カテゴリー: ショートショート

「奇妙なサイン会」太田忠司(画・YOUCHAN)

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「田野中正円先生サイン会」という立て看板を見かけたとき、私は思わず足を止めた。
 たまたま訪れた片田舎にある小さな本屋だった。田野中正円といえばノーベル文学賞をも遠からず手中にするだろうと言われている大作家ではないか。いやまさか、そんな著名人がこんなところでサイン会を開くとは。
 大いに疑問に思いながらも、私はその本屋に足を踏み入れた。
 どこといって特徴のなさそうな、ありふれた地方の本屋だった。書架に並んでいるのは雑誌か実用書が主体で、文芸書の類は片隅に追いやられている。
 店の奥にカウンターがあり、そこに若い女性がぽつんと座っていた。短くカットした髪に大きな黒縁眼鏡。一見すると高校生、いや、もしかしたら中学生かもしれない。となるとアルバイトか。でも成人という可能性も捨てられなかった。それくらい年齢の識別が難しい顔立ちなのだ。エプロンの胸元に付けられたプレートには「密原」という名前が記されている。
 女性は私が見つめているのにも気付いていない様子で、文庫本に眼を落としている。
 思いきって声をかけた。
「あの……」
 女性は顔を上げた。

「ソロモンの指輪VR」窓川要


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 子供の頃、ニュースで見かけた犬用ヘッドマウントディスプレイに、心をときめかせたことがある。飼い犬と一緒にバーチャルリアリティの世界を歩く――想像するだけで楽しかったし、未来の技術に胸が躍った。一つだけ問題だったのは、そのニュースが四月一日付けだったということだ。
 同じく子供の頃、当時流行し始めていた体感型の映画に、夢中になったことがある。音と映像だけでなく、匂いや風まで体感できる――かつてない体験に、大いに興奮したものだ。周囲の大人達は、「こんなの子供だましだ」と概して冷笑的だったけれど。
 月日は流れた。当時まだ物珍しかったバーチャルリアリティ――VR技術は、今や当たり前のものとなっていた。視覚効果だけでなく、嗅覚や触覚を再現する技術も発達し、今やVRには欠かせない要素となっていた。そしてそれは、視覚よりも嗅覚を頼りとする犬たちを、VRへと招待するための根幹となる技術でもあったのだ。
 どこまでも続く夏の高原に、僕は立っていた。
「ちゃんと使えてはいるんですけどね、あんまり乗り気じゃないんですよねえ……」
 気怠げにうずくまる大型犬を撫でながら、彼女はそう呟いた。
「大丈夫です。僕が開発した『ソロモンの指輪』なら、きっと彼が……ハチローくんが望んでいるものが何かも分かる筈です」
 太鼓判を押す僕を見上げながら、彼女は弱々しく微笑んだ。

「士農工商……あと何だっけ?」木本雅彦


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 教科書から、士農工商が消えた。
 だったら、残された犬とSFは、どうすればいいというのだ。
 僕はいわゆるSF読者だった。そしてSF作家でもあった。だからといって、僕がSFそのものかと問われれば、それはさすがに言い過ぎだろうと思うし、そもそもSFそのものとはなんぞやという質問で切り返したくはなる。
 一方で、この問題について誰も語らないのであれば、僕がSF的なものを代表して考察してみたりしても、それほどバチは当たらないのではないかとも思う。
「なあ、どう思う、マツコ?」
 僕は、隣に座る白い犬に問うた。

