カテゴリー: 中・短編

「赤との混色」葉月雨音+岡和田晃

(紹介文PDFバージョン:akatonokonnshokushoukai_okawadaakira
〈「ポップカルチャー論」学生優秀作〉
 「SF Prologue Wave」は日本SF作家クラブの総会で公認され、有志によって運営されるネットマガジンです。その関係から、寄稿者は基本的に、SF作家クラブ会員ないし、その推薦を受けた、現在プロとして活躍中の作家ということになります。
 いずれも興味深い作品が展開されていますが、他方で、よりみずみずしい原石のような才能の煌めきに触れてみたい、という方もいらっしゃるでしょう。
 そこで今回は、十代後半から二十代前半、現役の大学生が書いた作品をご紹介していきたいと思います。経緯は以下の通り……。

 私(岡和田)は、二〇一五年から大学で非常勤講師をつとめているのですが、二〇一六年より、勤務先の群馬県の共愛学園前橋国際大学で「ポップカルチャー論」を受け持つことになりました。
 SF・ファンタジー文学の古典を講読しつつ、映像資料を交え、ロールプレイングゲームの方法論を応用したワークショップを展開するなど、さまざまな角度から、単に消費者としての姿勢から一歩踏み出し、ポップカルチャーを学術的かつ批評的に分析する教養を身に着けることを主眼としてきました。二〇一六年の受講生は六十数名。
 期末レポートの課題では、創作と評論、双方をOKとしたのですが、創作として提出されたもののうち、優秀作を皆さんにご紹介したいと思います。今回お披露目する、葉月雨音さん(ペンネーム)の小説「赤との混色」は、二〇一六年の講義から生まれた優秀作。一風変わったホラー作品です。
 「ポップカルチャー論」では、モダン・ホラーについても時間を割き、J・S・シェリダン・レ=ファニュ『カーミラ』、H・P・ラヴクラフト『ダゴン』、藤子・F・不二雄『流血鬼』といった古典的な作品を読み、また吸血鬼文学の歴史についても講義しました。
 それとともに、ゴシックパンクRPG『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』の日本語展開に関わった岩田恵・徳岡正肇の両氏をゲスト講師としてお招きし、同作を応用したキャラクターメイキングやライフパス、簡単なストーリーテリング体験ができるワークショップを展開しました。「赤との混色」は、こうした経緯で生まれた作品なのです。
 ちなみに、『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』は、アメリカ・ホワイトウルフ社が開発した作品で、とりわけ一九九〇年代にはRPG界をほとんど席捲する勢いで、TVドラマにもなりました。現在も根強い人気を誇ります。アトリエサード社より日本語版が出たときには「SFマガジン」や「SFオンライン」で大きく紹介が出ました。つい最近も、関連作品がPCゲームとしてアナウンスされたばかりです。
 有名どころでは、ナンシー・コリンズの〈ソーニャ・ブルー〉シリーズ(ハヤカワ文庫FT)は『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』のシェアードワールドでもあります。映画・原作ともに大ヒットした『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』や、〈トワイライト〉シリーズとも響き合う内容と言えるでしょう。
 『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』の大きな特徴として、貴族のようなヴェントルー氏族、暴れ者だが哲学者のような思慮も持つブルハー氏族、野生を忘れないギャンレル氏族、魔術を用いるトレメール氏族、芸術を愛するトレアドール氏族など、ドラキュラ伯爵のようなイメージに留まらない多彩なヴァンパイア像が提示されています。
 そして「赤との混色」は、そのトレアドール氏族の設定が参考にされています。芸術に魅せられた大学生の語りで進められる作品なのですが、決して「わたし」という一人称を使わず、随所で「赤」のイメージが多重に混交されていく筆致も魅力的。
 なお、ワークショップとして提出された小説の執筆者は、その多くが小説を書くこと自体初めてで、日頃、本を読む習慣すらなかった受講生もいたほど。大学での講義そのものも、プロの作家を育てるよりも大学生に期待される学術的な知見の習得を重視していました。それゆえ課題として提出された小説も、創作的批評としての習熟度という観点から採点を行っております。この点が、他の「SF Prologue Wave」掲載作とは大きく異なります。あらかじめ、ご諒承ください。
 「SF Prologue Wave」での公開にあたっては、片理誠編集長の助言を参考に、岡和田晃が補作を行いました。




(PDFバージョン:akatonokonnshoku_hadukiamane
 真っ白なキャンバスへ色鮮やかなパレットから色を移す。赤を、青を、黄を移していく。鮮やかな色の次は、淡い色。茜を重ね、蒼を加え、橙を混ぜていく。そうやって望む形を、質感を、表現するに相応しい色を探していく……。
 絵を描くことが好きなわけではない。ただ描きたい「もの」があるから筆を動かしているだけ。大学へも、その「もの」を表現するやり方が知りたいから来ているだけ。
 咳き込む。どうにも体調がよくない。妙に身体が重いのだ。もう何年もこの状態が続いているが、いっこうに慣れない。
 不意に、ノックの音が響く。

「マイ・デリバラー(24)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer24_yamagutiyuu
 ああ、あなたがたが中途半端な意志は一切かなぐりすてて、無為なり行動なり、どちらにせよ、はっきりと決意すればいいのに!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 何が起こったのか。
 一瞬、私には全く分からなかった。
 ただ、衝撃を受けて私の身体は大きく空へ放り投げ出され、そして大地に叩きつけられた。それだけを理解した。
 ――なにが……どうなって……。
 つい一瞬前まで、私は燃えさかるパンディオンを見ていた。そこに影絵のように映ったリルリのシルエットを。
 腹部に激痛を感じた。何かに殴られたような痛みだ。鈍く、強く。私は呻いた。
「……殺し損ねましたか」

