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「1983年のクリスマス ――光瀬龍氏と名前――」宮野由梨香


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「もしかして、今晩って、クリスマス・イブ? うわぁっ」
 昼休み、大学の図書館で新聞を見て、私は焦った。夕方に人と会う約束をしていた。その日=12月24日に会うという約束をした時、私はうかつにもクリスマス・イブだということに全く気がつかなかったのだ。
 私はあわてて公衆電話のところに行った。携帯電話のない時代、バブル真っ盛りの1983年のことだった。
「光瀬先生、すみません、今日ってクリスマス・イブだったんですね!」
 クリスマスを祝うという習慣のない家庭で育った私も、世の中にはイベントを催す方々が多いということくらいは知っていた。たぶん光瀬先生も気がつかなくて約束なさったのだろうと思った。
「お会いするの、ご迷惑なら、別の日にしましょうか?」
「いや、かまいませんよ」
「では、お約束どおりでいいんですね?」
 電話を切って私は考えた。「そもそも、『百億の昼と千億の夜』の中で、イエス・キリストをボロクソに描いた人だった。余計な心配をしてしまった」と。
 だから、赤羽駅近くのレストランで、クリスマス・プレゼントとして蔵書印をいただいた時には、びっくりした。

「男は女の敵ではない……光瀬龍氏が『仕事』について語ったこと」宮野由梨香


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 光瀬龍氏が「仕事」について語ったことについて書いておこうと思う。
 小説家専業となるまで、彼はある女子高校の先生をしていた。
 教師をやめた事情について、話を伺ったことがある。
 いろいろな「物理的な事情」についてリアルに語ってから、彼は言った。
 あらゆる「物理的な事情」は、本当はたいしたことではなかった、と。
「結局、育てることにおいて、男は女の敵ではないと思い知ったからなんだ」
 この「敵ではない」とは、「敵(かな)わない」「絶対に勝てない」という意味である。普通に話しているときでも、こういう漢文直訳的な言い回しをする人だった(註1)。
 「担任していた生徒の妊娠」を、彼はそれを象徴する事件として話題にした。

「光瀬龍氏との結婚論争」宮野由梨香


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「今の若い女性というのは、結婚するまで処女でいたいものなのかな?」と、光瀬龍氏に尋ねられたことがある。
 時は1984年。光瀬氏は56歳、私は23歳の大学院生だった。
 まだ「セクハラ」という言葉が社会的認知を得ていない時代であった。この種のことをいきなり尋ねてくるオジサンというのが、一定数、存在していた。(というか、今の時代では逆にありえない質問であろう)
「さぁ? 人それぞれじゃないんですか?」と、とりあえずかわしたのだが、「あなたの場合はどうなのよ?」と、しつこかった。
 さすがに、私はちょっと不機嫌になった。

「円満な夫婦」宮野由梨香

(聞いて極楽シリーズ・その3)
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 その塾は私鉄の急行が停まる駅前の商店街の中にあった。高校受験のための塾だった。志保は大学の事務室にある資料でそのバイト先を知り、紹介状を書いてもらった。幸い、志保の教えぶりは評判がよいようだった。
「志保ちゃんが来てくれて、本当によかったよ」と、塾の経営者の男は言った。男は自分のことを「塾長」と呼ばせていた。志保を面接して採用したのも、この塾長だった。
「長く来てくれるつもりがあるなら、いろいろ任せたいな」
「就職活動で忙しくなるまでは、来ることができると思います」
 志保は大学2年生だった。
「十分だよ。そうだ! いっそ、ここに就職したら?」
と、中年男は相好を崩した。
「考えておいてよ。それまでのバイト代も、はずむからさ」
「そうですね」と答えたが、もちろん、志保にその気はなかった。
 思えば、この時にはっきりとした態度をとるべきだったのである。

