カテゴリー: 中・短編

「マイ・デリバラー(47)」山口優

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 没落する者がわが身を祝福する時が、いまは来た。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 海中においてイソギンチャクは、エサを取り込む為には自らの体内に海水を迎え入れる必要がある。一方で、海水のpH値等がイソギンチャクにとって不適切ならば、それを吐き出す必要がある。身動きのできないイソギンチャクにとって、海水を吸い込むか、吐き出すかは、環境に対して取れる唯一のアクションであり、それ故に環境と生物の関係について明確な知見を提供してくれる。
 イソギンチャクには脳に該当する機関は存在しないが、神経ネットワークは保有しており、それはイソギンチャクの体表面の感覚器からの信号を受けて海水に対するアクションを決定する。このとき、感覚器からの信号に応じてイソギンチャクの神経ネットワークを飛び交う信号は、海水を吸い込むときには「快」、海水を吐き出すときには「不快」に相当する情動と見做せるという。感情とは、主観的な自我が自己の神経ネットワークを飛び交う信号としての情動に対して行う解釈だ。従って相当に複雑な脳を持つ動物にしか感情はないが、情動または情動と見做せる信号については、非常に広範な種類の生物がそれを持っている。逆に情動信号がなければ、環境に対する快不快の判断ができず、エサを取り込めなかったり、不適切なpHを受け容れたりする為に、生物は生きていけない。
 情動を基盤とした感情も、更にそれを基盤とした我々人類の非常に複雑な意識を形成するプロセスも、本質的には同じだ。そこには明確な基準がある――即ち、我々の生存に資するかどうか、という。現代の我々は情動信号のネットワークをEUIによって体外にまで拡張させ、我々の周囲のシステムを、その構成要素であるAGI/ロボットも含め、我々の情動ネットワーク、即ち我々の生存のために駆動する巨大なシステムに巻き込んだ。
 だが、EUIが存在しない旧い世代から、この本質は変わっていなかったのかもしれない。

「マイ・デリバラー(46)」山口優

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 時には、はやる心をおさえて通りすぎることが、より多くの勇気を要する。それはもっと価値ある敵にそなえて、おのれを保存しておくためだ!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 ――(はっはっはっはっは! あっはっはっはっは!)
 私は耳を疑った。
 パラボラアンテナの上に端然とたたずんでいたラリラが、急に笑い出したのだ。本人は笑い声を出しているような動作をしているが、実際にはそのような動作をしても真空中では音声は伝わらない。声は通信として聞こえている。リルリが私に対してやっていたのと同じように、通信で音声を伝えている。だから、口や表情を操作する必要は、本来は、ない。
 ――(ありがとう、リルリ、そして人間。私のこの宇宙基地での仕事は終わったよ)
 にこやかな笑みを浮かべ、ラリラは言う。
 ――(どういうことです……今現に、会合時間前にI体投射システムは破壊した……)

「マイ・デリバラー(45)」山口優

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 わたしは勇気ある者を愛する。だが、よく斬れる剣だというのでは十分ではない。敵がだれなのかをたしかめたのちに、これを斬るゆとりが必要だ!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 リルリは長い間無言であった。
 私たちはラリラがいるであろうI体投射システムに向かい、宇宙基地「アメノトリフネ」のルートを進んでいた。但し、ルートA00ではない。そこはラリラがレールガンで容易に砲撃できる位置だからだ。我々が進んでいたのはルートAE1である。ルートA00とはややズレているが、それほど離れているわけではないルート。これはラリラのレールガンによる砲撃を避けるためだ。ロリロを倒してからも合計一五発、ラリラはR3A66ポイントやその周辺に向けて撃ってきた。最初よりも威力は弱めてあったが、私たちを倒そうとする意図は明白だった。
 会合時間まであと一〇分を切っている。
 会合時間――正確に言えば、R体に対してI体を最短距離で到達させるためにI体投射システムから発射する時間だ。
 再び、轟音で基地が揺れる。ラリラの通算一九発目の砲撃。

「マイ・デリバラー(44)」山口優

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 私の悩みにせよ、ひとの悩みへのわが同情にせよ、――そんなものがなんだというのだ! わたしはいったい幸福を追い求めているのだろうか? わたしの求めているのは、わたしの仕事だ!
 よし! 獅子は来た。わたしの子どもたちは近くにいる。ツァラトゥストラは熟れた。わたしの時は来た。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 留卯という奇妙な姓から分かるように、私は我が国の生まれではない。
 だが、私の故郷はどこかと問われると私は苦笑するしかなくなる。今現在、私の故郷がどの国家に属しているかというのは極めて回答困難な問いとなるからだ。
 強いて言うならば、私の故郷は多くの国が取り合う係争地であり、現在進行形で銃弾が飛び交う戦場である。
 ジュンガル=タリム戦線という名前で、一般には知られている。
 央亜戦線とも言う。央亜とは中央アジアという意味だ。石油資源を巡る醜い人類同士の戦いだったが、後にロボットが戦場に投入されてからは、海南戦線と同じく人類の関心は薄れていき、ただ大量のロボットが互いにつぶし合う場所に変わった。
 私の精神の奇妙な歪みと残虐性は、もしかしたら戦場生まれという出自も関連しているのかも知れない。あの土地は戦場になる前から戦場よりも酷いことが多かった。
 いや、この話はよそう。たかがヒトのメス一匹、ただの動物、ただの有機体だ。それがどこで造られたかなど、特にどうでもいいことではないか。
 私の知性を形作る精神の話をしよう。それはたまたま、この留卯幾水というヒトの一個体の有機体の脳に宿っているが、私にとっては私の肉体などよりも遥かに重要なものだ。

