけになる。
 節電のために止まった自走路は、ただの錆臭い鉄セラミックコンポジットのベルトで、電源が十分だったときにはうるさいくらいに目に付いた「走るな、危険!」の表示も暗く、目立たなかった。利用者の多い幹線くらいは動かしてもいいだろうに、節電命令は厳格で、非生産部門での電力消費は最小限にするように指示されている。
「まっすぐ帰ってもつまんないよな」
 僕に並ぶようにして、リズムを合わせるように歩いていたヨシアキが言う。お互い配属部署が同じで、シフトも同じ、割り当てられた居住エリアも同じだから、どうしたって一緒にいることが多くなる。今はちょうど十時間のシフトがあけたところだった。
「どこに行ったってつまんないさ」

「奇妙なサイン会」太田忠司(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:kimyounasainnkai_ootatadasi

「田野中正円先生サイン会」という立て看板を見かけたとき、私は思わず足を止めた。
 たまたま訪れた片田舎にある小さな本屋だった。田野中正円といえばノーベル文学賞をも遠からず手中にするだろうと言われている大作家ではないか。いやまさか、そんな著名人がこんなところでサイン会を開くとは。
 大いに疑問に思いながらも、私はその本屋に足を踏み入れた。
 どこといって特徴のなさそうな、ありふれた地方の本屋だった。書架に並んでいるのは雑誌か実用書が主体で、文芸書の類は片隅に追いやられている。
 店の奥にカウンターがあり、そこに若い女性がぽつんと座っていた。短くカットした髪に大きな黒縁眼鏡。一見すると高校生、いや、もしかしたら中学生かもしれない。となるとアルバイトか。でも成人という可能性も捨てられなかった。それくらい年齢の識別が難しい顔立ちなのだ。エプロンの胸元に付けられたプレートには「密原」という名前が記されている。
 女性は私が見つめているのにも気付いていない様子で、文庫本に眼を落としている。
 思いきって声をかけた。
「あの……」
 女性は顔を上げた。

「ソロモンの指輪VR」窓川要


(PDFバージョン:soromonnnoyubiwavr_madokawakaname
 子供の頃、ニュースで見かけた犬用ヘッドマウントディスプレイに、心をときめかせたことがある。飼い犬と一緒にバーチャルリアリティの世界を歩く――想像するだけで楽しかったし、未来の技術に胸が躍った。一つだけ問題だったのは、そのニュースが四月一日付けだったということだ。
 同じく子供の頃、当時流行し始めていた体感型の映画に、夢中になったことがある。音と映像だけでなく、匂いや風まで体感できる――かつてない体験に、大いに興奮したものだ。周囲の大人達は、「こんなの子供だましだ」と概して冷笑的だったけれど。
 月日は流れた。当時まだ物珍しかったバーチャルリアリティ――VR技術は、今や当たり前のものとなっていた。視覚効果だけでなく、嗅覚や触覚を再現する技術も発達し、今やVRには欠かせない要素となっていた。そしてそれは、視覚よりも嗅覚を頼りとする犬たちを、VRへと招待するための根幹となる技術でもあったのだ。
 どこまでも続く夏の高原に、僕は立っていた。
「ちゃんと使えてはいるんですけどね、あんまり乗り気じゃないんですよねえ……」
 気怠げにうずくまる大型犬を撫でながら、彼女はそう呟いた。
「大丈夫です。僕が開発した『ソロモンの指輪』なら、きっと彼が……ハチローくんが望んでいるものが何かも分かる筈です」
 太鼓判を押す僕を見上げながら、彼女は弱々しく微笑んだ。

「士農工商……あと何だっけ?」木本雅彦


(PDFバージョン:sinoukoushou_kimotomasahiko
 教科書から、士農工商が消えた。
 だったら、残された犬とSFは、どうすればいいというのだ。
 僕はいわゆるSF読者だった。そしてSF作家でもあった。だからといって、僕がSFそのものかと問われれば、それはさすがに言い過ぎだろうと思うし、そもそもSFそのものとはなんぞやという質問で切り返したくはなる。
 一方で、この問題について誰も語らないのであれば、僕がSF的なものを代表して考察してみたりしても、それほどバチは当たらないのではないかとも思う。
「なあ、どう思う、マツコ?」
 僕は、隣に座る白い犬に問うた。