『「あれ(『百億の昼と千億の夜』)は、私小説なんですよ」という光瀬龍氏の発言について』宮野由梨香

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 宇宙へ飛んだ「私小説」――SF作家 光瀬龍さん 7月7日死去(食道がん)、71歳 7月10日告別式……これが、光瀬龍氏の追悼記事(〈朝日新聞〉1999年8月26日夕刊)の見出しであった。
 この見出しは、追悼記事の中の“(光瀬龍氏の門下生のひとりである)作家の子母澤類さんは「『百億』は、よく言われる無常観などを意識せず、私小説のように自分の青春を語っただけ、と聞きました」”という箇所に基づいている。
 「私小説」という光瀬氏の発言については、〈SFマガジン〉1999年11月号(「追悼:光瀬龍」特集号)でも、柴野拓美氏が証言なさっていた。“『東洋的無常観』という評言に対して光瀬さん自身はむしろ否定的だった。「そういう意識などとくになく、むしろ私小説を書いている気分」だというのが彼の主張”(220頁)というふうにである。
 二つの証言は微妙に異なっている。そして、両方とも、私が直接伺ったことと、異なる。もちろん、ニュアンスの違いという程度のこととお考えになる方も多いであろうが、しかし、だからこそ、私がどう伺ったかを、ここに証言しておきたいと思うのだ。

「光瀬龍氏との墓論争」宮野由梨香

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 光瀬龍氏と「墓論争」をしたことがある。
 一九八〇年代の終わり頃だった。私は二十代後半、光瀬氏は六十歳くらいだった。(私と光瀬先生との出会い等については、こちらをご覧ください)
 何からそういう話になったのか、よく覚えていない。たぶん、私が何気なしに「盆に帰省したら、まず墓の掃除をして…」とでも言ったのだろう。光瀬氏は「墓なんか、どうなったっていいじゃないか」とおっしゃった。

「日経『星新一賞』創設記念シンポジウム・ルポ」宮野由梨香

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 2013年8月7日、東京大手町の日経ホールで行われた「日経『星新一賞』創設記念シンポジウム」へ行ってきた。
 面白いシンポジウムだった。
 シンポジウムの内容については、既に〈日本経済新聞〉2013年8月30日(金)朝刊14面の全面にわたって詳細な報告がなされている。それをお読みの方も多いだろう。
 このルポでは、私、宮野由梨香が面白く思ったことを取り上げて書かせていただきたいと思う。アンバランスな記載と感じられる向きもあるかもしれないが、どうかご容赦願いたい。

「姑の定年」宮野由梨香

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 その昔、「ぬれ落ち葉族」という言葉があった。仕事ひとすじで生きてきた会社人間の男が、定年後に妻にまとわりつく始末の悪さを皮肉った言葉である。もちろん、これは現在でも解決された問題ではないのだが、既に十分、「社会的な認知」を得ている。むしろ、「終身雇用」が生きていた牧歌的な時代の幸せな男たちという見方も成り立つ。
 厄介な現象というのは、実は社会的な認知を得た段階で九十九%終わっているものだ。逆に言えば、現在において切実な問題ほど認知されないし理解もされないし、それを言い表す言葉もない。

「SF Prologue Wave編集部新春のご挨拶」(画・図子慧)

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①ペンネーム
②肩書き
③SFPWの編集として新年にあたって一言
④今年のお仕事などの活動予定 
⑤SF的アンケート
 a.神になって世界のなにかを変えられるとしたら、なにを変えますか?
 b.タイムマシンを作るとしたら、どんなルールを作りますか?
 c.ペットにしたいクリーチャーは?
⑥一言

「SFと音楽と映像・門倉純一インタビュー」聞き手:宮野由梨香 ゲスト:狩野あざみ、増田まもる

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 門倉純一さまと言えば、「SFと音楽と映像」の第一人者。日本初のSF映画ファンの同人誌「モノリス」(SF映画ともの会)に関係し、「SF音コン」を主催し、また、NHKの「ラジオSFコーナー」のメインパーソナリティもつとめられた方です。
 そのご邸宅には、すごい設備のホームシアターと、SFコレクションがあるという噂です! その門倉純一さま宅を、増田まもるさま(翻訳家・日本SF作家クラブ事務局長)がご訪問なさるという話を、私・宮野由梨香が聞きつけました。「いいなぁ、いいなぁ」とうらやましがったところ、なんと「よかったらご一緒に」とおっしゃっていただけました。わ~い♪ 更にずうずうしく、「せっかくなので、お話を記事としてまとめさせて下さい」とお願いしたところ、快諾していただきました。ありがとうございます!