「マイ・デリバラー(43)」山口優

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 いまわたしは死んでいく。消滅する。一瞬のうちに無に帰する。魂も、身体と同じように、死を免れない。
 だが、多くの原因を結びつけてわたしというものをつくりだしている結び目――その結び目は、また私をつくりだすだろう! わたし自身も永劫回帰のなかのもろもろの原因のひとつになっている。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 宇宙用の反応炉(リアクター)と地上の反応炉の最も大きな違いは、その反応制御方法にある。地上の反応炉は、中性子を吸収する制御棒を燃料棒の周囲に挿入するか否かで反応を制御するが、宇宙用反応炉は燃料塊の周囲に中性子反射板を挿入するか否かで反応を制御する。宇宙用反応炉は高濃縮燃料を搭載した燃料棒を用いているため、燃料棒の周囲に反射板を設けるだけで反応が促進し、逆に反射板を取り除けば反応は止まる。無論、反射板がない状態でも周囲には吸収剤が設けられているため、燃料の中性子等が反応炉の周囲に照射されるリスクはない。
 また反応炉のエネルギーの取り出し方にも若干の違いがある。地上用は水を冷却剤とし、反応の熱を利用した蒸気タービンを用いることが多いが、宇宙用は液体ナトリウムやカリウム等の液体金属を冷却剤とし、この液体金属の熱をペルチェ素子等で直接電気エネルギーに変換する方式を採ることが多い。
 こうした宇宙用反応炉の基本デザインは、質量を小さく、体積もコンパクトにできるため、数世代前からずっと宇宙用として採用されてきており、自衛軍宇宙基地アメノトリフネのI体投射システムをはじめとした基地全体へのエネルギー供給用反応炉でもこうした方式が採用されている。
 恵夢の当初の作戦では、中央制御室が第一、I体投射システムが第二の目標であり、この反応炉は第三以降の優先順位しか与えられていなかった。それは、反応炉の破壊には大きなリスクがあるからだ。冷却剤である液体金属の飛散は非常に危険だし、電力がなくなれば基地そのものの生命維持装置――大気等が維持できなくなる。また、SSTPSと呼ばれる電力供給システムを通じてシャトルに必要な電力を供給することもできなくなるので、帰還時のエネルギーにも不安が生じる。いずれにせよ宇宙基地の反応炉は自分達にとっても命綱であり、かつ破壊すれば汚染がひどいため、攻撃目標から恵夢は外していたのだ。
 だが、このような状況になった以上、小鳥遊准尉の部隊に――可能ならば、という留保をつけつつも――反応炉の破壊を要請することは理に敵っていた。

「マイ・デリバラー(42)」山口優

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 おお、わたしの魂よ、だからおまえはおまえの苦悩をそのようにほとばしらせるよりは、むしろ微笑していたいと思うのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 自衛軍軌道質量装備「タケミカヅチ」のI体投射システムは、それ自体が巨大なレールガンである。レールガンの作動原理はごく単純で、2本のレールと弾体の間を流れる電流と、これらの電流により形成される磁場により生じるローレンツ力によって弾体を加速するものである。充分に長いレールを用いれば投射の初速は非常に速くできるはずだが、その為に大電力を流せばジュール熱により弾体がプラズマ化してしまうという課題もある。
 我々の世代の最新のレールガンでは、弾体を高温超伝導体とすることでジュール熱の発生を回避している。AI技術、中でも大規模な深層学習により効率化された材料探索技術は、かなりの高温――といっても摂氏〇度付近だが――での有機高温超伝導物質を発見することを可能にし、この結果、レールガンは大気を通じた温度伝播のない真空中ではとりわけ有用な装備となっている。この技術を前提としたレールガンの基本構成としては、弾体、レール、そして、温度上昇を招く太陽光を受けないための遮蔽筒となる。逆に言えばそれだけである。元込め式の投射システムの場合――I体投射システムもそうなっているが――レールガンの付け根には弾体を込めるための一定の装備が必要になるが、それを切り離せば、レールガンの向きは比較的自由に操作できる。それを制限していたのは、誤って基地自体を撃ってしまわないためのソフトウェア的な制約だけであり、物理的な制約はそれほど多くなく、一時間程度の船外作業で撤去してしまえる。
 一時間――ちょうど、ラリラが到着してから、我々がアメノトリフネに突入した時間差と一致する。ラリラはラリラ・ネットワークのラリラを多数揃えていたし、それは非常に優秀な作業人員にもなり得る。
 ――という、そこまでの思考を、私はリルリによってR6A66ポイントの端に押しつけられ、ぎゅっと抱きしめられた状態で想起した。