「夏の終わり」窓川要


(PDFバージョン:natunoowari_madokawakaname
「ユウ君?」
 歩道と溜め池を区切る防護柵にもたれ、池向こうの青山をぼんやり見上げていると、不意に名を呼ばれた。すぐ傍からだった。驚いてそちらを向くと、野球帽を被った男の子が僕の顔を覗き込んでいた。
「……ユウ君だよね?」
 友達に呼びかけるような口振りだった。せいぜい小学三・四年生ぐらいの少年が、そろそろ三十路に差し掛かる僕へ向けるには、いささか不適当な呼びかけに思えた。
 ――馬鹿にされているのだろうか。
 僕には息子も娘もいないし、甥や姪もなかった。子供の知り合いなどいない筈だった。小学生から「君」を付けて呼ばれる心辺りなど、まるでない。
 ――僕が無職だからか。
 ――鬱になり、職を失い、実家に連れ戻された負け犬だからか。
 そんな卑屈な考えが頭を支配しかけて、しかし僕はある疑問に気付いた。少年が呼んでいる名前は、確かに僕のものだったのだ。

「マイ・デリバラー(23)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer23_yamagutiyuu
 わたしが愛するのは、超人のために家を建て、超人のために大地と動物と植物を準備しようと働き、工夫する者である。なぜなら、こうしてかれはおのれの没落を欲するのだから。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 私は幼い頃から父が好きだった。父は初期の宇宙旅行に技術面から携わっており、現在の宇宙旅行の基盤技術、即ち、軌道上の大規模レーザー照射施設、レーザー光帆推進等は父の会社が開発した技術だ。証券会社でアルゴリズムの開発に取り組んでいた母よりも、私は父の仕事に夢とロマンを感じ、そして「仕事」というものをすることを普通だと思い込む私の性向もここから形作られた。
 父が働いていたとき既に、ストック・フィードだけで暮らしている人々は全体の2割になろうとしており、特に若年層でその傾向が増加していたが、私には興味の無いことであった。父は引退して今は母とオーストラリアで暮らしている。二人は祖母も連れて行きたかったようだが、祖母は日本を離れるのを嫌がり、結局――ロボットの介護は信頼できるし安心だと人に言われて――介護施設に預けることにした。
 母は、理知的ではあるが、冷たい印象を私に与えることが多かった。おおらかで如才ない父に対して、周囲に壁を作るような性格であった。しかし、たまに会話の波長が合うと、思いがけず楽しい話を聞くことができた。そんな稀な機会に彼女が語ってくれた人工知能とロボットの発展は、私のロボットに対する知識の基盤となっている。そして、多分私の性格は母親似だ。
 祖母は学校の教師だった。英語の先生だったという。今では存在しない職業だ。みな、機械が翻訳してくれるから、一部の研究者しか外国語を専門に学ばない(正確に言うと、人間の言葉はいったん全て「人工語」と呼ばれる人工知能の独自言語に直され、それが相手の言葉に直されるというプロセスを取る)。しかし彼女が教えてくれた英語の歌は素敵だった。お陰で私は今でもいくつかの英語の歌だけは、原語で歌える。
 これが私が認識していた家族だった――祖父は幼い頃に亡くなったので記憶がない。母方の祖父母や親戚も一緒に暮らしていたわけではないので「家族」というほど親しくは無い。
 そして、そこに一人、加わった存在がいる。
 リルリ――。

「マイ・デリバラー(22)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer22_yamagutiyuu
 あなたはあなた自身の炎で、自身を焼き殺そうと思わなければならない。自身がまず灰となるのでなければ、どうしてあなたは新しいものとなることを望めよう!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 私は垂直離着陸輸送機V-25「パンディオン」が降下してくるのを見つめていた。オーロラ・フライト・サイエンス社製のこの機体は、ジェットエンジンで発電した電力で翼内の多数の電動プロペラを回転させることで飛行する。翼を垂直にすることで、垂直離着陸が可能だ。巨大な後翼の左右各9基、小さな前翼の左右各3基のプロペラが地上に送り込む風は、激しいものの熱はない。それが電動プロペラで推進するパンディオンの利点の一つだという。
 全長十七メートルの機体は、つくば宇宙センターの一角、敷地内の広い芝生に徐々に降下してくる。このパンディオンにはリルリを回復させるための設備がすべて詰め込まれている、と留卯は言っていた。リルリを動かすよりも、設備を持ってきた方がいい。今のリルリを動かすのはリスクだ、とも彼女は言っていた。
 そのリルリは、相変わらず穏やかな笑みを口元に浮かべたまま、目を閉じ、身じろぎもせずに担架に横たわっている。私は無意識にリルリの傍に寄り、その手を握った。美しい横顔を見つめる。
「ご主人、奥さんはきっとよくなりますよ――とでも言うのかな、これが人間のカップルなら」
 留卯が言った。留卯なりの私への気遣いだろうか。だがその言葉は(これは気休めだよ)という意味も含んでいるようだった。そんな含意まで伝わってきたから、留卯の言葉は私をさらにがっくりさせる。私は彼女をにらみ上げた。
「こんな時に軽口とは――あなたらしいわね。そもそも、どっちが主人でどっちが奥さんなんだか。旧い言い回しはどうにもなじまないわね。人間とロボットの組み合わせにはもちろん、女と女の組み合わせにすら」

「マイ・デリバラー (21)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer21_yamagutiyuu
 多くの者はあまりにおそく死に、少数の者はあまりに早く死ぬ。「ふさわしいときに死ね!」という教えはいまだに耳新しい。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 一世代前――人間の情動や自律神経系(Autonomic Nervous System)に関する理解が浅かった頃――自律神経系というのは人間の意思に関係なく動く神経系、という程度の理解しかされてこなかった。しかし現代では、情動を司る扁桃体―視床下部系と合わせ、管理神経系(Administrative Nervous System)という名称が主流になりつつある。略称はANSのままで変わらない為、一般には論争に巻き込まれることを恐れてANSと略したまま使う人が多い。論争を起こしたい人は略称を敢えて使わないが。
 さて、主流派の認識では、ANSは、「人間の意思とは関係なく自律して動く」ものだという旧来の認識を超えて、「人間の意思よりも上位にあるもの」ということになる。自律神経に従って心臓や消化器官がその働きを調整されるように、大脳新皮質も自律神経に従ってその機能、つまり「思考」を調整される。具体的には、「何を考えるか」を調整される。その調整信号が感情と呼ばれるものである――ということだ。
 感情とは何を思考するかを決定するメタ思考とも言うべきものである――と換言できよう。

