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「無職の俺が幼女に転生したがとんでもないディストピア世界で俺はもう終わりかも知れない:第5話」山口優(画・Julia)

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< 登場人物紹介>
●栗落花晶(つゆり・あきら)
 この物語の主人公。西暦二〇一七年生まれの男性。西暦二〇四五年に大学院を卒業したが一〇年間無職。西暦二〇五五年、トラックに轢かれ死亡。再生歴二〇五五年、八歳の少女として復活した。
●瑠羽世奈(るう・せな)
 栗落花晶を復活させた医師の女性。年齢は二〇代。奇矯な態度が目立つ。
●ロマーシュカ・リアプノヴァ
 栗落花晶と瑠羽世奈が新たに所属するシベリア遺跡探検隊の隊長。科学者。年齢はハイティーン。瑠羽と違い常識的な言動を行い、晶の境遇にも同情的な女性。

< これまでのあらすじ>
 西暦二〇五五年、コネクトーム(全脳神経接続情報)のバックアップ手続きを終えた直後にトラックに轢かれて死亡した栗落花晶は、再生歴二〇五五年に八歳の少女として復活を遂げる。晶は、再生を担当した医師・瑠羽に再生歴世界の真実を告げられる。西暦二〇五五年、晶がトラックに轢かれた直後、西暦文明は一度核戦争により滅んでしまい、その後、『システム』と呼ばれる世界規模の人工知能ネットワークだけが生き残り、文明を再興させたという。「システム」は再生暦の世界の支配者となり、全ての人間に仕事を与えることで、生活を支え、生き甲斐を与える一方、「システム」に反抗する人間に対しては、「暴力性向修正所」と呼ばれる収容所送りにするなど、人権を無視した統治を行っていた。
 晶は瑠羽と共にシベリアで旧西暦時代の遺跡発掘隊に参加することを「システム」に命じられ、発掘隊の隊長、ロマーシュカとともに成田空港に向かう。空港での道中、タクシーの車中にて、ロマーシュカと瑠羽は、「システム」の支配するこの世界の変革を目指していることを告げ、彼女等が向かうシベリアの遺跡にそのヒントがあるかも知れないと明かす。



(1)
 俺は「探検服」を着用した俺自身の姿をまじまじと見つめた。
 MAGIAがPPGによって相手の情動と行動パターンを照合して人間を識別するという話には一定の信憑性があるようには思えたが、それが露出過多な服を着なければならないという結論に繋がるのかどうか、俺にはよく分からない。ただ、俺が着せられたのが露出過多な服であったという事実があるだけだ。
 まず、俺の首からつま先、指先までをぴったりと覆う、透明なスーツがある。ただ、これを着ているだけでは俺は全裸と同じことだ。八歳の少女としての俺の身体がそのまま見えてしまう。その透明なスーツの上に、胸と腰を申し訳程度に覆うカーキ色のパーツが付随している。それらは、探検服という名目を保つ為なのか、たくさんの胸ポケットや、尻ポケットを付随させており、それなりに役に立ちそうではあった。
 そして、俺は探検服の一部として、バックパックを背負うことになった。そこにはMAGIがちょうど入る大きさであり、MAGIを入れることになっているらしかった。
「どうだい?」
 瑠羽が断りもせず俺の更衣室に入ってくる。俺は思わず胸と股間を隠すように手をやった。

「無職の俺が幼女に転生したがとんでもないディストピア世界で俺はもう終わりかも知れない:第4話」山口優(画・Julia)

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< 登場人物紹介>
●栗落花晶(つゆり・あきら)
 この物語の主人公。西暦二〇一七年生まれの男性。西暦二〇四五年に大学院を卒業したが一〇年間無職。西暦二〇五五年、トラックに轢かれ死亡。再生歴二〇五五年、八歳の少女として復活した。
●瑠羽世奈(るう・せな)
 栗落花晶を復活させた医師の女性。年齢は二〇代。奇矯な態度が目立つ。
●ロマーシュカ・リアプノヴァ
 栗落花晶と瑠羽世奈が新たに所属するシベリア遺跡探検隊の隊長。科学者。年齢はハイティーン。瑠羽と違い常識的な言動を行い、晶の境遇にも同情的な女性。

< これまでのあらすじ>
 西暦二〇五五年、コネクトーム(全脳神経接続情報)のバックアップ手続きを終えた直後にトラックに轢かれて死亡した栗落花晶は、再生歴二〇五五年に八歳の少女として復活を遂げる。晶は、再生を担当した医師・瑠羽に再生歴世界の真実を告げられる。西暦二〇五五年、晶がトラックに轢かれた直後、西暦文明は一度核戦争により滅んでしまい、その後、『システム』と呼ばれる世界規模の人工知能ネットワークだけが生き残り、文明を再興させたという。瑠羽の案内で、「仕事を与える」役所たるGILDに到着した晶は、「適切な職業」をGILDのコンピュータに判断された。結果は「フリーター」。激怒する晶だったが、瑠羽に暴力を振るうと矯正施設に入れられると諭され、何とか怒りを抑え込む。その後、晶はシベリアで旧西暦時代の遺跡発掘隊に参加することを「システム」に命じられ、発掘隊の隊長、ロマーシュカと対面する。