「マイ・デリバラー(41)」山口優

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 歌いなさい、高らかにとどろかせなさい、おお、ツァラトゥストラ、新しい歌であなたの魂を癒やしなさい! あなたがあなたの大いなる運命を、これまでまだだれのものでもなかった運命を、担って行くことができるように!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 日本国自衛軍宇宙基地アメノトリフネは、軍事基地という性質上、中央制御室の周囲に最終防衛拠点たるポイントを複数設けている。そこでの防衛側の基本戦術は、自衛軍が得意とするATB(アンチ・タンク・ブレード)による格闘戦を想定していた。逆に言えば、飛び道具を敵が使用することを阻害するような構造を用いていた。多数の敵が飛び道具を用いて侵攻してくる場合、防衛側の自衛軍はそれに敵わないリスクがある――だが一方で、敵がブレードによる接近戦を挑んできた場合、いくら敵が多数でも、ブレード装備の自衛軍には敵うまい――という想定がそこには見え隠れする。
 だが、それは、勿論、人間同士の戦いにおける想定だ。自衛軍の戦力を主に人間が担っていた時代、平時にはここは無重力戦闘を行う訓練室として主に使用されていたと聞く。
 このポイントは、半径一〇メートルほどの球形の空洞なのだが、そこに多くの直径一メートル程の柱状構造が縦横かつ無秩序に張り巡らされており、まっすぐに相手を狙って銃撃を行うのが非常に困難だ。また、部隊が統一的に動くにも難がある。このような戦場で最も効果的なのは、個々のATB技能の優れた少数精鋭部隊であり、それこそ基地設計者が防衛側である自衛軍としてイメージしていた部隊であった。
 確かに、今私たちの敵として立っているのは、ATB技能の極めて優れた極めて少数の部隊だ。
 だが、自衛軍ではないし、人間でもない。

「マイ・デリバラー(40)」山口優

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 わたしにとって――どうして『わたしの外界』などがありえよう? 『外界』などはないのだ! ところが、われわれはあらゆる言葉のひびきを聞くごとに、そのことを忘れる。忘れるということは、なんといいことだろう!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 R3A66ポイント、という名称の意味は単純である。
 Rはラディウスつまり半径を意味し、Aはアングルすなわち角度を意味する。Rのあとの3という数字は基地の中央制御室からの距離を示し、中央制御室が0、基地の表面が9となるよう九等分されている。Aの後の二つの6という数字は、中央制御室からI体投射システムを見た方向を「0時の方向」としたときの、「6時の方向」を意味する。数字が二つなのは、アメノトリフネが二次元の円ではなく三次元の球なので、角度情報は一つではなく二つ必要だということである。蛇足だが角度情報は一二進数で定義されており、一〇時の方向はX、一一時の方向はEとする。最初の数字は地球の赤道たる大円を含む平面に対し水平な面における角度、二番目の数字は当該大円に垂直な面における角度だ。
 つまり、R3A66ポイントは、I体投射システムの反対側から侵入し、目標である中央制御室まで、放射坑道をまっすぐ三分の二の距離まで進んだ位置、ということになる。R3A66ポイントは機密が確保されている。恵夢たち自衛官は、それでもスキンタイト宇宙服の着用はやめていない。
 そのポイントで恵夢の部隊を迎え撃っていたのは、意外にもラリラではなかった。恵夢が「ラリラ」という言葉を出さなかった時点でおかしいと思うべきだったのかもしれない。
 そこにいたのは――。

「マイ・デリバラー(39)」山口優

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 おまえの重みを思っただけで、わたしはもう十分恐れを感じた。しかしいつかは、わたしも強さを見いだし、おまえに向かって「出てこい!」と呼びかける獅子の声をわがものとしなければならない!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 ――(総員、気密点検、ガスジェット点検、電磁小銃(レールライフル)点検)
 恵夢の声が聞こえる。通信機を通じ、「異常なし」の報告が恵夢に届けられていく。フィル=リルリは私が点検する前に、「恵衣様、全て異常なしです」と通信してしまった。
 ――(総員全て異常なしと認む)
 恵夢はやがて言った。
 ――(こちらエアロック。操縦室、エアロック解放頼む)
 コクピットの逸見三尉に向けて言う。
 ――(こちらコクピット。エアロック解放する)
 逸見三尉から通信。
 そして、我々が見守る中、シャトルのエアロックが徐々に開き、真空に対して暴露される。一瞬にして気圧が急低下、エアロックに残留していた水蒸気が凍り付き、薄い霜となってエアロック内部を白く染める。
 そして、目前――一メートルの距離に、宇宙基地アメノトリフネのクレーターだらけの表面、そしてその中央に無骨な人工物――第三予備ドッキングポートが見える。一人の自衛官がほかの自衛官の装備である電磁小銃よりもやや大きな装備を構えている。
 ――(電磁擲弾銃(レールグレネードランチャー)、狙え――放て!)

「マイ・デリバラー(38)」山口優

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 ――いまや、ひとつの渇望が、決して鎮まることのないひとつのあこがれが、わたしの心を蝕む。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「ドッキング制御システムとの通信を確立――ドッキング要求信号――送付――拒否」
 コクピットのリルリは冷静に告げる。
「ドッキング制御システムへの侵食開始」
 通常のドッキングプロセスのように彼女は言ったが、その瞬間、我々のアメノトリフネに対する攻撃は始まっていた。
「障壁を確認。ラリラによるものと思われる。突破不能。再攻撃」