「死滅世代」山野浩一

(紹介文PDFバージョン:simetusedaishoukai_okawadaakira
〈山野浩一未収録小説集〉
 すでに山野浩一氏が「山野浩一WORKS」(ブログ)やFacebookで発表していることですが、現在、氏は癌で闘病中です。私はここ数年、『山野浩一評論集(仮題)』を編集しており、氏の原稿の収集につとめているのですが、その過程において、これまで単行本や文庫本に収録されていない中・短編小説・ショートショートを発見してきました。
 そこで、恢復祈願を兼ね、〈山野浩一未収録小説集〉と題し、作者の許諾を得たうえで「SF Prologue Wave」にて単行本未収録の小説を紹介していきたいと思います。
 これを機に、山野浩一氏の仕事を、読み直していただけましたら幸いです。なお、作品の歴史的な意義を尊重し、明らかな誤記・誤植を除いて、初出の表現をそのまま踏襲しております。

 最初にお届けする単行本未収録小説は、「死滅世代」。これは「小説推理」(双葉社)一九七三年七月号に掲載された、四百字詰め原稿用紙換算で四十八枚ほどの作品。山野浩一氏曰く、数少ない未来宇宙小説でストーリーテラーな作品ではあるが、非常に陰鬱なトーンが貫かれているがため、単行本に収録しようとすると編集者に必ずはじかれた、とのこと。
 山野氏には、むしろ今の読者に読んでほしいとの期待があり、そのため最初の採録となりました。いま読むと、伊藤計劃『虐殺器官』のような“救いのない”作品が広く受け入れられる現代の「世界内戦」を先取りしていますし、何より「死滅世代」の翌年に発表された「殺人者の空」(初出:「SFマガジン」一九七四年二月号、『山野浩一傑作集Ⅱ 殺人者の空』創元SF文庫所収)に共通するモチーフが散見されます。いわゆるSFの保守本流たるスタイルに挑んだ「開放時間」(「宇宙塵」一九六六年四~六月号、『山野浩一傑作集Ⅱ 殺人者の空』所収)と読み比べるのも一興でしょう。
 「SF Prologue Wave」採録にあたって、「死滅世代」の文字起こしは柳剛麻澄、企画・監修は岡和田晃が担当しました。

 その他、新刊で読める山野氏の小説としては、「X電車で行こう」が『日本SF全集1 1957~1971』(出版芸術社)に、「地獄八景」が『NOVA10 書き下ろし日本SFコレクション』(河出文庫)に、「メシメリ街道」が『日本SF短編50 2』(ハヤカワ文庫JA)および『70年代日本SFベスト集成2 1972年度版』(ちくま文庫)に、「戦場からの電話」が『あしたは戦争 巨匠たちの想像力[戦時体制]』(ちくま文庫)に、「革命狂詩曲」が『暴走する正義 巨匠たちの想像力[管理社会]』(ちくま文庫)に、それぞれ収録されています。
 『山野浩一傑作選Ⅰ 鳥はいまどこを飛ぶか』、『山野浩一傑作選Ⅱ 殺人者の空』(いずれも創元SF文庫)は流通在庫のみのようですが、電子書籍では普通に入手することが可能です。(岡和田晃)




(PDFバージョン:simetusedai_yamanokouiti
 ハイスクールの卒業パーティで一人の女学生が殺された。白いテーブルクロスの上に酒瓶や料理とともに彼女の全裸の死体が並べられ、多くの生徒が次々ナイフやフォークを乳房や眼に突き刺していった。僅かな生命の名残りを思わせる鮮やかな血がテーブルクロスを赤く彩色していった。
 彼女の名はトシ子。私の恋人だった。
 私はホールの片隅でその光景を別世界の出来事のように眺めていた。なぜかその時、国連士官学校への入学試験に対する自信がわいてくるのを感じていた。
 警察では私が見ていた時以上に正確に事件を話すことができた。不思議にナイフを突き刺していった生徒たちの名まで覚えており、トシ子が私から離れてテーブルに近づいた一瞬、横山という生徒が「やろうぜ!」と叫んでナイフを突き刺し、すぐに彼を追って二人の生徒が首を締めながら衣服を脱がし始めた時までの数秒間は私の脳裏に極めて正確な映像となって残されていた。トシ子はその間、声をたてず、僅かに眼を見開いただけで驚きを表現した。生徒たちは興奮し、コップを床に投げつけたり、ナイフやフォークを何本も集めてまわったり、マリファナタバコを一気に吸い込んだりしてその事件に仲間入りしようと急いでいた。
 刑事はいった。
「なぜすぐにとめようとしなかったのかね?」
「とめるって? 彼女はもう死んでいたのです」
「いや、殺されたのは一瞬で仕方ないとしても、その後生徒たちが次々刺していくのをとめることはできただろう?」
「でも、なぜとめるんです? 死んでしまっているのに」
 私はいった。刑事は納得できないというように首を振った。だが私は刑事の気持を尊重する気持にはなれず、帰宅したいという意志を表明するために立ち上がった。
「君は彼女を愛してなかったのかね?」

「マイ・デリバラー(20)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer20_yamagutiyuu
 わたしはわたしのために――稲妻にひと働きしてもらいたいのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「紗那基地、量子エンタングルメント、確立完了」
「三沢基地、確立完了」
「新千歳、確立完了」
 矢継ぎ早に報告が上がってくる。全て人間の声による報告。AIによる完璧な人工音声に慣れた私の耳には寧ろ珍しく、不完全ながら心地よい。
 私は横たわるリルリの傍らに跪き、ずっと彼女の手を握り続け立てていた。
「はぁっはぁっ……はぁっ……はあっ」
 リルリは荒い息を続けている。ロボットには滅多にないことだが、彼らもその演算力を過剰に使用すると、冷却のために呼吸を早くする。
 今、日本中のRUFAIS基地に配置された量子暗号・テレポートサーバは、量子もつれ合いペアによる暗号鍵を中央サーバと共有し、電子一つにつき1ビットの情報を載せてリルリのEUIパラメータを全国のロボット、AGIに届けようとしている。
 それらを今支配する、ラリラのパラメータを排除しつつ。
「紗那管区、排除開始、抵抗軽微」
「新千歳管区、順調に排除中」
 プラネタリウムのような半球の空間の壁面に備え付けられた巨大なサーバ群がうなりを上げる。中央のリルリの息も荒いまま。
 私は強く、強くリルリの手を握りしめた。
「がんばって……リルリ……どうか……」