「縁結び」八杉将司

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 真二が会社の忘年会を終えてほろ酔い気分で帰っていると、携帯電話が鳴った。珍しく兄からの着信だった。
『真二か。久しぶり。あのな、今度の正月だけどな、うちに帰ってこいよ。三日に村の神社で例祭をやるんだ。おまえに出てほしいんだよ……え? 三日から仕事だ? 休めよ。休めない? 有給も取らせてくれないブラックなのか、おまえの会社。ちょっと上司の電話番号を教えろ。俺が掛け合ってやる……うん? 取る? そうか。無理だったら言えよ。ああ、じゃあ、帰ってきたら駅に迎えにいってやるから。うん、またな』
 電話が切れた。酔いはすっかりさめてしまった。正直、面倒くさいことになったと真二は思った。
 実家のある田舎には就職してから何年も帰っていない。仕事のせいではない。実は三日から仕事はじめというのも嘘だった。
 なにせ帰省しようとしたら電車やバスを乗り継いで何時間もかかるのだ。暮れのラッシュに巻き込まれたらへとへとに疲れるに違いなかった。そのうえ実家の両親は口うるさく、大掃除やお節の準備も手伝わされるだろうからのんびり過ごすこともできなかった。できれば帰りたくない。一人アパートで寝正月を満喫したかった。
 でも、帰省すると伝えてしまった。仕方ない。
 それにしてもあの限界集落寸前の田舎の村に、祭礼行事をするような大きな神社があっただろうかと首をひねった。それらしいもので記憶にあるのは、由縁もわからない小さな祠ぐらいだった。

「故郷への降下」伊野隆之

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 軌道ステーションでの訓練より、よっぽどひどい状況だった。足下はぬかるんでいるし、天井の配管が水漏れを起こしたかのように、絶え間なく雨が降っている。体が冷え体力を奪われるし、見通しも悪い。それでもリーダーのレイモンドは、変異した木々が生い茂る森の中を、スピードを緩めることなく再入植基地に向かっていた。
 降下から二日が経過している。基地のビーコンから送られてくる信号は、途絶えることなく僕たちをせかしていた。
 荒廃した地球への再入植のために作られた基地は危機に瀕していた。戦争を生き延びた動物との接触があり、基地に感染症が蔓延している。抗生物質や、消毒薬、栄養補助タブレットの備蓄が想定以上の速度で減っていた。僕たちが運んでいるのは、そういった貴重な補給物資であり、僕たち自身が再入植基地への増援部隊だった。
「気をつけろ!」
 森を抜けたところで先頭を行くリーダーのレイモンドが叫んだ。僕たちの前には大量の水、川が荒々しく水しぶきをあげて流れている。事前の情報では川幅も狭く、流量も少ないはずだったのに、降り続いた雨で増水していた。
「どうするんだ?」
 副官のエドガーが尋ねた。
「渡るしかない。この川を越えないと、基地には行けない」
 どうやって川を渡ればいいのか、やり方はわかっている。向こう岸にアンカーを打ち込み、ワイヤーを渡して伝って行けばいいのだ。そのために、僕の装備の中にはワイヤーランチャーがある。
「ハルキ、できるか?」
 レイモンドが僕を見る。向こう岸まで距離があったが届かないほどではない。僕は、マシンアームでワイヤーランチャーを取り出すと、強化された視覚で向こう岸の大きな樹に狙いを定めた。
「あの樹にします」
 射出されたアンカーは、なだらかな弧を描いて向こう岸にある大きな木の幹に突き刺さった。アンカーがしっかりと食い込んでいることを確認したレイモンドは、ワイヤーのこちら側の端を近くの岩に固定する。
「流されそうになってもあわてるな。俺たちなら行ける」
 そう言うと、躊躇なく川の流れに飛び込んでいく。冷たい水にずぶ濡れになることを思うと絶望的な気分になったが、僕たちは、既にこれ以上ないほど濡れていた。

「歓迎の作法」大梅 健太郎


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 ある山奥の電波天文台で、今まで観測されたことのない電波が受信された。
「ついに宇宙人からの電波を受信したかもしれません」
 観測技師は、興奮気味に天文台長へと報告した。技師が手にしたデータには、射手座の方向に周期的に電波を発する物体が存在することが、はっきりと示されている。
 台長はそのデータに誤りがないことを確認し、ため息をついた。
「まずは、関係機関に報告だ。君は、このデータが自然現象とは関係のない人工的なものであることを証明するために、観測を続けるように」
 台長の顔が浮かないことに気がついた技師は、恐る恐る尋ねた。
「台長は、嬉しくないのですか」
「そりゃ嬉しいさ。だが、このデータは地球外の知的生命の存在を示しているだけではない」
「ええ。電波の発信源は高速で移動しているので、宇宙船の可能性があります」
「宇宙船を持つような知的生命だぞ。そんな高度な科学力をもった生物が、地球に来たらどうなる」