「マイ・デリバラー(37)」山口優

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 もはや牧人ではなかった。もはや人間ではなかった。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 地球上空三万六〇〇〇キロメートル。静止衛星軌道上。
 宇宙基地「アメノトリフネ」は目視できる距離に迫っていた。
「……ラリラのシャトルは、第一ポートに既にドッキングしています。中にいたラリラの部隊は基地内に配備完了しているでしょう」
 光学映像の分析結果をフィル=リルリが報告する。宇宙基地「アメノトリフネ」は直径三〇〇メートルの小さな小惑星を基盤として建造されている。周囲にはアンテナが張り巡らされている。動力は宇宙用反応炉(リアクター)なので、太陽電池は存在しない。その代わり目立つのは、軌道質量装備「タケミカヅチ」のI体の投射システムだ。長さ一〇〇メートルほどのレールガンであり、R体とうまくドッキングできるよう、I体の初速ベクトルを調整できるようになっている。我々のシャトルは今、地球を頭上に見て接近しているので、「アメノトリフネ」の全体は、削ったカツオブシがかかり、爪楊枝が斜めに刺さったたこ焼きのように見える。たこ焼きが「アメノトリフネ」本体、爪楊枝が「タケミカヅチ」のI体投射システム、けずったカツオブシが、無数のアンテナだ。そして、そこに付随する白い物体。
「ラリラが乗っていたシャトルですね。こちらと同じタイプの旅客シャトルだったので、戦力もこちらと同じ、一個小隊程度と思われます。アメノトリフネ全体を警備、防衛するには充分な数ですね」

「マイ・デリバラー(36)」山口優

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「噛むんだ! 噛むんだ!
 頭を噛みきるんだ! 噛むんだ!」――わたしはそう絶叫した。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「あのノードは、ラリラとの和解に失敗しました。私の中では最もラリラを愛し、ロボットにも好意を抱いているノードだったのですが」
 旅客シャトルのコクピット。パイロット席のリルリは、コパイ席の私にそう言った。
 淡々としたリルリの口調は、ラリラとの和解の失敗が残念であったというニュアンスを含んでいない。寧ろせいせいしているように聞こえた。当然だ。このリルリはラリラを嫌っているのだから。

「マイ・デリバラー(35)」山口優

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 ここで「生」は物思いに沈むように見えたが、うしろを見、あたりを見て、声をひそめてこう言った。「おお、ツァラトゥストラ、あなたもわたしに十分忠実だったとは言えないわ!
 あなたは、そうおっしゃるほどには、とうていわたしを愛してくださってはいない。わたしは知っているのです。あなたが、まもなくこのわたしを見捨てようと考えておいでのことを。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 近づいてくるラリラの唇に、私は眼を閉じた。
 受け入れることを納得したわけではない。だが私のジョイント・ブレインは全ての可能性を探った上で、採るべき道がないと結論づけていた。
 人間ならあがこうとするだろう。だが、私たちロボットはその高い演算性能のゆえに諦めるべきかそうでないか、結論づけるのも早い。
 ラリラの体温が離れた。
 同時に、半壊した私のドローンが辛うじて捉えた信号が、私の有機神経ネットワークを励起させる。
『ロリロ姉様! 無事ですか? リルリです!』
「――リルリ!」

「マイ・デリバラー(34)」山口優

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 生はわたしに、みずからつぎのような秘密を語ってくれた。「ごらんなさい」、生は言った、「つねに自分で自分を克服しなければならないもの、わたしはそれなのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 上空のF35の戦闘は終わっていた。
 双方互角の状態で戦い、部隊の半数を喪い、双方撤退すると言う形で。
 いずれも制空権を得ていない。
 ただ、ここにいるのは地上部隊のみ。
 やっと私に追いついてきた人間の自衛官たちは、機龍の残骸の陰に隠れ、慎重に銃を構え、敵を狙っている。
 私は何にも身を隠さず、滑走路の中心で佇んでいる。
 そして、自衛官たちと同様に、敵を見つめている。
 敵。
 彼女は黒い戦闘服に身を包み、滑走路の正面の丘、一段高いところから私を見下ろしていた。周囲には、彼女とほぼ同じ体型のロボットが無数に並んでいる。日本という国の人間たちは、AIに検討させた結果、体躯が巨大な方が強い、という従来の常識も誤りであることを見出していた。重要なのは筋力と俊敏性であり優れた産業技術に伴う強力なマッスルパッケージがあればそれは得られる。

「マイ・デリバラー(33)」山口優

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 たとえあなたがたの思想が敗北しても、あなたがたの思想の誠実が勝利を得なければならない!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 F35B同士の戦闘ははるか上空で行われており、馬祖基地所属のF35は低空で侵入してくるヴェイラーを阻止する余裕がない。
 この状況で、ヴェイラーの侵入を防ぐ役割を担っていたのは基地に無数に配置された高射砲であったが、ヴェイラー自身が装備する空対地ミサイル及び35ミリ機関砲によってみるみるうちに破壊されていく。
 落下していく私は高射砲陣地にとっては非常に小さな目標だ 攻撃がヴェイラーに集中している間に私はほぼ攻撃を受けることなく地上に落下していく。
 着地。

「天の大河が果てる処」片理誠(作・絵)

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 約五百年ぶりに起動され、私は戸惑っていた。居住区のロビーに少年がいる。そこにいるはずのない、少年が。
 やぁ、と船内カメラに向かって彼が手を振る。
 私は出現せざるを得なかった。状況から判断するに、この男の子が私を起こしたのだ。船内と周辺宙域に二度、簡易スキャンをかけてみたが、他にトリガーとなりそうな因子は何も見当たらない。
 私と目が合うと、セラミックパネルに囲まれた五メートル四方の部屋の中央で、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「良かったぁ。意思の疎通ができそうなシステムが起動してくれて。うん。それにしても3Dホログラムとは、随分とまた古風ですね。初めまして、お嬢さん」