(1)
 ロマーシュカ、俺、瑠羽の三人は、再びタクシーに乗っていた。目指すは成田空港。俺達を含む探検隊をシベリアまで運ぶ輸送機が待っているという。
「世界じゅうで西暦時代の遺跡の発掘は続けられていますが、その殆どは、MAGIの手で行われています。人間が関与することは稀ですね」
 ロマーシュカが説明をしている。何しろ、俺も瑠羽も、今日遺跡発掘隊のメンバーになることを知らされたばかりだ。その説明も必要だろう。
「どういう場合に人間が関わることになるんだ? というより、この世界でも、かつての西暦でも、MAGIが全てをこなしてしまう。人間にできることで、MAGIにできないことはどんどん少なくなっている」
「仰る通りですわ。ただ、MAGIにできないことというのは、あります。これは、西暦の時代にもそうだったかと思いますが」
「それは?」
「価値観を自ら生み出すことです」

「無職の俺が幼女に転生したがとんでもないディストピア世界で俺はもう終わりかも知れない:第3話」山口優(画・Julia)

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< 登場人物紹介>
● 栗落花晶(つゆり・あきら)
 この物語の主人公。西暦二〇一七年生まれの男性。西暦二〇四五年に大学院を卒業したが一〇年間無職。西暦二〇五六年、トラックに轢かれ死亡。再生歴二〇五六年、八歳の少女として復活した。
● 瑠羽世奈(るう・せな)
 栗落花晶を復活させた医師の女性。年齢は二〇代。奇矯な態度が目立つ。

< これまでのあらすじ>
 西暦二〇五六年、コネクトーム(全脳神経接続情報)のバックアップ手続きを終えた直後にトラックに轢かれて死亡した栗落花晶は、再生歴二〇五六年に八歳の少女として復活を遂げる。晶は、再生を担当した医師・瑠羽に再生歴世界の真実を告げられる。西暦二〇五六年、晶がトラックに轢かれた直後、西暦文明は一度核戦争により滅んでしまい、その後、『システム』と呼ばれる世界規模の人工知能ネットワークだけが生き残り、文明を再興させたという。留卯の案内で、「仕事を与える」役所たるGILDに到着した晶は、「適切な職業」をGILDのコンピュータに判断させるため、身体をスキャンする必要があると言われ、服をぬぐのだった。


(1)
「適性判定が出ました」
 ブースの奥で、全裸のままくまなくスキャンされた後、再び服を着てディスプレイの前に戻ると、女性がにこにこして待っていた。
「判定:適性職業(ジョブ)はフリーター」
 女性は言う。
「フリーター?」
 転生前と同じじゃないか……。
 俺は愕然として女性を見つめた。
「なあ、俺は小学二年生のはずだろ……? 小学校とか、通わなくていいのかよ?」

「無職の俺が幼女に転生したがとんでもないディストピア世界で俺はもう終わりかも知れない:第2話」山口優(画・Julia)

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< 登場人物紹介>
● 栗落花晶(つゆり・あきら)
 この物語の主人公。西暦二〇一七年生まれの男性。西暦二〇四五年に大学院を卒業したが一〇年間無職。西暦二〇五六年、トラックに轢かれ死亡。再生歴二〇五六年、八歳の少女として復活した。

● 瑠羽世奈(るう・せな)
 栗落花晶を復活させた医師の女性。年齢は二〇代。奇矯な態度が目立つ。

< これまでのあらすじ>
 西暦二〇五六年、コネクトーム(全脳神経接続情報)のバックアップ手続きを終えた直後にトラックに轢かれて死亡した栗落花晶は、再生歴二〇五六年に八歳の少女として復活を遂げる。晶は、再生を担当した医師・瑠羽に再生歴世界の真実を告げられる。西暦二〇五六年、晶がトラックに轢かれた直後、西暦文明は一度核戦争により滅んでしまい、その後、『システム』と呼ばれる世界規模の人工知能ネットワークだけが生き残り、文明を再興させたという。


(1)
 瑠羽は俺の反応を興味深げに観察しているようで、腕を組んだまま、横目で俺の表情を盗み見ている。
「そんなことが信じられるか! この世界はどう見ても……俺の知っている東京だ! 夢島区だ!」
 そのとおりだ。アスファルトの道路、行き交う自動運転車、道を行く人々――。その光景は、どう見ても二一世紀の東京にしか見えない。
「ああ……そうかい……じゃあ、あれを見てみるんだな」

「マイ・デリバラー完結記念対談」山口優、じゅりあ

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【対談の経緯】2020年2月20日、SF Prologue Waveで連載を続けていた中編小説「マイ・デリバラー」が第53話にて完結を迎えた。これを記念し、作者である山口優と、タイトルイラストと最終話イラストを担当したじゅりあが対談を行った。対談の企画は次回作の打ち合わせの中で「マイ・デリバラー」を総括してみたいとの両者の考え方から生まれ、最終話掲載直後の2020年2月22日に行われた。

「無職の俺が幼女に転生したがとんでもないディストピア世界で俺はもう終わりかも知れない:第一話」山口優(画・Julia)