「続・鏡よ鏡」林譲治

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「鏡よ鏡」
「はい、何でしょうか、お后様?」
「この世で一番美しいのは誰?」
「ええと、それよりですね、お后様。米大統領選後に値上がり確実な株があるんですが」
「私は既に十分な財産を持っている。いまさら利殖をしようとは思わぬ。それより、誰が美しい?」
「あのぉ、そろそろ寒くなってまいりましたが、鍋の美味しい店、一〇選なんていかがでしょう?」
「美味い料理なら料理長に言えば済むだけの話、それより世界で一番美しいのは?」
「ええと、国立美術館でダリ展をやってますが……」
「シュールレアリズム絵画は趣味ではない。そなた、どうしても私の質問には答えたくないというのか?」
「そのようなこと、滅相もない」
「それとも、そなた程度の魔鏡では、こういう世界を相手にした質問は荷が勝ちすぎたか」
「失礼な、手前もそれなりに名の通った魔鏡、世界で一番美しいのは誰かなど、容易い質問で」
「ならば、答えてみよ」
「いえ、それが、そう簡単な話ではございません。時期が悪すぎます」
「時期が悪いとは、どういうことだ?」

「あんた、どこさ?」飯野文彦

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 あんた、そう、そこを歩いている、あんた。
 見かけん顔だねえ。どこから来た?
 東京。東京のどこ? 百人町って? ああ、そんな町が、新宿の近くにあるの。それはそれは、遠くからきたもんだね。
 で、何の用があって、こんな山奥まで来たの? ハイキング? この山奥に?
 はははは、こりゃあ、物好きな人もあったもんだ。
 温泉が湧くとか、釣りができるとか、景色 がいいとかだったらわかるけど、何にもないんだよ、ここには。
 悪いことは言わんから、すぐに帰ったほうがいい。熊にでも襲われたら、えらいめにあう。近くに病院もねえし、携帯も通じないから、助けを呼ぶこともできない。
 ははは、アンテナゼロ、やっぱり無理だろ。言わんこっちゃない。それにしても、何で、こんなところへわざわざ来たの? ハイキングなんて、うそうそ。道に迷ったんだろう?
 わかるさ。見たところ、地図も持ってないようだし。リッュクとか水筒とか、何も持っていないもの。
 それに、訳ありだね。わかるさ。道に迷ったからといって、すんなり来られるような場所じゃない。
 死ぬ気?

「睡眠士トリカ」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 ドアを開けると立っていたのは若い小柄な女性だった。短めにカットした髪に幼さの残る顔、そしていささか滑稽なくらい大きな黒縁の眼鏡。少々大きめに見えるダッフルコートと重そうな革のバッグを提げている。
「はじめまして。睡眠外来の戸田先生から連絡をいただきまして参りました」
 女性は挨拶をすると私の前に名刺を差し出した。
 そこには「睡眠士 密原トリカ」と書かれている。
「睡眠士というのは、睡眠療法か何かをされるのですか」
 私の問いに密原トリカという女性はにっこりと微笑んで、
「よく間違われるんですけど、違います。睡眠療法というのは催眠を用いた精神療法の一種です。でも、そういうのに興味はありませんでしょ?」
「ないわけではないが、今の私にはあまり関係ないね」
「だと思います。わたしは睡眠そのものの治療を行うんです。本当は『睡眠療法士』みたいに名乗りたいんですけど、それだとモロに睡眠療法をする人間みたいに思われちゃうんで」
 屈託のない口調だった。私は彼女を応接室に招き入れた。