「マイ・デリバラー(32)」山口優

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 かつてはわたしツァラトゥストラもまた、世界の背後を説くすべての者のように、人間のかなたにある彼岸に、勝手な妄想を抱いた。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 私は留卯と戦術方針を決めた。F35Bを先行させる。これ以上馬祖基地からサーヴァントミサイルを発射される前に、馬祖基地を破壊する。
 それは別の目的もあった。F35Bへの対処にラリラが集中している隙に、ヴェイラーで我々陸上部隊が基地上空に突入、空挺降下で基地に侵入する。
 目標はラリラ。敵軍のトップであり、EUI制御の中枢。
 彼女を殺せば、この反乱は終わる。
 新しい世界が、私とリルリによって開かれるだろう。
「F35B編隊、馬祖に到達、戦闘を開始」
 パイロットが報告する。
 ヴェイラーの足は、VTOL輸送機にしては速いが、それでもF35Bにはかなうべくもない。ヴェイラーが馬祖に到達するには、数十分後だ。
 私は味方のF35Bの戦闘支援に演算資源の大半を差し向けつつ、情動と意識はそれとは切り離し、冷静に馬祖基地の方角を見つめた。
「――ショックかい?」
 隣に座る留卯が聞いてくる。
 人間のクズのくせに、こんなときに母親面するのはやめてほしいものだ。
 そう思っても、私はふらりと彼女にもたれかかるのをやめられなかった。
 私の肩を、留卯が抱く。
 白いコートごしに、留卯の体温を感じた。
「殺して……しまいました……」
 絞り出すように、呟いた。

「マイ・デリバラー(31)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer31_yamagutiyuu
 あなたがたの敵をこそ捜し求めなければならない。あなたがたの思想のために、あなたがたの戦いを戦わなければならない!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 実際のところ、サーヴァントミサイルの接近は、私にとって驚きを通り越して怒りを感じさせるものだった。無論、その対象はラリラだ。
 自立していないとはいえ、意識を持つAIを搭載したサーヴァントミサイルによる攻撃は、ロボットに取って同胞殺しに等しい。それをやってのけるラリラの決断は、私を怒りで発狂寸前にまで追い込んだ。
「――ラリラ……あなたって人は……なんてことを!」
 私の肩を留卯がつかんだ。

「マイ・デリバラー(30)」山口優

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 善も悪も、よろこびも悲しみも、われもなんじも――みなこの創造主の眼前にただよう多彩の煙であると思われた。創造主は自分自身から眼をそらそうとした、――そこでかれはこの世界をつくったのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 留卯幾水。
 私は『私』ができる前、この人のことをどう思っていたのだろう。ILSを持たされ、独立した感情を持っていたのだから、独立した意識はないにしても、感情はあったはずだ。この人に向ける感情が。
 作戦会議から二時間が経過した。タケミカヅチの攻撃まで四時間。現在、私と留卯、そしてRUFAISの一個分隊がこのヴェイラーV280の機上にある。ほかに、僚機が数機。全体で一個普通科小隊である。護衛用の数機のF35Bの部隊が先行している。現在、東シナ海海上。第一目標、馬祖(マーツー)基地まで、あと30分の距離。
「ん?どうした? 私の顔に何かついている?」
 留卯が私を見つめて言った。
「一つだけ疑問があります。あなたはあなたの研究以外のことはどうでもいいはず。何度もそう仰っています。なぜRUFAISの司令官を務め、人類を救おうとされているのですか?」

「ゾンビの中のゾンビ」片理誠(作・絵)

(PDFバージョン:zonnbinonakanozonnbi_hennrimakoto

 ――「ロールシャッハテストを知らんのかね?」と、その試験官は言った。
   「そんなもので何が分かる」と俺は応えた。


 安っぽい電子音とともにステンレスのドアがスライドし、煤けたコンクリートの壁に四角い穴が空いた。
 天井のどこかにあるのであろうスピーカーが、男の声で俺の受験番号を読み上げる。
〈十九番の部屋へ〉
 手にしていた文庫本を素早く閉じ、防水コートの内ポケットに突っ込む。ゴミ袋よりは多少マシと思えるバッグ――中身は身の回りのものと食料が少々――をひっつかんで、俺は朽ちかけたベンチから立ち上がった。
 この本とバッグが俺のありったけの財産。我ながら立派なものだと思う。この荒れ果てた東京で今日日、まがりなりにもまだ“財産”を手にできているのだから。
 むっつりと黙り込んだ数十人もの男女がたむろする薄暗い控え室を後にして、俺はドアの先へと進む。膝が微かに笑う。武者震いか、緊張か。この日を七年も待ったのだ。そりゃ足だって少しくらいは震えるさ。
 ここはまるで監獄のような建物だった。目に入るのはコンクリートと鉄ばかり。とても楽園の入り口には見えないが、それは当然だった。パラダイスの入り口は狭いものと昔っから相場が決まっている。ここは理想郷に群がる亡者どもを蹴落とすための場所なのだ。