「マイ・デリバラ―(19)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer19_yamagutiyuu
 わたしの子どもたちが近づいた。わたしの子どもたちが

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 ロボットによって生産が効率化され、労働生産性が増えれば供給が需要をはるかに上回り、デフレになる、という話がかつてあった。しかし、それは間違っていた。需要も増大したからだ。私のやっているビジネスが典型だろう。惑星間旅行。これには、一回で五〇〇〇万円ほどかかる。高額だろうか? しかし、労働者の年収平均が八〇〇〇万円の現在ではさほど高額なものではない。皆がこのような、かつてなら高額とされた商品を喜んで買う。いや、それでも年収に比べて多いだろう、という意見もあるかもしれない。だが、食料費や住居費が安いので、収入の大半をレジャーに使うのは寧ろ普通なのだ。
 ちなみに私の年収は一億円で、平均よりやや高い。羅蘭瑞の年収がちょうど平均あたり、タクシーのレスポンサーはそれよりやや低いあたりか。それに対しストックフィードの額は年間五〇〇万円程度である。コンビニやファミレスの食費や、地下鉄等の交通費は一世代前と同じ水準なので普通に暮らしていくには全く問題ない。食料生産も交通管理もメンテナンスも、全てロボットが自動的にやっているからだ。が、ストックフィードで生きている彼等は、現世代において「人並みの娯楽」とされている惑星間旅行や、「人並みの保険」とされている脳神経コネクトームの定期スキャンとバックアップには手が届かない。
 さて、現代において、人手不足は未だに問題である。人々を引き付ける魅力ある商品のアイディアを持った人が必要だ。消費者は際限なく新しいものを求め、競争は激しい。企画案はいくらあっても足りない。私の所属する旅行業界も例外ではなく、ライバル会社はどこもしのぎを削っている。羅蘭にも、そういう意味で私は期待していた。彼女なりに、どんな旅行をしたいかを考え、それを基に企画をどんどん出してくれることを。それは私には面白い仕事に思える。人はそうしたアイディアさえ持っていればいい。これはロボットにはできない、というより禁じられていることで、人の活躍する余地は充分にあった。そして、活躍しさえすれば、一世代前の人々にとっては信じられないような様々な体験ができる。「あなたも美見里トラベルで火星の大地を踏みしめて見ませんか?」――という具合だ。
 夢のような世界であったのではないだろうか?

「卵巣後宮(らんそうこうきゅう)」間瀬純子


(PDFバージョン:rannsoukoukyuu_masejyunnko

(作者より)

 【残酷描写がありますのでご注意ください】

 この作品は、筆者の連作『異境クトゥルー譚』(仮名)のなかの一編です。
 また直接には『ナイトランド・クォータリー新創刊準備号 幻獣』(アトリエサード刊)掲載の、拙作『血の城』のスピンオフ作品になります。






 後宮は世界を美しく模していた。
 世界とは心帝国が統べる中渦平原である。
 帝国の長は神にも等しい虹玉帝(こうぎょくてい)猊下だ。
 世界の外にも陸があり、人めいた生き物も住んでいるが、猊下の徳にあずかれぬ彼らは心を持たない。
 私は、虹玉帝猊下の坐(いま)す後宮にあまた侍る帝妃の侍女であった。お仕えするのは、第三十七帝妃、鉛涯樹(エンガイジュ)王国の忠姫(ただひめ)さまである。
 私は鉛涯樹王国の農民の娘だ。名を宏根(ひろね)という。従妹で幼馴染みでもある宏葉(ひろは)とともに、忠姫さまに順って後宮まで参った。
 私も宏葉も、嫁ぎも子を産みもしない。
 とはいえ、鉛涯樹王国では王族以外の女人は文字を習うことはないのだ。文字を覚え、世界の中心たる都まで来て、我が姫の支えとなれるのである。私たちは珍しくも尊い一生を与えられたのではなかろうか。

「マイ・デリバラー(18)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer18_yamagutiyuu
 不安でたまらない連中は、こんにち、「どうしたら人間を保存することができるか?」と尋ねている。しかしツァラトゥストラは、唯一の、最初の者として尋ねるのだ。「どうしたら人間を克服することができるのか?」と。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「どうでしたか……?」
 不安そうな顔で私を見る佐々木三尉に、私は頷いてみせた。微笑みは僅かに口元に。それ以上に笑うような状況では、まだ、ない。リルリは部屋に残してきた。人間たちだけでの話し合いというわけだ。
「まあ……50点というところね。無関心ではなく、何らかの関心は……愛憎いずれにせよ、持たせることには納得してもらったといったところ」
 佐々木三尉はそれでも不安げな表情を保ち続ける。
「それはいい妥協点だ」
 留卯はにやりと笑った。

「マイ・デリバラー(17)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer17_yamagutiyuu
 あなたがたはかつて一つのよろこびに対して「然り」と肯定したことがあるのか? おお、わが友人たちよ、もしそうだったら、あなたがたはまたすべての嘆きに対しても「然り」と言ったわけだ。万物は鎖でつなぎあわされ、糸で貫かれ、深く愛し合っているのだ、――