「縁結び」八杉将司

(PDFバージョン:ennmusubi_yasugimasayosi
 真二が会社の忘年会を終えてほろ酔い気分で帰っていると、携帯電話が鳴った。珍しく兄からの着信だった。
『真二か。久しぶり。あのな、今度の正月だけどな、うちに帰ってこいよ。三日に村の神社で例祭をやるんだ。おまえに出てほしいんだよ……え? 三日から仕事だ? 休めよ。休めない? 有給も取らせてくれないブラックなのか、おまえの会社。ちょっと上司の電話番号を教えろ。俺が掛け合ってやる……うん? 取る? そうか。無理だったら言えよ。ああ、じゃあ、帰ってきたら駅に迎えにいってやるから。うん、またな』
 電話が切れた。酔いはすっかりさめてしまった。正直、面倒くさいことになったと真二は思った。
 実家のある田舎には就職してから何年も帰っていない。仕事のせいではない。実は三日から仕事はじめというのも嘘だった。
 なにせ帰省しようとしたら電車やバスを乗り継いで何時間もかかるのだ。暮れのラッシュに巻き込まれたらへとへとに疲れるに違いなかった。そのうえ実家の両親は口うるさく、大掃除やお節の準備も手伝わされるだろうからのんびり過ごすこともできなかった。できれば帰りたくない。一人アパートで寝正月を満喫したかった。
 でも、帰省すると伝えてしまった。仕方ない。
 それにしてもあの限界集落寸前の田舎の村に、祭礼行事をするような大きな神社があっただろうかと首をひねった。それらしいもので記憶にあるのは、由縁もわからない小さな祠ぐらいだった。

「故郷への降下」伊野隆之

(PDFバージョン:kokyouhenokouka_inotakayuki
 軌道ステーションでの訓練より、よっぽどひどい状況だった。足下はぬかるんでいるし、天井の配管が水漏れを起こしたかのように、絶え間なく雨が降っている。体が冷え体力を奪われるし、見通しも悪い。それでもリーダーのレイモンドは、変異した木々が生い茂る森の中を、スピードを緩めることなく再入植基地に向かっていた。
 降下から二日が経過している。基地のビーコンから送られてくる信号は、途絶えることなく僕たちをせかしていた。
 荒廃した地球への再入植のために作られた基地は危機に瀕していた。戦争を生き延びた動物との接触があり、基地に感染症が蔓延している。抗生物質や、消毒薬、栄養補助タブレットの備蓄が想定以上の速度で減っていた。僕たちが運んでいるのは、そういった貴重な補給物資であり、僕たち自身が再入植基地への増援部隊だった。
「気をつけろ!」
 森を抜けたところで先頭を行くリーダーのレイモンドが叫んだ。僕たちの前には大量の水、川が荒々しく水しぶきをあげて流れている。事前の情報では川幅も狭く、流量も少ないはずだったのに、降り続いた雨で増水していた。
「どうするんだ?」
 副官のエドガーが尋ねた。
「渡るしかない。この川を越えないと、基地には行けない」
 どうやって川を渡ればいいのか、やり方はわかっている。向こう岸にアンカーを打ち込み、ワイヤーを渡して伝って行けばいいのだ。そのために、僕の装備の中にはワイヤーランチャーがある。
「ハルキ、できるか?」
 レイモンドが僕を見る。向こう岸まで距離があったが届かないほどではない。僕は、マシンアームでワイヤーランチャーを取り出すと、強化された視覚で向こう岸の大きな樹に狙いを定めた。
「あの樹にします」
 射出されたアンカーは、なだらかな弧を描いて向こう岸にある大きな木の幹に突き刺さった。アンカーがしっかりと食い込んでいることを確認したレイモンドは、ワイヤーのこちら側の端を近くの岩に固定する。
「流されそうになってもあわてるな。俺たちなら行ける」
 そう言うと、躊躇なく川の流れに飛び込んでいく。冷たい水にずぶ濡れになることを思うと絶望的な気分になったが、僕たちは、既にこれ以上ないほど濡れていた。

「歓迎の作法」大梅 健太郎


(PDFバージョン:kanngeinosahou_ooumekenntarou
 ある山奥の電波天文台で、今まで観測されたことのない電波が受信された。
「ついに宇宙人からの電波を受信したかもしれません」
 観測技師は、興奮気味に天文台長へと報告した。技師が手にしたデータには、射手座の方向に周期的に電波を発する物体が存在することが、はっきりと示されている。
 台長はそのデータに誤りがないことを確認し、ため息をついた。
「まずは、関係機関に報告だ。君は、このデータが自然現象とは関係のない人工的なものであることを証明するために、観測を続けるように」
 台長の顔が浮かないことに気がついた技師は、恐る恐る尋ねた。
「台長は、嬉しくないのですか」
「そりゃ嬉しいさ。だが、このデータは地球外の知的生命の存在を示しているだけではない」
「ええ。電波の発信源は高速で移動しているので、宇宙船の可能性があります」
「宇宙船を持つような知的生命だぞ。そんな高度な科学力をもった生物が、地球に来たらどうなる」