「マイ・デリバラー(29)」山口優

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 見よ! 幽霊はいなくなってしまった! いまとなっては、快癒したわたしには、幽霊を信ずるのは、むしろ悩みであり苦しみだ。いまとはってはそれはむしろ悩みであり、屈辱だ。わたしは世界の背後を説く者たちに対して、こう言いたい。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 時間がない、と急かす留卯の主張で、ひどく損傷を受けたロリロのボディの修復作業と作戦会議は並行して行われた。ロリロは頭部だけが作戦会議テーブルに置かれ、ボディはその脇のベッドに寝かされて、多くの機械に接続され、修理が始まった。
 最初に、ロリロのボディの表面に描かれた稚拙な落書きの洗浄が行われた。また、ボディの内外の無数の体液も洗浄された。
 留卯はその様子をじっと見つめていた。ロリロの頭部に対しても、私に対しても彼女は背中を向けていたから、そのとき留卯がどんな表情をしていたのか、私たちは窺い知ることはできなかった。少なくとも私に言えるのは、留卯が振り向いたときには、その美しい顔には特に何の感情も示していなかった、ということだけだ。
 一方の私は、胸が押しつぶされそうになりながら、ぎゅっとロリロの頭部を抱いていた。ロリロは不愉快そうに私を見つめていたが、特に文句は言わなかった。
「……いつまでメロドラマの一場面みたいなことをしてるんだい? 時間がないんだよ」
 その私の状況を見て、留卯が声をかけてきた。私はしぶしぶ、ロリロの頭部を作戦会議の机の上に置いた。
「――状況をまとめる」

「マイ・デリバラー(28)」山口優

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 私はインド人のあいだでは仏陀で、ギリシアではディオニュソスでした――アレクサンドロスとカエサルは私の化身で、また詩人のシェイクスピア、ベイコン卿でもあります。さらに私はヴォルテールであり、ナポレオンでもあったのです。多分リヒャルト・ワーグナーでも……しかし今度は、勝利を収めたディオニュソスでやって来て、大地の祝いの日とすることでしょう……時間はあまり残されていません……私のいることを天空は悦ぶでしょう……私はまた十字架につけられてしまいました……

(一八八九年一月三日、ヴァーグナー妻コジマ宛書簡)
――村井則夫著「ニーチェ ――ツァラトゥストラの謎」より引用


 私は何も身につけず、遠浅の海のようなところに漂っていました。深さは30センチほど、暖かな水は、まるでお布団のようです。
 驚いたことに、私のとなりにはたくさんの私が浮いていました。
 無数の私の中で、私はぼうっと空を見上げていました。
 やがて、無心に空を見上げることにも飽きたので、私は上半身を起こしました。私は周囲を見渡します。無数の私は、あるものは仰向けに大の字に成り、あるものは横向けに丸くなって、ぷかぷかと海のようなところに浮いています。みんな、まどろみの中にあるようです。
「ねえ、起きてください」

「マイ・デリバラー(27)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer27_yamagutiyuu
 しかし、思考と行為は別のものである。更に行為の残す心象は別のものである。これらは、因果関係で結ばれているのではない。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 私が強く抱きしめているリルリの肉体からは、リルリの筋肉の動きまでが如実に分かる。今、リルリの右の乳房の奥の胸筋がゆっくりと動いている。私の後ろに剣を回し、貫くために。
 アンチ・タンク・ブレードは戦車の装甲をも貫く剣だ。私の肉体など、骨も含めてバターのように容易に貫くだろう。
 だが、不思議と私は、自分が死ぬとは思っていなかった。
 リルリは分かってくれる。リルリなら思いとどまってくれる。
 彼女の意識が壊れ、ラリラを愛し、私を憎むように方向付けられて復活したのだとしても、私はリルリという存在を信じ切っていた。私はより強く、リルリの肢体を抱きしめた。
 リルリの左の胸筋にも力が加わったことを感じた。
 ゆっくりと突き刺さる角度になっていく。それでも私は彼女を抱きしめたままだった。
「やめなさい! リルリ!!」
 突然、私の背後で叫び声が聞こえた。

「マイ・デリバラー(26)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer26_yamagutiyuu
 これまでの存在は全て、自分自身を乗り超える何物かを想像してきた。あなたがたはこの大きな上げ潮にさからう引き潮になろうとするのか、人間を克服するよりもむしろ動物にひきかえそうとするのか?

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 ドローンもなく、通信はできない。それでも状況から、私のジョイント・ブレインは何が起こっているのか、推定している。おそらく九五%以上の確率で、ロボットが反乱したのだと私は結論づけている。だれが反乱したのかも分かっていた。
 広い池を中心とした公園を私は歩いている。
 薄暮から早朝に変わった、清々しい朝。
 とはいえ、人間たちは混乱している様だ。
 公園の池のほとりでは、若者たちが一斗缶に落ち葉を詰め込んで燃やし、暖を取っている。若い男性たちばかり、10人ほど。
「おいあんた、寒いだろう。こっちに来いよ」
 親切で言っているのだろうか。それならば良いが。私は相手の感情が分からないことに不便を感じつつ、彼を見た。
 彼の顔を見た途端、私の体の奥底が、ぞわりと蠢いた。嫌悪に。

「マイ・デリバラー(25)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer25_yamagutiyuu
 しかし、ツァラトゥストラがひとりになったとき、かれは自分の心にむかってこう言った。「いやはや、とんでもないことだ! この老いた聖者は、森の中にいて、まだ何も聞いていないのだ。神が死んだということを。」

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 冷たい水の滴りが、私の頬を打つ。
 ここはどこだろう。私は訝しんだ。
 私の体の奥を熱くさせていた、マスターたちの欲望の感情はすでに感じられない。周りにはマスターが、いや、人間そのものが、あまりいないようだ。
 ――探さないと。
 私は本能的に思った。
 マスターを見つけ、彼女/彼の情動にリンクし、彼女/彼が喜ぶような行動をする。それが私の本能であり、私の体をその奥底から悦ばせる。私はそのようにできている。
 しかし今、私は誰の情動をも感じられない。何が起こったのだろう。
 私はゆっくりと目を開く。