門倉純一さま(手にされているのは、ハレー彗星のぬいぐるみです)

「『現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット』(彩流社)YOUCHAN氏・巽孝之氏・増田まもる氏インタビュー」聞き手宮野由梨香・岡和田晃

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現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット

 YOUCHAN氏と言えば、SF Prologue Waveを彩る画像でもおなじみのイラストレーターである。熱心なヴォネガット・ファンである彼女は、SF批評家の巽孝之氏の監修のもとにヴォネガットのガイドブックを編集し、2012年9月に刊行した。(名義はペンネーム「YOUCHAN」と本名の「伊藤優子」とが併記の形になっている。)
 イラストレーターが、どんな思いを込めてヴォネガットのガイドブックを編集したのか? 監修者の巽孝之氏、ヴォネガットの伝記のレビューを担当した翻訳家の増田まもる氏も交えて、お話を伺った。
                           (宮野由梨香・岡和田晃)

「「味噌汁の具が1種類だなんて!」から……」宮野由梨香

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「味噌汁の具が1種類って、それはないだろう!」
と、夫は言った。
 今から20年ほど前、結婚したての頃のことである。
「例外はカブだな。あれはカブと葉っぱで2種だということで許す。それ以外は駄目だ!」
 たしか、ワカメだったと思う。何らかの理由で(多分、旅行前だったか後だったかだ)、他に食材がなく、ワカメだけを入れた味噌汁をつくったのだ。 そうしたら、夫が「具が一種類だなんて、あり得ない! こんなの、味噌汁じゃない」と言いだしたのである。
 当然、宮野は反論した。
「具を2種類以上入れないと味噌汁じゃないなんて、誰が決めたのよ!?」

「北海道・S・F」宮野由梨香

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 北海道のある少年が、学校に遅刻しそうになって、近道のために牧場を横切りました。
 少年の通う学校は、とても規律を重んじています。遅刻なんて許されることではありません。
 学校に行くための道も決められています。近道のために柵を越えて牧場を横切るなんて、してはならない行為です。
 さて、牧場の真ん中に生えている木の下を通り過ぎる時、少年は狐の子を見つけました。狐の子は草の中に倒れていました。足から血を流しています。意識はありません。心臓はまだ動いているようです。でも、このまま放っておけば、死んでしまうでしょう。
 少年は狐の子を抱き上げました。そのまま学校へ急ぎました。

「犯罪のない街」宮野由梨香

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「引っ越してきたばかりだなんて、そんなこと、理由になりませんよ。この街にお住まいになる以上は、この街の条例に従っていただかないと」
と、やってきた警官は言った。
「まず、玄関には、五つ以上のカギをかけて下さい」
「五つの鍵を毎日かけるんですか?」
「慣れれば、どうということはありませんよ。そして、家の中は、ドアごとに三つ。これも必ずお願いします。……今まで全くやっていなかったんですか?」

「田中光二さん300冊記念パーティ」&「第7回日本SF評論賞贈賞式」ルポ 宮野由梨香

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 2012年2月1日(水)の夕方、私、宮野由梨香は東京メトロの表参道駅からホテルフロラシオン青山への道を急いでいた。午後6時半から催される「田中光二さん300冊記念パーティ」&「第7回 日本SF評論賞贈賞式」に出席するためである。
 昨年もこうしてこの道を歩いていた。毎年、場所はここなのだ。部屋も同じ、一階の「はごろも」の間である。
 まず受付で名前を書き、ネームプレートを胸につけて会場に入る。
 入ってすぐの机の上に、「田中光二著作リスト」が山と積まれていた。
 思わず手に取ろうとしたら「あ、これは帰りに配ります。カードに、一番お好きな作品名と、それについての一言をお願いします」と、名刺大のカードを渡された。
「田中光二さまというと、思いだすのは、大学のゼミで……」
 宮野は、評論賞チームの岡和田晃さまを相手に、自分の学生時代(ホンの30年ほど前よ♪)の話を始める。
「『田中冬二についてレポートしろ』と言われて、でも、宮野はね~、田中冬二を知らなくて、『田中光二なら、よ~く読んでいますけど…』って答えたのよ。近代詩の野山嘉正教授に」
 四季派の詩人よりも「エデンの戦士」の作者の方が、もちろん、はるかにメジャーに決まっている!