「人類の進化」高橋桐矢


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 部屋に入るなり、強い視線を感じた。
 わたしは視線の主に目を向けた。
 窓際に、大きな犬が前足をきちんとそろえて座っていた。シェパードに似ているがもっと大きく、目つきが鋭い。黒曜石のような目で、わたしのことを値踏みするかのようにじっと見つめている。
「これがうわさのウルフドッグか」
「ああ。そろそろ君が来る頃だと思っていたよ。キャサリンも君に会いたがってる。今、コーヒーをいれるよ」
 朝田教授は、愛想良くほほえんで、手招きした。
「アメリカのブリーダーから手に入れたんだって?」
「ああ、ジョンには、アメリカアカオオカミの血が2分の1入っている」
「それにしては、なかなか賢そうだな。犬の血が強いのかな?」

「鏡の街」片理誠(作・絵)

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 カーテンの隙間から覗くと、街の外へ向かってまっすぐに伸びる道が、濡れたように光っていた。中天に浮かぶ満月がやけに明るい。だが上空に靄でもかかっているのか、それでいてくっきりとは見えず、まるで水銀のようにゆらめいている。
 辺りには煙霧のような闇。街路灯はとうの昔にすべて切れてしまっていた。
 時折吹く風が木々の梢を揺さぶる。狐や野ねずみ、兎といった野生動物たちも、今はじっと息を潜めている。
 やがて遠くから、くぐもった、地鳴りにも似た震動が、微かにし始めた。
 私は急いで窓のシャッターを下ろし、素早くカーテンを閉じて振り返る。
「奴がきたよ。さぁ、今夜の夜更かしはもうお終い。自分の部屋に戻りなさい」

「こうして僕はここにいる。」伊野隆之

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 幼かった僕は、この公園で戯画化されたモンスターたちを追いかけていた。珍しいモンスターを捕まえるため、日が暮れるまで公園の中を歩き回っていたものだった。その僕が、今はこうして公園のベンチで、空気のように座っている。
「ねえ、いつからここにいるの?」
 等身大のテディベアを従えた少女が目の前にいた。公園の景色にとけ込んでいたはずの僕は、少女の言葉に我に返る。
「えっ、どうしてそんなことを聞くの?」
 質問に質問で返すのはよくないことだ。厳しかった父に言われたことを思い出す。
「だって、ずっといるじゃない」
 少女の時間軸はどれくらいのスケールなのだろうか。彼女は小学校の低学年くらい。この公園で二頭身のモンスターを追いかけていた頃の僕と同じくらいだろう。年齢とともに時間の経過が早くなるというジャネーの法則が正しいなら、ほんの数日でも、彼女にとっては「ずっと」になるのだろうか。
「確かに今日はずっとここにいた」
 昨日もここにいたし、一昨日も、さらにその前の日もここにいた。なのに、そのことを口にするのが、つい、はばかられてしまう。

「みなし教育」窓川要


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 自慢じゃないですが、僕はこれまで、数学のテストは毎回白紙で提出していました。分からないんだから、仕方がありません。名前だけは、いちおう書くんですけどね。
 そんな僕でも、このたびなんとか単位を取得し、留年を回避することができました。これは僕自身の努力だけではなく、《みなし教育》制度のお陰でもあります。野球しか知らない僕に数学を身につけさせたんですから、全くとんでもない制度ですよ、これは。
 その日、僕はいつも通りに授業を寝て過ごし、体力を温存し、放課後の部活に全力で取り組んでいました……。

「左目の異世界」高橋桐矢


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 セミの声がふってくる、夕暮れの公園。
 ひとり、ブランコをこぐ。前に後ろに。
 このまま、どこかに行ってしまいたい。
 地面に影が長くのびている。お母さんとケンカして、何も持たないで飛びだしてきてしまった。でももう家には帰らない。帰りたくない。お母さんのわからずや。わたしがいなくなって心配すればいい。
「斉藤まりかさん、どうしたの」
 声に、おどろいて足をつく。ふりむくと、5年2組の担任の、鈴木先生がいた。ブランコの後ろに。いつのまに。
「もうとっくに5時を過ぎてるよ。家に帰らなくちゃ」
 だまって、首をふる。鈴木先生は、今年の春、転勤してきた、暗くてジミなメガネの男の先生だ。
 鈴木先生が、ブランコの横に立った。鈴木先生の影とわたしの影が、ならんで長くのびている。
「帰りたく……ないのかな?」
 わたしは地面の影を見ていた。鈴木先生の影の手が動いて、メガネを外した。