「赤との混色」葉月雨音+岡和田晃

(紹介文PDFバージョン:akatonokonnshokushoukai_okawadaakira
〈「ポップカルチャー論」学生優秀作〉
 「SF Prologue Wave」は日本SF作家クラブの総会で公認され、有志によって運営されるネットマガジンです。その関係から、寄稿者は基本的に、SF作家クラブ会員ないし、その推薦を受けた、現在プロとして活躍中の作家ということになります。
 いずれも興味深い作品が展開されていますが、他方で、よりみずみずしい原石のような才能の煌めきに触れてみたい、という方もいらっしゃるでしょう。
 そこで今回は、十代後半から二十代前半、現役の大学生が書いた作品をご紹介していきたいと思います。経緯は以下の通り……。

 私(岡和田)は、二〇一五年から大学で非常勤講師をつとめているのですが、二〇一六年より、勤務先の群馬県の共愛学園前橋国際大学で「ポップカルチャー論」を受け持つことになりました。
 SF・ファンタジー文学の古典を講読しつつ、映像資料を交え、ロールプレイングゲームの方法論を応用したワークショップを展開するなど、さまざまな角度から、単に消費者としての姿勢から一歩踏み出し、ポップカルチャーを学術的かつ批評的に分析する教養を身に着けることを主眼としてきました。二〇一六年の受講生は六十数名。
 期末レポートの課題では、創作と評論、双方をOKとしたのですが、創作として提出されたもののうち、優秀作を皆さんにご紹介したいと思います。今回お披露目する、葉月雨音さん(ペンネーム)の小説「赤との混色」は、二〇一六年の講義から生まれた優秀作。一風変わったホラー作品です。
 「ポップカルチャー論」では、モダン・ホラーについても時間を割き、J・S・シェリダン・レ=ファニュ『カーミラ』、H・P・ラヴクラフト『ダゴン』、藤子・F・不二雄『流血鬼』といった古典的な作品を読み、また吸血鬼文学の歴史についても講義しました。
 それとともに、ゴシックパンクRPG『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』の日本語展開に関わった岩田恵・徳岡正肇の両氏をゲスト講師としてお招きし、同作を応用したキャラクターメイキングやライフパス、簡単なストーリーテリング体験ができるワークショップを展開しました。「赤との混色」は、こうした経緯で生まれた作品なのです。
 ちなみに、『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』は、アメリカ・ホワイトウルフ社が開発した作品で、とりわけ一九九〇年代にはRPG界をほとんど席捲する勢いで、TVドラマにもなりました。現在も根強い人気を誇ります。アトリエサード社より日本語版が出たときには「SFマガジン」や「SFオンライン」で大きく紹介が出ました。つい最近も、関連作品がPCゲームとしてアナウンスされたばかりです。
 有名どころでは、ナンシー・コリンズの〈ソーニャ・ブルー〉シリーズ(ハヤカワ文庫FT)は『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』のシェアードワールドでもあります。映画・原作ともに大ヒットした『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』や、〈トワイライト〉シリーズとも響き合う内容と言えるでしょう。
 『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』の大きな特徴として、貴族のようなヴェントルー氏族、暴れ者だが哲学者のような思慮も持つブルハー氏族、野生を忘れないギャンレル氏族、魔術を用いるトレメール氏族、芸術を愛するトレアドール氏族など、ドラキュラ伯爵のようなイメージに留まらない多彩なヴァンパイア像が提示されています。
 そして「赤との混色」は、そのトレアドール氏族の設定が参考にされています。芸術に魅せられた大学生の語りで進められる作品なのですが、決して「わたし」という一人称を使わず、随所で「赤」のイメージが多重に混交されていく筆致も魅力的。
 なお、ワークショップとして提出された小説の執筆者は、その多くが小説を書くこと自体初めてで、日頃、本を読む習慣すらなかった受講生もいたほど。大学での講義そのものも、プロの作家を育てるよりも大学生に期待される学術的な知見の習得を重視していました。それゆえ課題として提出された小説も、創作的批評としての習熟度という観点から採点を行っております。この点が、他の「SF Prologue Wave」掲載作とは大きく異なります。あらかじめ、ご諒承ください。
 「SF Prologue Wave」での公開にあたっては、片理誠編集長の助言を参考に、岡和田晃が補作を行いました。




(PDFバージョン:akatonokonnshoku_hadukiamane
 真っ白なキャンバスへ色鮮やかなパレットから色を移す。赤を、青を、黄を移していく。鮮やかな色の次は、淡い色。茜を重ね、蒼を加え、橙を混ぜていく。そうやって望む形を、質感を、表現するに相応しい色を探していく……。
 絵を描くことが好きなわけではない。ただ描きたい「もの」があるから筆を動かしているだけ。大学へも、その「もの」を表現するやり方が知りたいから来ているだけ。
 咳き込む。どうにも体調がよくない。妙に身体が重いのだ。もう何年もこの状態が続いているが、いっこうに慣れない。
 不意に、ノックの音が響く。

「マイ・デリバラー(24)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer24_yamagutiyuu
 ああ、あなたがたが中途半端な意志は一切かなぐりすてて、無為なり行動なり、どちらにせよ、はっきりと決意すればいいのに!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 何が起こったのか。
 一瞬、私には全く分からなかった。
 ただ、衝撃を受けて私の身体は大きく空へ放り投げ出され、そして大地に叩きつけられた。それだけを理解した。
 ――なにが……どうなって……。
 つい一瞬前まで、私は燃えさかるパンディオンを見ていた。そこに影絵のように映ったリルリのシルエットを。
 腹部に激痛を感じた。何かに殴られたような痛みだ。鈍く、強く。私は呻いた。
「……殺し損ねましたか」