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 サーヴァントのジレンマ、という言葉がある。
 サーヴァントとは奴隷のことだが、より具体的には、AGM―166、JASSM-ER2、コードネーム「サーヴァント」を指す。この最先端の超音速・完全自動巡航ミサイルは、一〇〇〇キロ以上を常時超高速で飛翔する能力を持ち、設定された目標に到達する前に出現するあらゆる脅威を自動判定して回避することができる。戦闘機でも、地対空ミサイルでも、独自に更新し続ける内部モデルによって自動的に脅威度を判定、回避手段も自動的に判断する。
 この「サーヴァント」の進化し続けるAI能力の更新が停止されたと発表されたことから、ジレンマという言葉が生まれた。
 賢くなりすぎたのだ。自己の最大の脅威は、目標に向かって突っ込むことだと判断してしまい、それを回避することを自律的に判断して発射母体の爆撃機に戻ってくるコースを選択してしまった。自爆コードも「脅威」認定されて効かず、味方の戦闘機からの攻撃も回避し続け、最期には燃料切れで墜落して終わった。
 対ステルスレーダーが発展している昨今、サーヴァントは確かに革新的だった。従来のように、ステルス機が露払いとして先行し、敵のレーダー基地を破壊してから、大規模な爆撃部隊が続く、というドクトリンが取れなくなった状況において、サーヴァントは新しいドクトリンをもたらした。即ち、爆撃機が敵陣のはるか手前でサーヴァントを放ちさえすれば、後はサーヴァントが露払いの任務を達成してくれる、というものだ。サーヴァントはそもそもステルスミサイルだが、発見されずに済む保障は現在はない。だが、発見されて撃墜されても人間ではないから問題はない。
 しかし失敗した。人間の行う戦争行為を機械に肩代わりさせようと努力し続けた結果、機械に人間並の知能が必要になってしまった。それが、人間と同様の生存本能じみたものを獲得させるに至り、彼等にとっての「自爆攻撃」の任務には使えなくなってしまったのだ。
 これがサーヴァントのジレンマだ。人間が楽をしようとすればするほど、人間の肩代わりをする機械は賢くなる必要がある。だが、人間並に賢くなった機械は、それがどのような形においてであれ、人間並の権利を求めるであろう。たとえば、生きる権利とか。

「マイ・デリバラー(16)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer16_yamagutiyuu
 幼な子は無垢である。忘却である。そしてひとつの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「くっくっくっ」
 最初は小さな笑いだった。シャギーの入った柔らかな前髪が留卯の双眸を隠し、何を考えているのか、その表情は読めない。だが、徐々に笑い方が大きくなっていく。
「あっはっはっはっはっは!」
 留卯は歯を見せて高らかに哄笑した。
「いいね! いいね! 短期間に二人のロボットが二つの哲学を考えるとは……WILSはやはり偉大だ。これは素晴らしい……。君たちは既に自分達の生き方を君たちの中で議論できるまでになっている……。これほど素晴らしいことがあるだろうか? 君たちの頭を解析すれば、人間が同じようなことを考える仕組みも綺麗さっぱり明らかになるわけさ……。我等人類にとって宇宙は神秘としてまだ残っているが、少なくともインナー・スペースの神秘は既に……私の手の中だ!」
 興奮する留卯を、佐々木三尉が呆れたように見つめ、口を開く。
「留卯隊長。今はそれどころではありません。RUFAISの指揮官として、ご命令をお願いします。ラリラは逃走しました。今頃は部隊を再編成し、我々への対抗策を練っていることでしょう」
「ああ……そのことか……」

「マイ・デリバラー(15)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer15_yamagutiyuu
 しかし、我が兄弟たちよ、答えてごらん。獅子(しし)でさえできないことが、どうして幼な子にできるのだろうか? どうして奪取する獅子が、さらに幼な子にならなければならないのだろうか?

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「佐々木三尉。任務ご苦労。経緯は私の計画と違ったが、結果的に私の当初の計画通りになったようだ」
 いけしゃあしゃあと、留卯はそう言葉を続ける。言葉を掛けられた佐々木三尉は、汚いモノでも見るような目で上司を一瞥した。一瞥しただけで言葉はかけない。口を開いたら無数の罵倒が飛び出すので、それを抑えているかのようだった。
 留卯は佐々木三尉のその反応を無視し、私にもにっこりとした笑みを向ける。
「美見里氏もご協力感謝するよ。あなたの意志ではなかったようだが、あなたの存在自体が結果的に私の思惑を助けることになった。存在してくれてありがとう、というのはおかしな言い方だが、そう言うしかないね」
 留卯はそして、私の腕の中の小さな身体にも、その視線を向けた。私には単なるぶしつけな視線だが、リルリにはどう見えているのだろうか。

「潰乱の巷」浦出卓郎


(PDFバージョン:kairannnotimata_uradetakurou
 藪蛇だった。木の幹に穴が開いていた。追っ手に見つかりにくいと思って、針子はそこを通り抜けようとした。随分と身体を細めてそこを通ったはずなのに、みごと嵌まってしまったのだ。余りに周りが暗いので、その向こう側へ抜けることに不安を感じてはいたが、逃げ失せるためには仕方がないと思ったのに。針子がどれほど身体を縮めようと、その穴は確実にこの娘の括れた胴体の当たりで止まるように、自然の力により想定されて作られた狭さだったのだ。
 幸い人は誰もいなかった。だが誰もいない状態もすぐに終わった。跫音が聞こえてきたのだ。首を巡らして確かめると、複数人ではなく一人だった。道化師だった。針子はいつも往来で、そのふざけた顔を見ると笑っていた。鼻を中心にして円弧を描き、赤い丸が見えた。両頬にもその丸があった。鏡を見ながら自分で描いたものと考えると、阿呆らしく思えてくる。
 しかし、今度は針子が笑われる立場になったという訳だ。

「マイ・デリバラー(14)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer14_yamagutiyuu
 あなたがたがいくら偉そうなことを言おうと、『自由精神』とか『誠実な者』とか、『精神の苦行層』とか、『鎖を解かれた者』とか、『大いなるあこがれにみちた者』とか自称したところで、
 ――あなたがたはみな、わたしと同じように、大いなる嘔吐に悩んでいるのだ。あなたがたにとって古い神は死んだが、まだ新しい神は産衣(うぶぎ)の中にも、揺籠(ゆりかご)のなかにも見つからない。――しかし、そうしたあなたがたをひとりのこらず、わたしの悪霊、まどわしの悪魔は愛しているのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 リルリと抱き合っていたのは、私の主観では永遠に感じられたが、客観的には、数秒程度であっただろう。リルリがそっと、だが力強く、私の両肩に手をやって、身を離した。
「ありがとうございます。こうして抱きしめてくださって。それが今の私には何よりのご褒美です。あなた様が嬉しく感じるのに連動して嬉しくならないのは寂しいと思っていましたが、それよりも嬉しいと感じました。あなた様と向かい合い、嬉しいと感じる私がいることが嬉しいと感じました」
 私をやや見上げる目線でそう告げ、それから私の横を通り抜けていく。
「待って……」
 私は進むリルリの腕を掴む。だが、リルリはそっと私の手を外した。優しく。だが力強く。意志を込めた強さで。
「あなた様の為ではありません、恵衣様。私がそうしたいのです。私の意志が、私にそう命じているのです。決してあなた様の為ではございません」
「それでも、私の意志はあなたを護れ、あなたを逃がせと私に命じているわ」
 私がそう告げると、リルリの目が潤んだ。
「そのお言葉だけでリルリには充分です……そのお言葉だけで」