「しょうちゃんの噂」飯野文彦

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 学生時代、所属していたサークルの仲間たちと飲んでいたときの話である。
 場所は高田馬場駅からほど近い、安居酒屋の座敷席だった。どういう話の流れだったのかまでは思い出せないけれど、仲間の一人が言った。
「吉祥寺で『しょうちゃん』に会ったら、教えてくれ」
「どこのしょうちゃん?」
「だから吉祥寺だよ」
「吉祥寺のしょうちゃんって言われても……」
 仲間たちは苦笑し、すぐに誰かが、
「それって鉄人のか。それともオバQのほうか?」
 と茶化した。『鉄人28号』にも『オバケのQ太郎』にも〈正ちゃん〉という少年が出てきたからである。
 別に面白い切り返しではなかったけれど、仲間たちはそれなりに笑い、場を和ませようとした。
 ところが、この話を切り出した当人は、とつぜん顔を真っ赤にして、
「冗談で言ってるんじゃない。ほんとだ。気をつけないと、飛んでもない目にあう」
 と怒鳴ったため、場は静まり返ってしまった。
「それじゃあ、何をどう気をつけろって言うんだ?」
 誰かが呆れ半分の口調で言った。
 その顔は、明らかに馬鹿にしていた。どうせたいしたことはない。単なる思いつきレベルで口走ったんだろうが――と書いてあるようだった。ほかの面々も、似たようなものである。
 それが、言い出しっぺの気持ちを逆撫でした。彼は、くっとグラスに入っていた焼酎を飲み干すと、時間いっぱいまで仕切った力士のような勢いで、話し出したのだった。

「ここにいた」大梅 健太郎


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「そういやお前、行方不明者リストに名を連ねてたぞ」
 寺井翔(てらいかける)の言葉に、動橋誠(どうはしまこと)はビールジョッキをあおる手をとめた。一瞬、居酒屋の喧騒が遠くなる。
「行方不明者リスト?」
「ああ、行方不明者リスト」
 物騒な言葉だ。二人分の仕事の愚痴を詰めこんで重くなった動橋の胃が、きゅっと締め付けられる。
「俺は今、ここにいるよな?」
「でも、行方不明みたいだぞ」
 寺井は嬉しそうに笑いながら、最後に残った枝豆のサヤをつまみ上げた。

「アクアリウム」倉数茂

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 その場所で逢おうと決めたのは、場末のビルの水族館という場違いさに惹かれたためかもしれなかった。わたしの思いこみでは、水族館は通常海辺にあるものだったし、大型魚たちがゆったりと遊泳する大水槽や、陽気なイルカやアシカのショーがつきもののはずだった。けれどもその水族館は、みすぼらしい雑居ビルの地下階にあるというのだった。一瞬、どこかの小洒落たバーにありそうな、薄暗い室内に熱帯魚の水槽だけがならぶ息苦しい空間が脳裏に浮かんだが、そんなものではない、七つの海のいきものを蒐めた本格的な水族館だと男はいうのだった。
 好奇心、あるいは懐かしさだろうか。もちろん、そのような見知らぬところに懐かしさを感じるいわれはかいもくないのだが、わたしにはどうやら古びてうらぶれた場所への偏執があるらしい。たとえば閉館寸前の客のいない映画の二番館。地方都市の時代にとりのこされた遊技場。赤錆だらけの鉄工所。そうした場所に行くとなぜだか胸がわくわくしてしまうのだし、二度、三度とおとずれるのも苦ではない、いつか、そう言ったのを覚えていて誘ったのかもしれなかった。

「晴れ、ところにより魚」青木 和

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「やだ。何これ」
 少し前から、なんだか生臭い匂いがして気になっていた。匂いの元を探して窓から顔を出し、何気なくベランダに目をやって、思わず声が出た。
 ベランダのあちこちに、薄汚れてくしゃくしゃに丸まったビニール袋が落ちていた。五枚か六枚はあるだろう。
 あたしはサンダルをつっかけてベランダに降りると、火ばさみで一枚つまみあげた。日が当たっているところはぱりぱりに乾いていたが、内側の方はまだ湿っていて、わずかな水がぺしょっと滴った。さっきから感じていた生臭さが急にきつくなる。
 匂いの元はこれだ。