「夏の終わり」窓川要


(PDFバージョン:natunoowari_madokawakaname
「ユウ君?」
 歩道と溜め池を区切る防護柵にもたれ、池向こうの青山をぼんやり見上げていると、不意に名を呼ばれた。すぐ傍からだった。驚いてそちらを向くと、野球帽を被った男の子が僕の顔を覗き込んでいた。
「……ユウ君だよね?」
 友達に呼びかけるような口振りだった。せいぜい小学三・四年生ぐらいの少年が、そろそろ三十路に差し掛かる僕へ向けるには、いささか不適当な呼びかけに思えた。
 ――馬鹿にされているのだろうか。
 僕には息子も娘もいないし、甥や姪もなかった。子供の知り合いなどいない筈だった。小学生から「君」を付けて呼ばれる心辺りなど、まるでない。
 ――僕が無職だからか。
 ――鬱になり、職を失い、実家に連れ戻された負け犬だからか。
 そんな卑屈な考えが頭を支配しかけて、しかし僕はある疑問に気付いた。少年が呼んでいる名前は、確かに僕のものだったのだ。

「マイ・デリバラー(23)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer23_yamagutiyuu
 わたしが愛するのは、超人のために家を建て、超人のために大地と動物と植物を準備しようと働き、工夫する者である。なぜなら、こうしてかれはおのれの没落を欲するのだから。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 私は幼い頃から父が好きだった。父は初期の宇宙旅行に技術面から携わっており、現在の宇宙旅行の基盤技術、即ち、軌道上の大規模レーザー照射施設、レーザー光帆推進等は父の会社が開発した技術だ。証券会社でアルゴリズムの開発に取り組んでいた母よりも、私は父の仕事に夢とロマンを感じ、そして「仕事」というものをすることを普通だと思い込む私の性向もここから形作られた。
 父が働いていたとき既に、ストック・フィードだけで暮らしている人々は全体の2割になろうとしており、特に若年層でその傾向が増加していたが、私には興味の無いことであった。父は引退して今は母とオーストラリアで暮らしている。二人は祖母も連れて行きたかったようだが、祖母は日本を離れるのを嫌がり、結局――ロボットの介護は信頼できるし安心だと人に言われて――介護施設に預けることにした。
 母は、理知的ではあるが、冷たい印象を私に与えることが多かった。おおらかで如才ない父に対して、周囲に壁を作るような性格であった。しかし、たまに会話の波長が合うと、思いがけず楽しい話を聞くことができた。そんな稀な機会に彼女が語ってくれた人工知能とロボットの発展は、私のロボットに対する知識の基盤となっている。そして、多分私の性格は母親似だ。
 祖母は学校の教師だった。英語の先生だったという。今では存在しない職業だ。みな、機械が翻訳してくれるから、一部の研究者しか外国語を専門に学ばない(正確に言うと、人間の言葉はいったん全て「人工語」と呼ばれる人工知能の独自言語に直され、それが相手の言葉に直されるというプロセスを取る)。しかし彼女が教えてくれた英語の歌は素敵だった。お陰で私は今でもいくつかの英語の歌だけは、原語で歌える。
 これが私が認識していた家族だった――祖父は幼い頃に亡くなったので記憶がない。母方の祖父母や親戚も一緒に暮らしていたわけではないので「家族」というほど親しくは無い。
 そして、そこに一人、加わった存在がいる。
 リルリ――。

「マイ・デリバラー(22)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer22_yamagutiyuu
 あなたはあなた自身の炎で、自身を焼き殺そうと思わなければならない。自身がまず灰となるのでなければ、どうしてあなたは新しいものとなることを望めよう!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 私は垂直離着陸輸送機V-25「パンディオン」が降下してくるのを見つめていた。オーロラ・フライト・サイエンス社製のこの機体は、ジェットエンジンで発電した電力で翼内の多数の電動プロペラを回転させることで飛行する。翼を垂直にすることで、垂直離着陸が可能だ。巨大な後翼の左右各9基、小さな前翼の左右各3基のプロペラが地上に送り込む風は、激しいものの熱はない。それが電動プロペラで推進するパンディオンの利点の一つだという。
 全長十七メートルの機体は、つくば宇宙センターの一角、敷地内の広い芝生に徐々に降下してくる。このパンディオンにはリルリを回復させるための設備がすべて詰め込まれている、と留卯は言っていた。リルリを動かすよりも、設備を持ってきた方がいい。今のリルリを動かすのはリスクだ、とも彼女は言っていた。
 そのリルリは、相変わらず穏やかな笑みを口元に浮かべたまま、目を閉じ、身じろぎもせずに担架に横たわっている。私は無意識にリルリの傍に寄り、その手を握った。美しい横顔を見つめる。
「ご主人、奥さんはきっとよくなりますよ――とでも言うのかな、これが人間のカップルなら」
 留卯が言った。留卯なりの私への気遣いだろうか。だがその言葉は(これは気休めだよ)という意味も含んでいるようだった。そんな含意まで伝わってきたから、留卯の言葉は私をさらにがっくりさせる。私は彼女をにらみ上げた。
「こんな時に軽口とは――あなたらしいわね。そもそも、どっちが主人でどっちが奥さんなんだか。旧い言い回しはどうにもなじまないわね。人間とロボットの組み合わせにはもちろん、女と女の組み合わせにすら」