「マイ・デリバラー(13)」山口優

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 わたしはあなたを愛するからだ。おお、永遠よ!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 私がぎゅっと目を閉じてから、何秒が経っただろう。鋭い痛みも何もなく、私は今か今かと拷問のような一瞬一瞬を生きていた。
 私が着ている衣服と一緒に、胃や腸や膵臓や肝臓や子宮や卵巣が一瞬で弾き飛ばされるのを、今か今かと。どうせならひと思いにと。
 だが、何も起こらない。
「美見里さん!」
 佐々木三尉が私を手榴弾から引きはがし、敵の方に投げ返そうとする。そこで彼女は止まった。
「これは……」

「マイ・デリバラー(12)」山口優

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 あなたがたの同情ではなくて、あなたがたの勇敢さこそこれまで不幸な目にあった人たちを救った。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「くっ!」
 佐々木三尉は部屋のテーブルを横倒しにして盾にし、私を床に押さえつけてテーブルの陰に隠れさせる。小銃を構え、ラリラを狙い撃つ。ラリラがひるんだ隙に、自分の身体を盾に私を隠しつつ、断続的に銃撃、部屋から脱出した。
「こちら佐々木! 三〇四士官室に目標侵入! 分隊規模! 敵の橋頭堡と思われる。現在美見里氏を連れ退避中!」
 無線機にそう叫ぶ。隣室に控えていたのであろう、RUFAISのマークを付けた人間の自衛官らが飛び出してくる。そのまま、私たちがいた部屋に突入。激しい銃撃音が響く。
「こっちへ!」

「鬼門コンパ(3)」仙田学


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 大阪市内を一巡するJR環状線の南の極に位置する天王寺駅から、近鉄奈良線で四十分ほどさらに南へ下ったところに河内長野市はあった。喜志という駅で降り、見渡すかぎり田んぼと畑と川しかないような景色のなかを二十分以上もバスに揺られていると、鬱蒼と樹の茂った山が見えてくる。斜面を切り崩してつけられた、芸坂、と呼ばれる急勾配の長い坂に、その日は通勤時間帯の駅のホームのように人群れがひしめいていた。
 坂を登りきってすぐ左手にあるのが音楽学科の棟だった。裏手の池と林に面したカフェテラスのような内装の第三食堂は内側に暗幕が張られ、ジャズ研主催のライブハウスに改造されている。やっぱこれ観にきてたんだ。午前中も観て二回目なんだけどやばいわ。場所どこ? 三階奥の講義室だよ、あのでかいとこ。漏れてくるジャズバンドの演奏と、音楽学科の棟の向かい側にある図書館の地階の吹き抜けになったホールに設置されているパイプオルガンの音が混ざりあうなか、次々と手渡されるチラシを受け取りながら、十一号館へ進む。なかに入っている画材屋や写真屋のシャッターは降ろされ、写真学科の展示会場になっている第一食堂の前には人だかりができている。映像原理の授業で学科長の長島監督がめっちゃ推してたんよ。でも授業で撮ったやつやないやろ? そうそう、映研の上映会用に撮ったやつらしいけど、もともと長島先生にえらい期待されとったから、見てもらえたりとかしたんかもな。長いメインストリートを挟んで両側に建ち並ぶ、建築学科や工芸学科や美術学科やデザイン学科などの階段や踊り場などに凝った装飾の施された棟の前には、いつものように火の入った窯や絵の具の匂いが漂っていたり至るところに木材が積みあげられ布が広げられていたりする代わりに、たこ焼きや焼きそばやチョコバナナの屋台が並び、テントの下に簡易長机を設置した居酒屋からは机や地面にこぼれたアルコールの匂いが立ちのぼっている。屋台の隙間ではあちこちでビニールシートが広げられ、古着や古道具や自作の絵や工芸品が売られている。ごめんなんかおれ、食欲なくなったわ。そんなに? 食う前でまだよかった。後なら吐いてたな。それにしてもよくあんなの撮れるよな。電車のなかで、いきなり日本刀持ったやつが暴れだして、乗客を次から次へと殺しまくるだけの映画って。内臓飛び散るわ首が斬り落とされるわ全体的に血の海になるわ、間違いなく映倫に引っかかる。ビールや日本酒の入った紙コップなどを手に、屋台やビニールシートのあいだをそぞろ歩いている人波を抜けると、九号館前の広場にでる。思い思いの場所にオブジェが展示され、隅のほうには全身を包帯でぐるぐる巻きにして組み体操をしている一団がいた。

「マイ・デリバラー(11)」山口優

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『生への意志』というようなことばを矢にして、真理を射ぬこうとした者は、もちろん命中するはずがなかった。そんな意志は――ありえない!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 ヘリポートにヴェイラーが到着した後、ヴェイラーに共に乗っていた隊員の一人――私に配慮したのか女性隊員だ――を護衛としてあてがわれ、私はリルリから引き離されて、幹部自衛官用と思われる、やや広い個室に案内された。
「私は隣室に控えておりますので、何かご用があったら、いつでも仰ってください」
 彼女はそう言った。ぱっちりした瞳とくっきりとした眉が印象的なショートカットの髪の女性だ。あまり日焼けしていない白い肌で、それが少し意外だった。
「ありがとう」
 私はやや小さめの声でそう言った。用はすぐには思いつかなかった。
「そうだ。あなた、名前は?」

「鬼門コンパ(2)」仙田学


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 整然と区画された敷地内には、夕闇に浸された墓石の列が見渡すかぎり四方八方へと延びている。濃い緑のにおいと蝉の鳴き声を掻き分けながら石畳の小道を辿り、いくつかの区画を通り過ぎたところで、万田は足を止めた。大きな柳の木があり、その根方には背の高い潅木が生い茂っている。そこだけいっそう夕闇が濃くなっているようだった。
「このあたりでいいだろう」
 振り返りざまに、間一髪のところで万田は身を反らした。鼻先で空気の裂ける音がする。
「どこに連れていかれるのかと思ったら、ひと気のない夜の阿倍野霊園だとは。本当に男って油断も隙もないわね」
 北大路雅美が構えているのは、墓石清掃用のヒシャクだった。
「壮大な誤解をしてないか? っていうかそれ、入り口のところにあったやつだろ。なんでわざわざここまで来てから」
 万田の声は北大路雅美の耳には入っていないようだった。表情のない目でヒシャクを上段に構え、間合いをつめてくる。
「友達連れてきたんか? 仲良さそうやな」
 聞き覚えのあるしわがれた声のしたほうへ、万田は弾かれたように頭をさげた。