「続・鏡よ鏡」林譲治

(PDFバージョン:zokukagamiyokagami_hayasijyouji
「鏡よ鏡」
「はい、何でしょうか、お后様?」
「この世で一番美しいのは誰?」
「ええと、それよりですね、お后様。米大統領選後に値上がり確実な株があるんですが」
「私は既に十分な財産を持っている。いまさら利殖をしようとは思わぬ。それより、誰が美しい?」
「あのぉ、そろそろ寒くなってまいりましたが、鍋の美味しい店、一〇選なんていかがでしょう?」
「美味い料理なら料理長に言えば済むだけの話、それより世界で一番美しいのは?」
「ええと、国立美術館でダリ展をやってますが……」
「シュールレアリズム絵画は趣味ではない。そなた、どうしても私の質問には答えたくないというのか?」
「そのようなこと、滅相もない」
「それとも、そなた程度の魔鏡では、こういう世界を相手にした質問は荷が勝ちすぎたか」
「失礼な、手前もそれなりに名の通った魔鏡、世界で一番美しいのは誰かなど、容易い質問で」
「ならば、答えてみよ」
「いえ、それが、そう簡単な話ではございません。時期が悪すぎます」
「時期が悪いとは、どういうことだ?」

「あんた、どこさ?」飯野文彦

(PDFバージョン:anntadokosa_iinofumihiko
 あんた、そう、そこを歩いている、あんた。
 見かけん顔だねえ。どこから来た?
 東京。東京のどこ? 百人町って? ああ、そんな町が、新宿の近くにあるの。それはそれは、遠くからきたもんだね。
 で、何の用があって、こんな山奥まで来たの? ハイキング? この山奥に?
 はははは、こりゃあ、物好きな人もあったもんだ。
 温泉が湧くとか、釣りができるとか、景色 がいいとかだったらわかるけど、何にもないんだよ、ここには。
 悪いことは言わんから、すぐに帰ったほうがいい。熊にでも襲われたら、えらいめにあう。近くに病院もねえし、携帯も通じないから、助けを呼ぶこともできない。
 ははは、アンテナゼロ、やっぱり無理だろ。言わんこっちゃない。それにしても、何で、こんなところへわざわざ来たの? ハイキングなんて、うそうそ。道に迷ったんだろう?
 わかるさ。見たところ、地図も持ってないようだし。リッュクとか水筒とか、何も持っていないもの。
 それに、訳ありだね。わかるさ。道に迷ったからといって、すんなり来られるような場所じゃない。
 死ぬ気?

「睡眠士トリカ」太田忠司(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:suiminnsi_ootatadasi

 ドアを開けると立っていたのは若い小柄な女性だった。短めにカットした髪に幼さの残る顔、そしていささか滑稽なくらい大きな黒縁の眼鏡。少々大きめに見えるダッフルコートと重そうな革のバッグを提げている。
「はじめまして。睡眠外来の戸田先生から連絡をいただきまして参りました」
 女性は挨拶をすると私の前に名刺を差し出した。
 そこには「睡眠士 密原トリカ」と書かれている。
「睡眠士というのは、睡眠療法か何かをされるのですか」
 私の問いに密原トリカという女性はにっこりと微笑んで、
「よく間違われるんですけど、違います。睡眠療法というのは催眠を用いた精神療法の一種です。でも、そういうのに興味はありませんでしょ?」
「ないわけではないが、今の私にはあまり関係ないね」
「だと思います。わたしは睡眠そのものの治療を行うんです。本当は『睡眠療法士』みたいに名乗りたいんですけど、それだとモロに睡眠療法をする人間みたいに思われちゃうんで」
 屈託のない口調だった。私は彼女を応接室に招き入れた。