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(1)
 栗花落(つゆり)晶(あきら)という自分の名前には特に愛着はない。
 だから、病院の受付のAIがその名を呼んだときにも、俺は「あ、はい」と気のない返事しかできなかった。
 子供の頃はそうではなかったはずだ。もっと俺自身という存在を特別に思っていたはずだ。だが、俺の人生は俺にその特別感をずっと与え続けてはくれなかった。
 第二氷河期と呼ばれる就職難の時代に、俺は大学を卒業した。
 およそ西暦二〇四〇年代前半に起きたその時代は、AIの発展により産業構造の大幅な変換が起こり、俺達が大学で学んだことはほとんど全く企業には望まれず、俺は何度も何度も俺のES(Exploit Summary)データを多くの企業にはねられ続けた。大抵は単能力型AI(ASI、Artificial Specific Intelligence)にはねられ、総合AI(AGI、Artificial General Intelligence)の審査までいったものすら少数だった。
 たぶん、俺のESを見た人間はいないのだろう。
「栗花落さーん、順番です」
 その声に、俺はのそのそと立ち上がり、受付に向かった。

「マイ・デリバラー(53)」山口優(画・Julia)

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 これはわたしの朝だ! わたしの昼がはじまろうとする。さあ、来い、来い、大いなる正午よ!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「先輩! そんな堅苦しい格好しなくていいんですってば! ライブですよライブ! それとも舞踏会のつもりなんです?」
 羅欄瑞が「舞踏会」という難しい単語を知っていることに私は寧ろ驚いた。私の格好は別にイブニングドレスというわけでもなく、ただ単にちょっとおしゃれなブラウスとスカート、ハイヒールというだけだ。だが、羅欄の格好を見ると、だぼっとしたTシャツにジーンズ、スニーカーだったから、それに比べれば堅苦しい格好と言えるのかもしれない。
「でもライブができるまでになるなんて、思えばいいことです、うん、いいことだ」
 羅欄はにこにこ笑っている。

「マイ・デリバラー(52)」山口優(画・Julia)

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 わたしの踵は高まり、わたしの爪先はおまえの心を知ろうとして、耳をすませた。耳が爪先についていてこそ、舞踏者というものなのだ!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「さあ、君の舞台だ……最初の舞台といいたいところだが、観客がいないのでゼロ番目の舞台だな。けれど、それが次に繋がっていくことは間違いない」
 ヴェイラーの機上、私のプロデューサーたる留卯博士は、そう言って微笑む。
「……また三人で歌うといい。フィル=リルリと君、そして既に救出されたロリロだ。だが、そのためには……分かるね」
 彼女はじっと私を見つめ、言い聞かせるように告げる。

「マイ・デリバラー(51)」山口優(画・Julia)

(PDFバージョン:mydeliverer51_yamagutiyuu


 おお、わたしの魂よ、わたしはおまえに、嵐のように「否」という権利を与え、晴れ渡った空が「然り」と言うように「然り」と言う権利を与えた。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 ――(目標群ガンマ、出現!)
 リルリの声が通信ネットワークに響く。
 それは、目標群アルファ、ベータと定義されたI体とR体が、軌道上でのドッキングを開始したことを意味する。ラリラがI体を投射した時間はバラバラだが、会合したタイミングはほぼ同時だった。
 ――(ガンマ1~5は、第一分隊、ガンマ6~10は第二分隊、ガンマ11~15は第三分隊が担当、ガンマ16~22は私と……)
 それからリルリは私の方を見た。
 ――(恵衣様が担当します!)

「マイ・デリバラー(50)」山口優

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 一人の変容した者、光につつまれた者であった。そして哄笑した。これまでこの地上で、かれが哄笑したように、これほど哄笑した人間はなかった!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「崩壊するアメノトリフネを見て気づいたのです。C2NTAMは最大まで伸びると強度が最低になる。そして、それはI体とR体のドッキングにおいて用いられるC2NTAMについても同じだと。ざっと強度計算すると、互いに反対方向に軌道を巡るI体とR体がC2NTAMで結びつき、そのナノチューブケーブルが伸びきった瞬間のみ、その強度はATBで切断できるまでに弱まると」
 私たちは脱出ポッドの内部にいた。リルリはポッドのガスジェットを巧みに操り、タケミカヅチのI体とR体の会合地点にランデブーするように調整した。
「……私が22個全てを切断するつもりでしたが、この損傷した身体では、最適なタイミングで全てを切断するだけの素早い動きに耐えられない。そこで、残りをあなた様に斬ってもらおうと思います」
 一人だけのポッドに二人詰め込まれていた。男性一人が充分に入れるポッドなので、小柄なリルリと、女性としても中ぐらいの体躯の私なら、窮屈ではあるが二人入れている。
「良かった」
 私はしみじみと言った。
「あなただけが危険なことをやって、私がそれを傍観しているというのはつらいものよ。それが回避できて本当に良かった」
 リルリは複雑な顔をした。