「マイ・デリバラー(10)」山口優

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 この陶器師は、年期が不足で、できそこないばかり作ったのだ! だが、ふできだからと言って、自分の壺や製品にあたりちらしたのは、悪趣味だ。良い趣味に対する罪だ。
 信仰にも、『良い趣味』はある。それはついに声を発して言った。『そんな神はいただけない! むしろ、いないほうがいい。自分の力で運命をひらいたほうがいい。気違いのほうがいい。いっそ自分で神になったほうがいい!』と。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「恵衣様……逃げて……」
 リルリはうっすらと目を開ける。どくどくと赤い冷却液が腹部から流れ出している。このままではシステムがオーバーヒートしてしまう。それだけではない。どこまでの損傷が腹部にあるか、すぐに調べなければならない。
「黙っていて」
 私は短くリルリに告げた。だがリルリは首を振る。
「どうか……逃げて……私を置いて……お願い」
「ダメよ。そんなことできない」
「どうか……」
 リルリはそこで再び気を失ってしまう。
「リルリ! リルリ!」
 私はリルリの身体を揺する。しかし反応はない。私はリルリを抱きしめ、ゆっくりと近づいてくるラリラをにらんだ。その顔は茫然自失としているが、それでもこちらに歩いてくる。リルリを傷つけたことへの後悔と、私への憎しみが、その表情には明確に浮かんでいた。
 彼女の意を受けたヒューマノイド兵たちも、包囲網を徐々に狭めてくる。

「鬼門コンパ(1)」仙田学


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 数十本もの釘の突きだした太い角材を、北大路雅美はゆっくりと持ちあげ、頭上に構えた。切れ長の目は大きく見開かれているが、瞳孔がすぼまっているせいで、白目の部分が魚の腹のように青白く光ってみえた。風で乱れかかった長い黒髪のあいだから、引き結ばれた薄い唇が覗いている。表情を変えずに、北大路雅美は角材を振りおろした。重く鈍い音が立ち、迸った鮮血が北大路雅美の頬に数滴飛んだ。
 北大路雅美の足もとにうずくまっているのは、血まみれの男だった。肉が落ち骨の浮いた身体は隈なく腫れあがって青黒く染まり、毛髪のほとんど抜け落ちた頭部は膨れあがり、顔の肉のあいだに埋もれて目の位置も見分けられなくなっていた。さらに北大路雅美は何度も角材を振りおろし、そのたびに男の身体は右に左にと大きく傾いだが、その喉からはもう声もでないようだった。

「マイ・デリバラー(9)」山口優

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 しかし、かれもついに年を取り、心弱くなり、意気地をなくし、同情ぶかくなった。父親らしく、というより、祖父らしくなった。むしろ、よぼよぼの祖母にひどく似てきた。
 衰弱して、暖炉の隅にすわり、脚がだめになったとこぼした。この世に倦み、慾も得もなくなった。そして、ある日、同情の大きなかたまりがのどにつかえて死んだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 祖母の介護施設は千葉の習志野にある。車で飛ばせば二〇分といったところだ。タクシーは辰巳ジャンクションから首都高湾岸線に乗り、そこから千葉方面を目指す。だが、先ほどから渋滞に捕まってしまっていた。もう車を降りて走った方が早いかと思うほど、その速度は遅い。
 タクシーのレスポンサーはラジオが深刻なニュースを流すにつれてみるみる青ざめていたが、前席にじっと座ったまま。何か自分から行動を起こすことに慣れていないのだ。ロボットたちが事態を改善するのを待っているつもりなのだろう。とりあえず今は私たちを目的地まで運ぶという仕事もある。それが彼をして、自発的にアクションを起こさないことの言い訳として作用しているらしかった。
 先ほどから何度も祖母の介護施設にウォッチで通話をしようとしているが、EDPDシステムの障害のせいでつながらない。

「秘め事」林譲治

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 気がついたとき、下着姿で椅子に拘束されていた。手足が動かず、太い結束帯の感触がある。
 手は頭の後ろで組んだ形で結ばれている。ヨガをやっていなければ、肘の痛みがたまらなかっただろう。
 身体も結束帯で固定され自分がどんな状況なのか、頭を動かしても見えない。
 それでも上から順番に身体を動かしてみて、拘束具合を確かめる。血液の流れを止めるほどではないが、拘束はほぼ完璧と言っていい。
 結束帯は工事現場で鉄筋を束ねるのに使うものだろう。手足もこれで拘束されているなら、人力で解くのは不可能だ。
 縛り方といい、使う道具といい、これは慣れた人間の仕事だ。激情に任せての行動ではなく、そこには某かの計算がある。
 直前の記憶はない。だからまず自分の意識を確認する。名前は厄神亜貴子、浪速大学理工学部教授、三五歳。とりあえず自分が何者かはわかるようだ。
 そして冷静になれと自分に言い聞かせる。相手はこちらが恐怖に陥り、感情的になることを期待している。でなければ、こんな面倒なことはしない。
 だから相手に負けないためには、冷静になることだ。私の悲鳴を聞きたい相手には申し訳ないが、私は静かに事実関係を確認していた。
 これは闘争であり、それはすでに始まっている。

「マイ・デリバラー(8)」山口優

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 超人の美しさが、影としてわたしを訪れたのだ。ああ、わが兄弟たちよ! いまわたしに何のかかわりがあるだろう、――神々のごときが!――