「AI消費社会」八杉将司

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 俺は無事に蘇生した。
 不治の病に犯され、このままでは余命いくばくもないと知らされた俺は、保険会社の実験的な提案に乗ったのだ。人体の冷凍保存である。未来の治療技術の躍進に命を託した。
 そして、目を覚ました。
 清潔な病室のベッドで俺を出迎えてくれたのは介護ロボットだった。スマートで柔らかそうな乳白色のボディで、目覚めた俺を自然な女性のボイスで優しくいたわってくれた。
 ただそのボディは首元に七色のリボンが取り付けてあったり、頭部には不細工な模様の入った帽子がかぶせてあった。ロボットの洗練された対応はさすが未来と思ったが、そのあたりで台無しになっていた。
 でも、些細なことだ。現在の状況をロボットに教えてもらった。

「冥王の樹」八杉将司

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 初めてそれが芽生えたのは、南米アマゾン盆地を覆う熱帯雨林の奥深くだった。
 誰も踏み入ったことのない密林の大地にひっそり生えた樹木の芽は、人類が知るどのような種類のものでもなかった。
 その新種の樹木を発見したのは、ジャングルに住む先住部族の長老の息子であった。部族間の争いに敗れて奥地に追われた先で見つけたのだ。
 すでに芽は大きく育ち、高さは数十メートルにも達していた。幹は周辺の樹木より何倍も太く、空を突き刺しにいくかのようにまっすぐ隆々と立っていた。
 見たこともない大木に、息子は驚愕した。父である長老は大いに恐れ、ひざまずいた。恐怖のあまり魅入られた長老はここを聖なる地とし、部族はこの地に誰も踏み込ませないことを天命とした。
 近づくものは問答無用で襲い掛かり、殺した。そのためほかの部族は怖がって近づかなくなり、観光ガイドやハンターも危険な地域として決して足を踏み入れることはなかった。

 異常に気がついたのは、森林の環境保全調査で人工衛星の観測画像を分析していた女性の学者だった。

「おさげさん」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 放課後、誰にも見つからないように気をつけながら、そっと廊下を歩いていた。なのに見つかった。
「竹内くん、こんな時間にどこへ行くの?」
 びっくりして振り返ると、教生の密原先生が立っていた。
「もうみんな下校したわよ」
「あ……はい、ちょっと忘れ物が……」
 言い訳を考えながら後ずさりする。密原先生は小さな顔に似合わない大きな眼鏡の向こうから英智(ひでとも)の言葉を確かめるように見つめてきた。
「先生こそ、どうしたの?」
 仕返しのつもりで訊いてみた。
「わたし? わたしは昔を懐かしんでたの」
 密原先生は微笑む。
「この学校、わたしのいた頃からずいぶんと変わったなって」
「先生がここの生徒だったの、何年前?」
「もうずっと昔。そんなことより早く帰りなさいね」
 そう言って先生はいなくなった。英智は、ほっと息をつく。どうもあの先生、苦手だな。早く教生が終わればいいのに。
 少し遅れてしまった。慌てて待ち合わせの場所へ向かう。校舎二階の音楽室。入る前に扉を叩くと「いるぞ」と声がした。

「キャンプに行こう」高橋桐矢


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「キャンプに行こう」という父の言葉を思い出す。
 一人息子であるわたしを喜ばせたかったのだろう。キャンプ用品のカタログを見せながら、テントや寝袋や釣り道具……サバイバルキャンプに必要なものを、指折り数えながら、リストアップしていく。方位磁石も忘れずに。寒くなっても大丈夫なように毛布も。それから雨具も必要だ。リストは何十項目にもなった。
 父はいつも仕事で忙しく、週末もいないことが多かった。それなのに、いや、それだから、か。毎年わたしの学校の夏休みが近くなると、父はどこからか、キャンプ用品のカタログを見つけてきた。
「……パパ」
 呼ばれて、ふっと我に返る。
「ああ、そこにいたのか、ごめん」
 小学校3年生の息子が、心配そうな顔でわたしを見上げている。