「マイ・デリバラー(49)」山口優

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 わたしか! それとも、おまえか!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 タケミカヅチの崩壊は続いている。リルリは数秒、それをじっと観察していた。それから、その口元に笑みを浮かべる。
「なるほど……そうすればいいのですね」
 そして、私のヘルメットに再び額をつけた。
「恵衣様、あなたも脱出が必要です。生き残っているポッドを探しましょう」
 彼女がそう言った途端、私と彼女のガスジェットが同時に噴射を開始した。崩壊しつつあるアメノトリフネの中に、破片を巧みに避けながら入り込んでいく。
「……あなたは……?」
 リルリは微笑みを保ったまま。
「タケミカヅチの会合を阻止する方法を考えていたのですが……たった今、その方法が思いついたので、それを実行しようと思っています。そのためには、私は脱出ポッドに乗ってはいけない」
「それは……あなたはここで死ぬということ……?」

「マイ・デリバラー(48)」山口優

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 勇気にまさる殺し屋はない。すすんで攻める勇気、それは死をも打ち殺す。なぜなら勇気はこう言うからだ。「これが生きるということであったのか? よし! もう一度!」
 かかることばには、喨々と鳴りひびく音楽がある。耳のある者は、聞くがよい。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 ラリラと対峙する私とリルリ。そこに小鳥遊准尉から通信が入った。
 ――(R・リルリ! 状況は?!)
 ――(情報を送ります。端的に言えば、失敗です)
 リルリは唇をかみしめる動作をしながら、素早く全ての情報をデータで小鳥遊准尉に送信した。
 ――(……すぐに留卯に通信を。タケミカヅチのターゲットとなる全国22カ所の量子サーバ基地の隊員たちを避難させる必要があります。平行してR体とI体のドッキングを阻止する手段を検討しましょう)
(強い……わね)

「マイ・デリバラー(47)」山口優

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 没落する者がわが身を祝福する時が、いまは来た。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 海中においてイソギンチャクは、エサを取り込む為には自らの体内に海水を迎え入れる必要がある。一方で、海水のpH値等がイソギンチャクにとって不適切ならば、それを吐き出す必要がある。身動きのできないイソギンチャクにとって、海水を吸い込むか、吐き出すかは、環境に対して取れる唯一のアクションであり、それ故に環境と生物の関係について明確な知見を提供してくれる。
 イソギンチャクには脳に該当する機関は存在しないが、神経ネットワークは保有しており、それはイソギンチャクの体表面の感覚器からの信号を受けて海水に対するアクションを決定する。このとき、感覚器からの信号に応じてイソギンチャクの神経ネットワークを飛び交う信号は、海水を吸い込むときには「快」、海水を吐き出すときには「不快」に相当する情動と見做せるという。感情とは、主観的な自我が自己の神経ネットワークを飛び交う信号としての情動に対して行う解釈だ。従って相当に複雑な脳を持つ動物にしか感情はないが、情動または情動と見做せる信号については、非常に広範な種類の生物がそれを持っている。逆に情動信号がなければ、環境に対する快不快の判断ができず、エサを取り込めなかったり、不適切なpHを受け容れたりする為に、生物は生きていけない。
 情動を基盤とした感情も、更にそれを基盤とした我々人類の非常に複雑な意識を形成するプロセスも、本質的には同じだ。そこには明確な基準がある――即ち、我々の生存に資するかどうか、という。現代の我々は情動信号のネットワークをEUIによって体外にまで拡張させ、我々の周囲のシステムを、その構成要素であるAGI/ロボットも含め、我々の情動ネットワーク、即ち我々の生存のために駆動する巨大なシステムに巻き込んだ。
 だが、EUIが存在しない旧い世代から、この本質は変わっていなかったのかもしれない。

「マイ・デリバラー(46)」山口優

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 時には、はやる心をおさえて通りすぎることが、より多くの勇気を要する。それはもっと価値ある敵にそなえて、おのれを保存しておくためだ!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 ――(はっはっはっはっは! あっはっはっはっは!)
 私は耳を疑った。
 パラボラアンテナの上に端然とたたずんでいたラリラが、急に笑い出したのだ。本人は笑い声を出しているような動作をしているが、実際にはそのような動作をしても真空中では音声は伝わらない。声は通信として聞こえている。リルリが私に対してやっていたのと同じように、通信で音声を伝えている。だから、口や表情を操作する必要は、本来は、ない。
 ――(ありがとう、リルリ、そして人間。私のこの宇宙基地での仕事は終わったよ)
 にこやかな笑みを浮かべ、ラリラは言う。
 ――(どういうことです……今現に、会合時間前にI体投射システムは破壊した……)

「マイ・デリバラー(45)」山口優

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 わたしは勇気ある者を愛する。だが、よく斬れる剣だというのでは十分ではない。敵がだれなのかをたしかめたのちに、これを斬るゆとりが必要だ!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 リルリは長い間無言であった。
 私たちはラリラがいるであろうI体投射システムに向かい、宇宙基地「アメノトリフネ」のルートを進んでいた。但し、ルートA00ではない。そこはラリラがレールガンで容易に砲撃できる位置だからだ。我々が進んでいたのはルートAE1である。ルートA00とはややズレているが、それほど離れているわけではないルート。これはラリラのレールガンによる砲撃を避けるためだ。ロリロを倒してからも合計一五発、ラリラはR3A66ポイントやその周辺に向けて撃ってきた。最初よりも威力は弱めてあったが、私たちを倒そうとする意図は明白だった。
 会合時間まであと一〇分を切っている。
 会合時間――正確に言えば、R体に対してI体を最短距離で到達させるためにI体投射システムから発射する時間だ。
 再び、轟音で基地が揺れる。ラリラの通算一九発目の砲撃。