「人類の進化」高橋桐矢


(PDFバージョン:jinnruinosinnka_takahasikiriya
 部屋に入るなり、強い視線を感じた。
 わたしは視線の主に目を向けた。
 窓際に、大きな犬が前足をきちんとそろえて座っていた。シェパードに似ているがもっと大きく、目つきが鋭い。黒曜石のような目で、わたしのことを値踏みするかのようにじっと見つめている。
「これがうわさのウルフドッグか」
「ああ。そろそろ君が来る頃だと思っていたよ。キャサリンも君に会いたがってる。今、コーヒーをいれるよ」
 朝田教授は、愛想良くほほえんで、手招きした。
「アメリカのブリーダーから手に入れたんだって?」
「ああ、ジョンには、アメリカアカオオカミの血が2分の1入っている」
「それにしては、なかなか賢そうだな。犬の血が強いのかな?」

「鏡の街」片理誠(作・絵)

(PDFバージョン:kagaminomati_hennrimakoto


 カーテンの隙間から覗くと、街の外へ向かってまっすぐに伸びる道が、濡れたように光っていた。中天に浮かぶ満月がやけに明るい。だが上空に靄でもかかっているのか、それでいてくっきりとは見えず、まるで水銀のようにゆらめいている。
 辺りには煙霧のような闇。街路灯はとうの昔にすべて切れてしまっていた。
 時折吹く風が木々の梢を揺さぶる。狐や野ねずみ、兎といった野生動物たちも、今はじっと息を潜めている。
 やがて遠くから、くぐもった、地鳴りにも似た震動が、微かにし始めた。
 私は急いで窓のシャッターを下ろし、素早くカーテンを閉じて振り返る。
「奴がきたよ。さぁ、今夜の夜更かしはもうお終い。自分の部屋に戻りなさい」

「こうして僕はここにいる。」伊野隆之

(PDFバージョン:kousitebokuha_inotakayuki
 幼かった僕は、この公園で戯画化されたモンスターたちを追いかけていた。珍しいモンスターを捕まえるため、日が暮れるまで公園の中を歩き回っていたものだった。その僕が、今はこうして公園のベンチで、空気のように座っている。
「ねえ、いつからここにいるの?」
 等身大のテディベアを従えた少女が目の前にいた。公園の景色にとけ込んでいたはずの僕は、少女の言葉に我に返る。
「えっ、どうしてそんなことを聞くの?」
 質問に質問で返すのはよくないことだ。厳しかった父に言われたことを思い出す。
「だって、ずっといるじゃない」
 少女の時間軸はどれくらいのスケールなのだろうか。彼女は小学校の低学年くらい。この公園で二頭身のモンスターを追いかけていた頃の僕と同じくらいだろう。年齢とともに時間の経過が早くなるというジャネーの法則が正しいなら、ほんの数日でも、彼女にとっては「ずっと」になるのだろうか。
「確かに今日はずっとここにいた」
 昨日もここにいたし、一昨日も、さらにその前の日もここにいた。なのに、そのことを口にするのが、つい、はばかられてしまう。

「みなし教育」窓川要


(PDFバージョン:minasikyouiku_madokawakaname
 自慢じゃないですが、僕はこれまで、数学のテストは毎回白紙で提出していました。分からないんだから、仕方がありません。名前だけは、いちおう書くんですけどね。
 そんな僕でも、このたびなんとか単位を取得し、留年を回避することができました。これは僕自身の努力だけではなく、《みなし教育》制度のお陰でもあります。野球しか知らない僕に数学を身につけさせたんですから、全くとんでもない制度ですよ、これは。
 その日、僕はいつも通りに授業を寝て過ごし、体力を温存し、放課後の部活に全力で取り組んでいました……。

「左目の異世界」高橋桐矢


(PDFバージョン:hidarimeno_takahasikiriya
 セミの声がふってくる、夕暮れの公園。
 ひとり、ブランコをこぐ。前に後ろに。
 このまま、どこかに行ってしまいたい。
 地面に影が長くのびている。お母さんとケンカして、何も持たないで飛びだしてきてしまった。でももう家には帰らない。帰りたくない。お母さんのわからずや。わたしがいなくなって心配すればいい。
「斉藤まりかさん、どうしたの」
 声に、おどろいて足をつく。ふりむくと、5年2組の担任の、鈴木先生がいた。ブランコの後ろに。いつのまに。
「もうとっくに5時を過ぎてるよ。家に帰らなくちゃ」
 だまって、首をふる。鈴木先生は、今年の春、転勤してきた、暗くてジミなメガネの男の先生だ。
 鈴木先生が、ブランコの横に立った。鈴木先生の影とわたしの影が、ならんで長くのびている。
「帰りたく……ないのかな?」
 わたしは地面の影を見ていた。鈴木先生の影の手が動いて、メガネを外した。

