カテゴリー: 中・短編

「黄昏のサイレン」平田真夫

(PDFバージョン:tasogarenosiren_hiratamasao
 手持ちの缶から、ブラック珈琲を一口――。
 砂糖やクリームの入った物は、余り好きではない。口中に甘さが残り、後味が悪いからだ。
 販売機の傍らには、乗って来た自転車が止めてある。もう五年は使っているが、まだガタは来ていない。坂道を登ったりしないからだろう。アパートから此処までは、平坦な舗装路が続いているだけである。
 腰掛けているコンクリートの直方体は、背後のビルから一メートル余り突き出しており、何の役に立つのかよく解らぬ。そのビルには窓の一つも無く、中で何が行われているのか、いや、そもそもこれがビルと言えるのかすら不明であった。
 高さ二十メートルのコンクリートの箱。
 この街の建物は、唯一の例外を除いて、皆、こんな感じだ。巾五メートル余りの道路はきちんと碁盤目に整理され、一定の間隔を置いては十字路になっている。舗装もちゃんと施されてはいるのだが、車などが通るところは見たことも無い。だいたいが、窓も入口も開いていないビルに、どんな訪問者が来るというのか。
 それでも、腰掛けに隣接している飲み物の販売機はきちんと作動しており、売り切れや釣銭切れの表示が出ていることは無かった。ちゃんと缶の補充や集金は行われている印であり、だとすれば他に客がいるのかも知れない訳だ。
 ――でもなあ。
 市役所から仕事を貰って二十七年、街で誰かに出会ったり、人影を見たことは一度も無い。一体、何の必要があって、時報を鳴らしているのだろう。
 さよう、この身の仕事は一日に二回、朝の八時半と夕刻の十七時にサイレンを鳴らすこと。それも今時珍しい、機械仕掛けではない手廻しである。

「夜の迷走」青木和

(PDFバージョン:yorunomeisou_aokikazu
 〈鳴木(なるき)峠アト20㎞  右10m先巻道アリ〉

 峠の手前で街道をはずれ、巻道に入ったあたりで急に空模様が変化した。ただでさえ薄い星の明かりが雲に覆い隠され、瞬く間に闇夜に変わる。
 誰も聞く者がないのをいいことに、俺は盛大に舌打ちした。
 どうしてもっと早く、町にいる間に曇ってくれないんだ。誰にも見られる恐れがなくなって、これから明かりが必要だって時に暗くなるなんて、意地が悪すぎるぞ。
 だが俺の都合など知ったことじゃないと言わんばかりに、天候はますます怪しくなってくる。フロントガラスに雨の雫が落ちてくるまでに、長い時間はかからなかった。
 巻道というのは、尾根を越えずに山腹を水平に縫って反対側に出る、いわば抜け道だ。登って降りる行程がないので勾配は緩いが距離は長くなる。遠回りになるのを嫌ってか、歩行者はもちろん車ですらほとんど通らない。今夜俺がその寂れた道を通ることにしたのはだからこそなのだが、雑木林の間をうねうねと曲がりくねって伸びる道は、前も後ろも途方に暮れるほど濃厚な闇に包まれていた。
「くそっ」