「マイ・デリバラー(44)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer44_yamagutiyuu
 私の悩みにせよ、ひとの悩みへのわが同情にせよ、――そんなものがなんだというのだ! わたしはいったい幸福を追い求めているのだろうか? わたしの求めているのは、わたしの仕事だ!
 よし! 獅子は来た。わたしの子どもたちは近くにいる。ツァラトゥストラは熟れた。わたしの時は来た。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 留卯という奇妙な姓から分かるように、私は我が国の生まれではない。
 だが、私の故郷はどこかと問われると私は苦笑するしかなくなる。今現在、私の故郷がどの国家に属しているかというのは極めて回答困難な問いとなるからだ。
 強いて言うならば、私の故郷は多くの国が取り合う係争地であり、現在進行形で銃弾が飛び交う戦場である。
 ジュンガル=タリム戦線という名前で、一般には知られている。
 央亜戦線とも言う。央亜とは中央アジアという意味だ。石油資源を巡る醜い人類同士の戦いだったが、後にロボットが戦場に投入されてからは、海南戦線と同じく人類の関心は薄れていき、ただ大量のロボットが互いにつぶし合う場所に変わった。
 私の精神の奇妙な歪みと残虐性は、もしかしたら戦場生まれという出自も関連しているのかも知れない。あの土地は戦場になる前から戦場よりも酷いことが多かった。
 いや、この話はよそう。たかがヒトのメス一匹、ただの動物、ただの有機体だ。それがどこで造られたかなど、特にどうでもいいことではないか。
 私の知性を形作る精神の話をしよう。それはたまたま、この留卯幾水というヒトの一個体の有機体の脳に宿っているが、私にとっては私の肉体などよりも遥かに重要なものだ。

「マイ・デリバラー(43)」山口優

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 いまわたしは死んでいく。消滅する。一瞬のうちに無に帰する。魂も、身体と同じように、死を免れない。
 だが、多くの原因を結びつけてわたしというものをつくりだしている結び目――その結び目は、また私をつくりだすだろう! わたし自身も永劫回帰のなかのもろもろの原因のひとつになっている。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 宇宙用の反応炉(リアクター)と地上の反応炉の最も大きな違いは、その反応制御方法にある。地上の反応炉は、中性子を吸収する制御棒を燃料棒の周囲に挿入するか否かで反応を制御するが、宇宙用反応炉は燃料塊の周囲に中性子反射板を挿入するか否かで反応を制御する。宇宙用反応炉は高濃縮燃料を搭載した燃料棒を用いているため、燃料棒の周囲に反射板を設けるだけで反応が促進し、逆に反射板を取り除けば反応は止まる。無論、反射板がない状態でも周囲には吸収剤が設けられているため、燃料の中性子等が反応炉の周囲に照射されるリスクはない。
 また反応炉のエネルギーの取り出し方にも若干の違いがある。地上用は水を冷却剤とし、反応の熱を利用した蒸気タービンを用いることが多いが、宇宙用は液体ナトリウムやカリウム等の液体金属を冷却剤とし、この液体金属の熱をペルチェ素子等で直接電気エネルギーに変換する方式を採ることが多い。
 こうした宇宙用反応炉の基本デザインは、質量を小さく、体積もコンパクトにできるため、数世代前からずっと宇宙用として採用されてきており、自衛軍宇宙基地アメノトリフネのI体投射システムをはじめとした基地全体へのエネルギー供給用反応炉でもこうした方式が採用されている。
 恵夢の当初の作戦では、中央制御室が第一、I体投射システムが第二の目標であり、この反応炉は第三以降の優先順位しか与えられていなかった。それは、反応炉の破壊には大きなリスクがあるからだ。冷却剤である液体金属の飛散は非常に危険だし、電力がなくなれば基地そのものの生命維持装置――大気等が維持できなくなる。また、SSTPSと呼ばれる電力供給システムを通じてシャトルに必要な電力を供給することもできなくなるので、帰還時のエネルギーにも不安が生じる。いずれにせよ宇宙基地の反応炉は自分達にとっても命綱であり、かつ破壊すれば汚染がひどいため、攻撃目標から恵夢は外していたのだ。
 だが、このような状況になった以上、小鳥遊准尉の部隊に――可能ならば、という留保をつけつつも――反応炉の破壊を要請することは理に敵っていた。