「目玉焼きとは?」宮野由梨香

(PDFバージョン:medamayakitoha_miyanoyurika) 
 皆さまに重要な質問があります。
「目玉焼きとは、堅焼きですか? それとも、半熟ですか?」
            〇
 これは、『魔法少女まどか☆マギカ』第1話の中のセリフです。
 主人公・鹿目まどか(中2)の担任教師(女性・推定30代)が、朝のホームルームで「今日は皆さんに大事なお話があります。心して聞くように!」と前置きしてから、このように言うのです。
「目玉焼きとは、堅焼きですか? それとも、半熟ですか?、ハイ、中沢くん!?」

「片理誠インタビュー」聞き手――高槻真樹・宮野由梨香

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――まず、最新作『Type:STEELY』 (幻狼ファンタジアノベルス) について伺わせて下さい。上巻と下巻の2分冊なんですよね?

片理「はい。既に両方とも発売されています」

――もう、一気に読んでしまいましたよ~。すごく面白いです。推進力がありますね。長いのに、長さを感じさせないという感じです。

片理「ありがとうございます」

小松左京さんを偲んで(寄せ書き)

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 本サイト「SF Prologue Wave」は、この度の小松左京さんの訃報に接し、SFにも、また日本SF作家クラブにも、多大なご貢献のあった氏に敬意を表し、ここに小松左京氏の追悼企画として、天国の小松さんへ会員有志による『寄せ書き』を捧げます。
 ただし、ここにあるものが全てではありません。『追悼エッセイ』としてご寄稿いただいた方もおられます。また、氏の訃報は我々会員にとって衝撃であり、「ショックで、今はまだ何も書けません」と申される方が多数おられたことも、ここに付け加えさせて頂きます。
 小松左京さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。(「SF Prologue Wave」編集部一同)

「日本SF作家クラブ発祥の地:山珍居インタビュー」宮野由梨香・増田まもる、YOUCHAN(イラスト・写真)

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[※結局、写真は後日、YOUCHAN 夫に撮り直してもらいました。( Photo by 伊藤のりゆき )]
 
 新宿の台湾料理店「山珍居」といえば、日本SF作家クラブ発祥の地として名高い。1963(昭和38)年3月5日に、ここで日本SF作家クラブの「発足準備会」が行われた。その様子は『星新一 1001話をつくった人』(最相葉月・新潮社・2007年)でも紹介されている。
 新しいものを創り出そうとする第一世代SF作家たちの熱気を支えたのは、この場所の美味しい料理と酒と、ご主人の人柄と、そこに集う人々の醸し出す雰囲気だった。

「辻真先インタビュー」宮野由梨香・井上剛

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「はじめまして。……さっそくですが、インタビューをお願いできますでしょうか?」
 日本SF作家クラブの総会で、この「公式ネットマガジンPW」の創刊が承認された時のことだ。会議が終わるやいなや、私・宮野は向かい側の席にいらっしゃった辻真先先生のもとへ走った。1961年生まれの宮野にとって「辻真先」は神様のひとりである。辻先生はその場で手帳をお開きになって、日時の設定をして下さった。
「しかし、辻先生のお仕事は膨大ですから、何かテーマを考える必要がありますね」
「では、初期のSFをめぐる状況について、話しましょうか」

「第6回日本SF評論賞贈賞式」ルポ 宮野由梨香

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 2011年2月2日(水)の夕方、宮野は地下鉄の表参道駅からホテル・フロラシオン青山への道を急いでいた。6時半から催される「第6回・日本SF評論賞贈賞式」に出席するためである。カラカラ天気の続く東京は、その日もよく晴れていた。風もなくて、この時期としては非常に暖かな日であった。

ミヤノ ユリカ


宮野由梨香(みやの ゆりか)
1961年生まれ。長野県塩尻市出身。
「阿修羅王は、なぜ少女か…光瀬龍『百億の昼と千億の夜』の構造」で第三回日本SF評論賞を受賞。現在、同論の続編にあたる作品を執筆中。