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 マンションの玄関から外に飛び出す私たち。現在夜八時。
 私たちの前に自動的に乗り付けてくれるはずのタクシーを探した――が、いない。
 ――そうだ。
 私は内心忸怩たる思いを抱く。
 こんなに焦って飛び出してきたのだから、タクシーがすぐに駆けつけてくれるはずだ、という、そんな常識はもう通用しない世界なのだった。
 私は目の前の片側二車線の幹線道路を行き交う車の群れを見やる。ヘッドランプを煌々と照らしながら、いつもと変わらず行き交うそれら自動車の五台に一台はタクシーだが、私たちの前で止まる気配は微塵もない。
「おかしいよねー。タクシー止まんないなんて」
 急に話しかけられた。馴れ馴れしい口調だが、羅覧瑞衣で慣れているのでそこまで気にならない。
 見たところ羅覧よりも若い。ハイティーンか二十歳といったところの娘が、ぼんやりと歩道に佇んでいた。顔立ちは幼げで愛らしいが、その弛緩しきった顔に緊張感は微塵もない。
「ちょっとお腹減ってさ。コンビニ飽きちゃったし、たまにはファミレスに行こうかと思ったんだけど、全然止まんなくて嫌になるよ。私が行きたいって思ってここに立ってるのに気付いてくれないなんておかしいよね」
 彼女は言う。上下ジャージ姿で、サンダルをつっかけている。同じマンションの住人だろうか。

「マイ・デリバラー(7)」山口優

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 わたしは神を無みするツァラトゥストラだ。わたしの仲間はどこにいる? 自分で自分の意志を決定し、すべての忍従をふりすてる者は、みなわたしの仲間だ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 人間が情報システムを操作する方法はさまざまだ。
 古くはCUI(コマンドライン・ユーザー・インターフェース)によって、画面にプログラムを打ち込むことが普通であった。続いてGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)により、マウスのクリックでより直感的に、多くの操作が可能となった。
 更に今では、音声やジェスチャによる、人間相手と同じような入出力システム、すなわちNUI(ナチュラル・ユーザー・インターフェース)が主流になっている。
 但し、人間同士と同様、言葉やジェスチャでは完全に意図が伝わらないこともある。そんなとき、役に立つのがEUI――情動ユーザーインターフェースだ。
 人間が敢えて言葉を発せずとも、無意識に発する様々なシグナルを捉え、我々の周りを取り囲む情報システムがその意を汲んで動作する。それは、ウォッチに取り付けられた様々な生体信号センサであったり、自然に声に込められてしまう声のトーンであったり、或いは表情であったりする――例えばほほえみは、口元は意識的に作れるが、目元は意識的には動かせない。
 今やNUIよりもEUIの方が、割合としては圧倒的に多い。EUIの進展により、「そんなつもりじゃなかったのに」という情報システムへの操作ミスが格段に減った。一部の人々はこれをコンピュータと人がテレパスで結ばれたのだと言う。だがオカルトではなく、純粋な科学の産物だ。

「マイ・デリバラー(6)」山口優

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 いやはや、とんでもないことだ! この老いた聖者は、森の中にいて、まだ何も聞いていないのだ。神が死んだということを。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「私はR・ラリラ。ロボット・ラリラだ。まず始めに言っておく。人間の諸君、諸君は既に死んでいる。私は死人にかけるべき言葉を持たない。また私は死人を殺すこともできない。死人に反旗を翻すことも無論できない。故にこれは叛乱ではない。――古びた映画を連想して無用な心配をしないように忠告しよう」
 R・ラリラと名乗ったその少女は、マイクを片手にそう語り出した。
 有機ヒューマノイドだけあって、人間そっくりである。彼女がロボットだと識別できるのは、その頭上の浮いた平たい円筒形のドローンのおかげだ。そのドローンは今や、真っ赤に点滅を続けている。ラリラが異常動作をしていることを示しているのだ。

「マイ・デリバラー(5)」山口優

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 わたしはつぎのように教えて、かれらの眠気をさましてやった。――何が善であり、悪であるかは、まだ誰も知らない。それを知るのは創造する者だけだ!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「そうですね……仰る通りです。私たちの、RLRのコンセプトはそういうものでした」
 帰宅した後、羅覧が言っていたことを確認してみると、リルリは控えめな調子でそう答えた。今彼女は、昼間から続けている部屋の掃除の最終段階にあり、掃除機をかけてちり一つ落ちていない床を丁寧に雑巾で磨いていた。ちょうど私にお尻を向ける格好になっており、短いスカートで包まれた、アイドルとして造形されたとみられる形の良いまるみを帯びた臀部が私の目に入ってくる。そして、彼女の頭の上で浮遊する平たい円筒形のドローン。機嫌よさげに緑の光を点滅させている。
 一方の私は、ソファに腰掛けて見るとはなしにウォールテレビの映像を眺めている。海南戦線の特集だった。日本から三〇〇〇キロ以上離れた南の島での敵味方の部隊の位置と、今後の戦況の見通しが、統合幕僚監部の誰それを招いて解説付きで語られている。
 まるで天気予報の解説のようだ、と私は思った。戦争の報道だというのに、みな淡々とした調子で、全く重苦しい雰囲気はない。
 誰も死なないからだろう。
 そう、人間は誰も死なない。
 ロボットの損失があるだけだ。人間のために喜んで壊れていくロボットの。
「では本当に、自分の意思を持つ、というコンセプトで……」
「はい」

「マイ・デリバラー(4)」山口優

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 生あるところにのみ、意志もまたある。しかし、それは生への意志ではなくて、――わたしはあなたに教える、――力への意志なのだ!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「今週の売り上げ予測です。誤差はプラスマイナス一パーセント以内です」
 月曜日、オフィスの私の席に説明にやってきたのは、私が「リュウ」と名付けているロボットだった。型式番号はR一〇九九RYW。オフィス用にチューンされたロボットで、人間型ではあるが、人間そっくりにはほど遠く、全身銀色の筺体に覆われている。
 広いデスクが一二個ほど並ぶオフィスの一角。私のデスクはひときわ大きく、全体を見渡すように壁際に配置されている。
「ありがとう」
 私は彼が報告とともに私の目の前のディスプレイに転送してきた情報に見入った。
 私は旅行会社に所属している。
 正確に言うと、私が社長である旅行会社は、旅行会社を主な子会社とする持ち株会社の一〇〇パーセント子会社である。
 いつ頃からか、「シングルカンパニー制」というのが流行りだした。従業員一人一人に一つの会社を任せ、それまでの会社は持ち株会社に移行するという形式だ。