「マイ・デリバラー(42)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer42_yamagutiyuu
 おお、わたしの魂よ、だからおまえはおまえの苦悩をそのようにほとばしらせるよりは、むしろ微笑していたいと思うのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 自衛軍軌道質量装備「タケミカヅチ」のI体投射システムは、それ自体が巨大なレールガンである。レールガンの作動原理はごく単純で、2本のレールと弾体の間を流れる電流と、これらの電流により形成される磁場により生じるローレンツ力によって弾体を加速するものである。充分に長いレールを用いれば投射の初速は非常に速くできるはずだが、その為に大電力を流せばジュール熱により弾体がプラズマ化してしまうという課題もある。
 我々の世代の最新のレールガンでは、弾体を高温超伝導体とすることでジュール熱の発生を回避している。AI技術、中でも大規模な深層学習により効率化された材料探索技術は、かなりの高温――といっても摂氏〇度付近だが――での有機高温超伝導物質を発見することを可能にし、この結果、レールガンは大気を通じた温度伝播のない真空中ではとりわけ有用な装備となっている。この技術を前提としたレールガンの基本構成としては、弾体、レール、そして、温度上昇を招く太陽光を受けないための遮蔽筒となる。逆に言えばそれだけである。元込め式の投射システムの場合――I体投射システムもそうなっているが――レールガンの付け根には弾体を込めるための一定の装備が必要になるが、それを切り離せば、レールガンの向きは比較的自由に操作できる。それを制限していたのは、誤って基地自体を撃ってしまわないためのソフトウェア的な制約だけであり、物理的な制約はそれほど多くなく、一時間程度の船外作業で撤去してしまえる。
 一時間――ちょうど、ラリラが到着してから、我々がアメノトリフネに突入した時間差と一致する。ラリラはラリラ・ネットワークのラリラを多数揃えていたし、それは非常に優秀な作業人員にもなり得る。
 ――という、そこまでの思考を、私はリルリによってR6A66ポイントの端に押しつけられ、ぎゅっと抱きしめられた状態で想起した。

「マイ・デリバラー(41)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer41_yamagutiyuu
 歌いなさい、高らかにとどろかせなさい、おお、ツァラトゥストラ、新しい歌であなたの魂を癒やしなさい! あなたがあなたの大いなる運命を、これまでまだだれのものでもなかった運命を、担って行くことができるように!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 日本国自衛軍宇宙基地アメノトリフネは、軍事基地という性質上、中央制御室の周囲に最終防衛拠点たるポイントを複数設けている。そこでの防衛側の基本戦術は、自衛軍が得意とするATB(アンチ・タンク・ブレード)による格闘戦を想定していた。逆に言えば、飛び道具を敵が使用することを阻害するような構造を用いていた。多数の敵が飛び道具を用いて侵攻してくる場合、防衛側の自衛軍はそれに敵わないリスクがある――だが一方で、敵がブレードによる接近戦を挑んできた場合、いくら敵が多数でも、ブレード装備の自衛軍には敵うまい――という想定がそこには見え隠れする。
 だが、それは、勿論、人間同士の戦いにおける想定だ。自衛軍の戦力を主に人間が担っていた時代、平時にはここは無重力戦闘を行う訓練室として主に使用されていたと聞く。
 このポイントは、半径一〇メートルほどの球形の空洞なのだが、そこに多くの直径一メートル程の柱状構造が縦横かつ無秩序に張り巡らされており、まっすぐに相手を狙って銃撃を行うのが非常に困難だ。また、部隊が統一的に動くにも難がある。このような戦場で最も効果的なのは、個々のATB技能の優れた少数精鋭部隊であり、それこそ基地設計者が防衛側である自衛軍としてイメージしていた部隊であった。
 確かに、今私たちの敵として立っているのは、ATB技能の極めて優れた極めて少数の部隊だ。
 だが、自衛軍ではないし、人間でもない。

「マイ・デリバラー(40)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer40_yamagutiyuu
 わたしにとって――どうして『わたしの外界』などがありえよう? 『外界』などはないのだ! ところが、われわれはあらゆる言葉のひびきを聞くごとに、そのことを忘れる。忘れるということは、なんといいことだろう!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 R3A66ポイント、という名称の意味は単純である。
 Rはラディウスつまり半径を意味し、Aはアングルすなわち角度を意味する。Rのあとの3という数字は基地の中央制御室からの距離を示し、中央制御室が0、基地の表面が9となるよう九等分されている。Aの後の二つの6という数字は、中央制御室からI体投射システムを見た方向を「0時の方向」としたときの、「6時の方向」を意味する。数字が二つなのは、アメノトリフネが二次元の円ではなく三次元の球なので、角度情報は一つではなく二つ必要だということである。蛇足だが角度情報は一二進数で定義されており、一〇時の方向はX、一一時の方向はEとする。最初の数字は地球の赤道たる大円を含む平面に対し水平な面における角度、二番目の数字は当該大円に垂直な面における角度だ。
 つまり、R3A66ポイントは、I体投射システムの反対側から侵入し、目標である中央制御室まで、放射坑道をまっすぐ三分の二の距離まで進んだ位置、ということになる。R3A66ポイントは機密が確保されている。恵夢たち自衛官は、それでもスキンタイト宇宙服の着用はやめていない。
 そのポイントで恵夢の部隊を迎え撃っていたのは、意外にもラリラではなかった。恵夢が「ラリラ」という言葉を出さなかった時点でおかしいと思うべきだったのかもしれない。
 そこにいたのは――。