「〈手段としての音楽〉の演奏」窓川要


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 開演の拍手も止み静まりかえったコンサートホールに、粘液をかき回す湿った音が響き始めた。客席の聴衆はみな一様に息を呑み、ブルーノの一挙手一投足から目を離すことができなくなっていた。
 タクトが緩やかに弧を描いた。遂に両の眼球が摘出されたのだ。左右ともほぼ同時にステージへと落下したそれらは、ほんの数センチだけ転がり、しかしすぐ粘液に囚われて動きを止めた。それはたったいま息絶えた両生類のように見えた。
 自らの眼球を摘出してもなお、ブルーノは仁王立ちしていた。暗い眼窩はもう何も見ていなかった。金色の前髪が上瞼に絡んでいることなど、微塵も気にならないようだった。彼は静かに両手を顔の高さまで上げ、両のタクトを逆手に持ち直した。

「手間の多い料理店」林譲治

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「すいません」
「へい、いらっしゃい」
「すいません、食べログで見たんですけど、この辺にリットリオというイタリアンレストランがあるはずなんですけど、知りませんか?」
「リットリオかい、うちだよ。俺がオーナーシェフ」
「えっ、食べログだと50席あるレストランって書いてましたけど。ここ、屋台ですよね」
「まぁ、店舗のことはな、いろいろあるんだよ、税金とかよ」
「屋台で本格イタリアンなんてできるんですか? 道具もないみたいだけど」
「そこはまぁ、色々あるんだよ。うちはな、少しでも安くて美味いものを出すのがモットなんだー、だからだよ」
「まぁ、店舗の固定費を抑えるってのはわかりますけどね。大丈夫なんですか」
「大丈夫だよ。ほら、これメニュー」
「あぁ、メニューは本格的だな。これ全部、オーナーシェフが調理できるんですか?」
「できるよ、俺はイタリアで10年修行してきたんだぞ。どれにする?」
「セットメニューもあるのか……いや、単品にしますよ。アクアパッツァなんてできるんですか?」
「できるよ、うちはシーフードでは定評があるんだからな。食べログにも書いてるだろう」
「まぁ、それで来たんですけどね。じゃぁ、アクアパッツァ」

「かあさん、俺だよ俺」林譲治

(PDFバージョン:kaasann_hayasijyouji
「かあさん、俺だよ俺」
「どうした? 一郎かい?」
「そうだよ、一郎だよ」
「それにしては声が変だけど」
「風邪引いたんだよ。それより、大変なんだ。会社の集金の金を落としたんだ200万、あれがないと会社をクビになってしまうんだよ」
「あらまぁ」
「お願いだから、200万貸してくれよ。友達が受け取りに行くから」
「お前本当に、一郎かい?」
「疑うのかい、かあさん。一郎だよ」
「そうかい、だったら本人確認のためにマイナンバーをお言い」
「マイナンバー!?」

「鏡よ鏡」林譲治

(PDFバージョン:kagamiyokagami_hayasijyouji
「鏡よ鏡」
「はい、何でしょうか、お后様?」
「お前に一つ訊きたいことがある、お前は私が后として嫁ぐ前からこの城にあったが、もしかして、お前は前の后の持ち物か?」
「はい、左様でございます。前のお后様は、自分に何かあったら、私に次の后に従えとご命令になられました」
「やはりな、前の后も魔女であったか」
「ご推察の通りです」

「〈彼〉」飯野文彦

(PDFバージョン:kare_iinofumihiko
〈彼〉は言った。
「今日から、ぼくが君の神になる」
 ほかの者から言われたら吹き出していた。何と陳腐な言葉だろう。何とおろかなんだろう。だが〈彼〉は別格だ。〈彼〉が言ったから真実だ。だから、わたしは信じた。実際、〈彼〉の姿が輝いて見えた。
 ついに救われる。わたしの救世主が、ついに現れたのだ。そう本気で思い、感謝したのである。