「しょうちゃんの噂」飯野文彦

(PDFバージョン:shouchann_iinofumihiko
 学生時代、所属していたサークルの仲間たちと飲んでいたときの話である。
 場所は高田馬場駅からほど近い、安居酒屋の座敷席だった。どういう話の流れだったのかまでは思い出せないけれど、仲間の一人が言った。
「吉祥寺で『しょうちゃん』に会ったら、教えてくれ」
「どこのしょうちゃん?」
「だから吉祥寺だよ」
「吉祥寺のしょうちゃんって言われても……」
 仲間たちは苦笑し、すぐに誰かが、
「それって鉄人のか。それともオバQのほうか?」
 と茶化した。『鉄人28号』にも『オバケのQ太郎』にも〈正ちゃん〉という少年が出てきたからである。
 別に面白い切り返しではなかったけれど、仲間たちはそれなりに笑い、場を和ませようとした。
 ところが、この話を切り出した当人は、とつぜん顔を真っ赤にして、
「冗談で言ってるんじゃない。ほんとだ。気をつけないと、飛んでもない目にあう」
 と怒鳴ったため、場は静まり返ってしまった。
「それじゃあ、何をどう気をつけろって言うんだ?」
 誰かが呆れ半分の口調で言った。
 その顔は、明らかに馬鹿にしていた。どうせたいしたことはない。単なる思いつきレベルで口走ったんだろうが――と書いてあるようだった。ほかの面々も、似たようなものである。
 それが、言い出しっぺの気持ちを逆撫でした。彼は、くっとグラスに入っていた焼酎を飲み干すと、時間いっぱいまで仕切った力士のような勢いで、話し出したのだった。

「ここにいた」大梅 健太郎


(PDFバージョン:kokoniita_ooumekenntarou
「そういやお前、行方不明者リストに名を連ねてたぞ」
 寺井翔(てらいかける)の言葉に、動橋誠(どうはしまこと)はビールジョッキをあおる手をとめた。一瞬、居酒屋の喧騒が遠くなる。
「行方不明者リスト?」
「ああ、行方不明者リスト」
 物騒な言葉だ。二人分の仕事の愚痴を詰めこんで重くなった動橋の胃が、きゅっと締め付けられる。
「俺は今、ここにいるよな?」
「でも、行方不明みたいだぞ」
 寺井は嬉しそうに笑いながら、最後に残った枝豆のサヤをつまみ上げた。

「アクアリウム」倉数茂

(PDFバージョン:aquarium_kurakazusigeru
 その場所で逢おうと決めたのは、場末のビルの水族館という場違いさに惹かれたためかもしれなかった。わたしの思いこみでは、水族館は通常海辺にあるものだったし、大型魚たちがゆったりと遊泳する大水槽や、陽気なイルカやアシカのショーがつきもののはずだった。けれどもその水族館は、みすぼらしい雑居ビルの地下階にあるというのだった。一瞬、どこかの小洒落たバーにありそうな、薄暗い室内に熱帯魚の水槽だけがならぶ息苦しい空間が脳裏に浮かんだが、そんなものではない、七つの海のいきものを蒐めた本格的な水族館だと男はいうのだった。
 好奇心、あるいは懐かしさだろうか。もちろん、そのような見知らぬところに懐かしさを感じるいわれはかいもくないのだが、わたしにはどうやら古びてうらぶれた場所への偏執があるらしい。たとえば閉館寸前の客のいない映画の二番館。地方都市の時代にとりのこされた遊技場。赤錆だらけの鉄工所。そうした場所に行くとなぜだか胸がわくわくしてしまうのだし、二度、三度とおとずれるのも苦ではない、いつか、そう言ったのを覚えていて誘ったのかもしれなかった。

「晴れ、ところにより魚」青木 和

(PDFバージョン:haretokoroniyorisakana_aokikazu
「やだ。何これ」
 少し前から、なんだか生臭い匂いがして気になっていた。匂いの元を探して窓から顔を出し、何気なくベランダに目をやって、思わず声が出た。
 ベランダのあちこちに、薄汚れてくしゃくしゃに丸まったビニール袋が落ちていた。五枚か六枚はあるだろう。
 あたしはサンダルをつっかけてベランダに降りると、火ばさみで一枚つまみあげた。日が当たっているところはぱりぱりに乾いていたが、内側の方はまだ湿っていて、わずかな水がぺしょっと滴った。さっきから感じていた生臭さが急にきつくなる。
 匂いの元はこれだ。