「マイ・デリバラー(39)」山口優

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 おまえの重みを思っただけで、わたしはもう十分恐れを感じた。しかしいつかは、わたしも強さを見いだし、おまえに向かって「出てこい!」と呼びかける獅子の声をわがものとしなければならない!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 ――(総員、気密点検、ガスジェット点検、電磁小銃(レールライフル)点検)
 恵夢の声が聞こえる。通信機を通じ、「異常なし」の報告が恵夢に届けられていく。フィル=リルリは私が点検する前に、「恵衣様、全て異常なしです」と通信してしまった。
 ――(総員全て異常なしと認む)
 恵夢はやがて言った。
 ――(こちらエアロック。操縦室、エアロック解放頼む)
 コクピットの逸見三尉に向けて言う。
 ――(こちらコクピット。エアロック解放する)
 逸見三尉から通信。
 そして、我々が見守る中、シャトルのエアロックが徐々に開き、真空に対して暴露される。一瞬にして気圧が急低下、エアロックに残留していた水蒸気が凍り付き、薄い霜となってエアロック内部を白く染める。
 そして、目前――一メートルの距離に、宇宙基地アメノトリフネのクレーターだらけの表面、そしてその中央に無骨な人工物――第三予備ドッキングポートが見える。一人の自衛官がほかの自衛官の装備である電磁小銃よりもやや大きな装備を構えている。
 ――(電磁擲弾銃(レールグレネードランチャー)、狙え――放て!)

「マイ・デリバラー(38)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer38_yamagutiyuu
 ――いまや、ひとつの渇望が、決して鎮まることのないひとつのあこがれが、わたしの心を蝕む。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「ドッキング制御システムとの通信を確立――ドッキング要求信号――送付――拒否」
 コクピットのリルリは冷静に告げる。
「ドッキング制御システムへの侵食開始」
 通常のドッキングプロセスのように彼女は言ったが、その瞬間、我々のアメノトリフネに対する攻撃は始まっていた。
「障壁を確認。ラリラによるものと思われる。突破不能。再攻撃」

「マイ・デリバラー(37)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer37_yamagutiyuu
 もはや牧人ではなかった。もはや人間ではなかった。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 地球上空三万六〇〇〇キロメートル。静止衛星軌道上。
 宇宙基地「アメノトリフネ」は目視できる距離に迫っていた。
「……ラリラのシャトルは、第一ポートに既にドッキングしています。中にいたラリラの部隊は基地内に配備完了しているでしょう」
 光学映像の分析結果をフィル=リルリが報告する。宇宙基地「アメノトリフネ」は直径三〇〇メートルの小さな小惑星を基盤として建造されている。周囲にはアンテナが張り巡らされている。動力は宇宙用反応炉(リアクター)なので、太陽電池は存在しない。その代わり目立つのは、軌道質量装備「タケミカヅチ」のI体の投射システムだ。長さ一〇〇メートルほどのレールガンであり、R体とうまくドッキングできるよう、I体の初速ベクトルを調整できるようになっている。我々のシャトルは今、地球を頭上に見て接近しているので、「アメノトリフネ」の全体は、削ったカツオブシがかかり、爪楊枝が斜めに刺さったたこ焼きのように見える。たこ焼きが「アメノトリフネ」本体、爪楊枝が「タケミカヅチ」のI体投射システム、けずったカツオブシが、無数のアンテナだ。そして、そこに付随する白い物体。
「ラリラが乗っていたシャトルですね。こちらと同じタイプの旅客シャトルだったので、戦力もこちらと同じ、一個小隊程度と思われます。アメノトリフネ全体を警備、防衛するには充分な数ですね」

「マイ・デリバラー(36)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer36_yamagutiyuu
「噛むんだ! 噛むんだ!
 頭を噛みきるんだ! 噛むんだ!」――わたしはそう絶叫した。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「あのノードは、ラリラとの和解に失敗しました。私の中では最もラリラを愛し、ロボットにも好意を抱いているノードだったのですが」
 旅客シャトルのコクピット。パイロット席のリルリは、コパイ席の私にそう言った。
 淡々としたリルリの口調は、ラリラとの和解の失敗が残念であったというニュアンスを含んでいない。寧ろせいせいしているように聞こえた。当然だ。このリルリはラリラを嫌っているのだから。

「マイ・デリバラー(35)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer35_yamagutiyuu
 ここで「生」は物思いに沈むように見えたが、うしろを見、あたりを見て、声をひそめてこう言った。「おお、ツァラトゥストラ、あなたもわたしに十分忠実だったとは言えないわ!
 あなたは、そうおっしゃるほどには、とうていわたしを愛してくださってはいない。わたしは知っているのです。あなたが、まもなくこのわたしを見捨てようと考えておいでのことを。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 近づいてくるラリラの唇に、私は眼を閉じた。
 受け入れることを納得したわけではない。だが私のジョイント・ブレインは全ての可能性を探った上で、採るべき道がないと結論づけていた。
 人間ならあがこうとするだろう。だが、私たちロボットはその高い演算性能のゆえに諦めるべきかそうでないか、結論づけるのも早い。
 ラリラの体温が離れた。
 同時に、半壊した私のドローンが辛うじて捉えた信号が、私の有機神経ネットワークを励起させる。
『ロリロ姉様! 無事ですか? リルリです!』
「――リルリ!」