「ねがいがひとつ」大梅健太郎


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 商店街入口近くにある小さな公園に、目的の「願掛け地蔵」のほこらがあった。ほこらは腰の高さほどのコンクリート製で、横には石の水鉢が据えつけられている。
 その前にかがむと、中の地蔵が見えた。柔和な表情をしているせいだろうか。すっと、目が合ったような気がする。
 風体は、いかにもお地蔵様といった感じだ。しかし、頭にかぶった真っ赤な頭巾が、地蔵の雰囲気には似つかわしくないベレー帽のような形状をしている。
「こりゃまた、お洒落な地蔵だな」
 僕はつい、目の前の地蔵に向かって呟いた。帽子と同じ赤色のよだれかけには、艶やかな光沢がある。地蔵そのものや土台の古ぼけた感じと、これらの衣装やほこらの新しさはかなりミスマッチに思えた。
「で、どうすればいいんだ」
 あたりを見回すと、地蔵の背後に『願掛け地蔵の参り方』と書かれた看板があった。清らかな水を頭に三回かけ、三回願い事を唱える。そうすれば、願いが叶うらしい。

「場末の小さな嵐ヶ丘」木本雅彦


(PDFバージョン:basuenotiisana_kimotomasahiko
 このメタヴァースが、何世代目のメタヴァースなのか、もはや住人たちは把握していない。バージョン管理システムの記録を遡れば、どこでブランチが作られ、どこでタグが作られ、どこでフォークし、どこのバージョンがデプロイされたのか、解析することは可能なのだろうが、日常と区別のつかなくなった仮想現実空間に多少のテコ入れがされたところで、住人は気にとめない。
 人類は、実世界をほぼ捨てた。完全にではない。摂食行為と繁殖行為、それにともなう物理的移動などは、実世界から離れられないが、逆を言えば、実世界は食事とセックスのためだけを目的として、社会システムそのものが作り直され、経済活動をはじめとした諸々の創造的な活動は、すべて仮想現実空間メタヴァースで行われるようになった。
 そんな広大なメタヴァースの片隅に、小さな店がある。
 その店の名前は「嵐ヶ丘」――ネカマバーであった。
 ネカマバーとは、ネカマのバーである。ママはネカマ、店の女の子もネカマ。影を抱えながらも笑うことを忘れない、そんな陽気なネカマとの会話を楽しむための、大人の社交場である。

「愛しのスノーホワイト」青木 和

(PDFバージョン:itosinosnowwhite_aokikazu
「下がってよい」
 王子様が言うと、心得た小姓は黙って一礼し、静かに扉を閉めて出ていきました。
 扉の外は控えの間で、王子様の寝室を警護する家来たちが夜通し詰めていますが、一度扉を閉めてしまえば、王子様が中からベルを鳴らして呼ばない限り開けられることはありません。
 ようやく一人になった王子様はほっと溜息をつくと、ベッドを滑り降り、ガウンをまといました。燭台を手に、壁のタペストリーに向かいます。
 王子様の部屋には、金糸を織り込んだ豪華なタペストリーが二枚かかっていました。分厚い毛織物であるタペストリーの目的は、もちろん石壁の冷たさから部屋を守るためもありますが、もう一つには扉を隠すためでもあります。
 王子様の部屋には、家来たちの控えの間に通じる、いわば表の扉のほかに、もう二枚の扉がありました。
 狩りの風景を描いたタペストリーの裏にある扉は、お姫様の部屋に通じています。姫とは言いますが、つい先ごろ王子様が妻に迎えられた、未来のお妃様です。まだ十六歳とたいそうお若いため、姫様と呼ばれているのです。
 王子様は狩りの風景のタペストリーをほんの少しの間見つめていましたが、すぐに視線をそらせてしまいました。もう何日も、王子様はお姫様の部屋に通じる扉を開けていません。それは王子としての義務をないがしろにすることであり、よくないことです。しかし、王子様はどうしても、お姫様を避けてしまうのでした。お姫様も、そろそろ不審に思い始めているかもしれません。