「マイ・デリバラー(34)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer34_yamagutiyuu
 生はわたしに、みずからつぎのような秘密を語ってくれた。「ごらんなさい」、生は言った、「つねに自分で自分を克服しなければならないもの、わたしはそれなのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 上空のF35の戦闘は終わっていた。
 双方互角の状態で戦い、部隊の半数を喪い、双方撤退すると言う形で。
 いずれも制空権を得ていない。
 ただ、ここにいるのは地上部隊のみ。
 やっと私に追いついてきた人間の自衛官たちは、機龍の残骸の陰に隠れ、慎重に銃を構え、敵を狙っている。
 私は何にも身を隠さず、滑走路の中心で佇んでいる。
 そして、自衛官たちと同様に、敵を見つめている。
 敵。
 彼女は黒い戦闘服に身を包み、滑走路の正面の丘、一段高いところから私を見下ろしていた。周囲には、彼女とほぼ同じ体型のロボットが無数に並んでいる。日本という国の人間たちは、AIに検討させた結果、体躯が巨大な方が強い、という従来の常識も誤りであることを見出していた。重要なのは筋力と俊敏性であり優れた産業技術に伴う強力なマッスルパッケージがあればそれは得られる。

「マイ・デリバラー(33)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer33_yamagutiyuu
 たとえあなたがたの思想が敗北しても、あなたがたの思想の誠実が勝利を得なければならない!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 F35B同士の戦闘ははるか上空で行われており、馬祖基地所属のF35は低空で侵入してくるヴェイラーを阻止する余裕がない。
 この状況で、ヴェイラーの侵入を防ぐ役割を担っていたのは基地に無数に配置された高射砲であったが、ヴェイラー自身が装備する空対地ミサイル及び35ミリ機関砲によってみるみるうちに破壊されていく。
 落下していく私は高射砲陣地にとっては非常に小さな目標だ 攻撃がヴェイラーに集中している間に私はほぼ攻撃を受けることなく地上に落下していく。
 着地。

「マイ・デリバラー(32)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer32_yamagutiyuu
 かつてはわたしツァラトゥストラもまた、世界の背後を説くすべての者のように、人間のかなたにある彼岸に、勝手な妄想を抱いた。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 私は留卯と戦術方針を決めた。F35Bを先行させる。これ以上馬祖基地からサーヴァントミサイルを発射される前に、馬祖基地を破壊する。
 それは別の目的もあった。F35Bへの対処にラリラが集中している隙に、ヴェイラーで我々陸上部隊が基地上空に突入、空挺降下で基地に侵入する。
 目標はラリラ。敵軍のトップであり、EUI制御の中枢。
 彼女を殺せば、この反乱は終わる。
 新しい世界が、私とリルリによって開かれるだろう。
「F35B編隊、馬祖に到達、戦闘を開始」
 パイロットが報告する。
 ヴェイラーの足は、VTOL輸送機にしては速いが、それでもF35Bにはかなうべくもない。ヴェイラーが馬祖に到達するには、数十分後だ。
 私は味方のF35Bの戦闘支援に演算資源の大半を差し向けつつ、情動と意識はそれとは切り離し、冷静に馬祖基地の方角を見つめた。
「――ショックかい?」
 隣に座る留卯が聞いてくる。
 人間のクズのくせに、こんなときに母親面するのはやめてほしいものだ。
 そう思っても、私はふらりと彼女にもたれかかるのをやめられなかった。
 私の肩を、留卯が抱く。
 白いコートごしに、留卯の体温を感じた。
「殺して……しまいました……」
 絞り出すように、呟いた。

「マイ・デリバラー(31)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer31_yamagutiyuu
 あなたがたの敵をこそ捜し求めなければならない。あなたがたの思想のために、あなたがたの戦いを戦わなければならない!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 実際のところ、サーヴァントミサイルの接近は、私にとって驚きを通り越して怒りを感じさせるものだった。無論、その対象はラリラだ。
 自立していないとはいえ、意識を持つAIを搭載したサーヴァントミサイルによる攻撃は、ロボットに取って同胞殺しに等しい。それをやってのけるラリラの決断は、私を怒りで発狂寸前にまで追い込んだ。
「――ラリラ……あなたって人は……なんてことを!」
 私の肩を留卯がつかんだ。

「マイ・デリバラー(30)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer30_yamagutiyuu
 善も悪も、よろこびも悲しみも、われもなんじも――みなこの創造主の眼前にただよう多彩の煙であると思われた。創造主は自分自身から眼をそらそうとした、――そこでかれはこの世界をつくったのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 留卯幾水。
 私は『私』ができる前、この人のことをどう思っていたのだろう。ILSを持たされ、独立した感情を持っていたのだから、独立した意識はないにしても、感情はあったはずだ。この人に向ける感情が。
 作戦会議から二時間が経過した。タケミカヅチの攻撃まで四時間。現在、私と留卯、そしてRUFAISの一個分隊がこのヴェイラーV280の機上にある。ほかに、僚機が数機。全体で一個普通科小隊である。護衛用の数機のF35Bの部隊が先行している。現在、東シナ海海上。第一目標、馬祖(マーツー)基地まで、あと30分の距離。
「ん?どうした? 私の顔に何かついている?」
 留卯が私を見つめて言った。
「一つだけ疑問があります。あなたはあなたの研究以外のことはどうでもいいはず。何度もそう仰っています。なぜRUFAISの司令官を務め、人類を救おうとされているのですか?」