タグ: 惑星まほろばシリーズ

「ブラウンノート」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 初めての野営は小高い丘の上だった。川を渡ったときに濡れた衣服を焚き火で乾かしつつ暖を取る。携行食で食事を済ませ、もう寝袋に潜り込んでいる者もいた。
 真馬は岩の上に腰を下ろし、空を見上げていた。星の位置も闇の色も今まで町で見てきたものと何ら変わるはずがないのに、どこか違って見える。自分が今、本当はいるはずのない場所にいるからだろうか。
 視線を下ろし、仲間たちを数える。出発したときは十二名。しかし今は八名に減っている。みんな“蜘蛛”に捕らえられた。今頃は警察で取り調べを受けているだろう。
 英何も、ここにはいない。白い網に捕らえられ空中に引き上げられる彼の姿を、恐怖に引きつったその顔を思い出し、真馬は眼をきつく閉じた。

「虎の記憶」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 最初に意識にのぼったのは、胸元を覆う重さと温かさだった。次にムッとするような臭い。これに似たものを幼い頃、どこかで嗅いだ覚えがある。須永三雄はまだはっきりとしない意識の中で記憶をまさぐった。
 そうだ。幼稚園の遠足だ。はじめて動物園に行った。絵本で見るより動物たちはずっと大きくて、彼らが閉じ込められている檻からは独特な臭いがした。一緒に行ったお調子者が臭いくさいと大騒ぎをしたっけ。あれは誰だったか。
 ぼんやりとそんなことを思いながら眼を開いた。胸元にあるものを視界の隅に捉える。猫の前足だった。くすんだオレンジ色の毛に覆われている。実家で飼っていた猫は黒だったが……いや、猫の手はこんなに大きくはない。これはまるで……。
 思わず体を起こそうとする。が、胸の上にある前足は思った以上に重く、身動きがとれない。須永は首を動かし、自分の周囲を見回した。前足に繋がる二の腕には黒い筋があった。反対側に首を転じると、頭部が視界に入る。オレンジと黒と白の縞模様。長い髭。
 その刹那、彼は理解した。虎だ。自分は今、虎に抱きしめられている。

「弥生の供養」太田忠司(画・YOUCHAN)

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「宮司殿、荷が届きました」
 錬燕(れんえん)に声をかけられ、周桑(しゅうそう)はゆるゆると眼を開いた。どうやら座ったままうたた寝をしていたらしい。
「ん……ああ」
 返事とも欠伸ともとれない声を洩らし、かすかに伸びをする。そしてあらためて目の前にある祭壇に眼をやった。柴を編んで祭壇としている粗末なものだ。しかしこれが、この地域ではもっとも神聖なものだった。
 彼が宮司を務める幾仁(いくに)社は近辺でも最も古い神社だった。先祖がこの惑星に辿り着き、最初にこの地に立ったとき土地の神が現れて、自身を祀ることを条件に住むことを許したという。その神がどのような姿をしていたのか、実際に見た者はもうこの世にはいない。神の姿を象ったとされる像は神体として祭壇奥の神棚に納められ、宮司でさえそれを見ることは叶わなかった。初代宮司である周桑の曾祖父が固く禁じたのだ。
 ふっ、と侮蔑まじりの息をつき、周桑は立ち上がる。が、足が痺れて歩きだすこともできない。
「どこに置いた?」
 足の感覚が戻るまでの時間稼ぎに尋ねる。
「奥座敷に。衛辰(えいたつ)様が直々にご持参なさいました」

「レッドライン」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 風は西から吹いてきた。
 香りもなく色もない、冷たく乾いた風だった。それは見知らぬ土地を通りすぎて、草と葉を揺らした。
「おい、真馬(しんま)」
 声をかけられ、真馬は振り向いた。英何(えいなん)だった。
「何を考えていた」
「何も」
「怖じ気づいたんじゃないだろうな」
「まさか。おまえこそ後悔してないか」
「するもんか。早く行きたくてしかたないくらいだ。出発はまだか」
「焦るな。指示を待とう」
 一行は森の外れにある繁みの中に身を隠していた。斥候の帰りを待っているところだ。まだ夜明け前で、あたりは暗い。

「牛殺し」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 名刺に記されていた名前を読んで、光田博夫は困惑した。
「牛殺しのマリス……ですか」
「はい」
 男は頷く。
「確認しますが、あなたの名前が『牛殺しのマリス』なんですか」
「そのとおりです」
 至極当然といった顔付きで、男は答えた。
 三十歳過ぎ、もしくは四十歳くらいかもしれない。小柄で痩せていた。見るからに非力そうだ。度の強い眼鏡を掛け、いささか古びた灰色の背広を着ている。あまり大きくもない会社の事務仕事に携わっている、といった雰囲気の男性だった。到底「牛殺し」などという物騒な名前は似つかわしくない。そしてもちろん、マリスなどという名前とは縁のなさそうな日本人顔をしている。
 博夫は警戒した。この男、変だ。

「如月の小紋」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 二月、晴れた日が数日続いた朝、頼乎(よりこ)の母は箪笥から畳紙(たとうがみ)に包まれた着物を取り出す。衣桁に掛けて虫干しをするためだった。
 頼乎は、この日が好きだった。滅多に見られない着物を眼にすることができるからだ。虫干しは換気のために窓を開け放つのでとても寒いのだが、彼女は気にすることなく部屋に居座り、着物の前で長い時間を過ごす。
 楝色(おうちいろ)の江戸小紋、と聞かされている。それがどういう意味なのか、頼乎は知らない。少し青みがかった紫色の布地は一見すると無地なのだが、眼を近付けてみると細かな波のような模様が描かれている。
「こんなに立派な着物があるのは、うちだけよ。これはあなたのお祖母さんのお祖母さんが遺してくれたものなの」

「パープルキー」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 本当に行けるのか。
 真馬の頭に最初に浮かんだ言葉が、それだった。
 本当に“外”に出ることができるのか。
 ならば……。
 その先に続く言葉を発するのには、勇気が要った。
 最初は噂に過ぎなかった。
 ――“外”に出ようとしている者たちがいる。彼らは仲間を集めている。
 じつのところ、こうした噂はこれまでも何度か伝わってきた。嘘か本当か、実際に出ようとして、途中で警備士に捕獲されてしまった者も何人かいると聞いた。しかしそれは散発的なもので、実行者もただのお調子者か粋がっている連中でしかなかった。
 今度も似たようなものだろう、と真馬は思っていた。それでも噂の出所を探らないではいられなかった。
 もしも、もしも本当に“外”に出ようとしている者たちがいるのなら。

「鼠の媚薬」太田忠司(画・YOUCHAN)

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「西東君、“彼”は見つかったかね?」
 鶴間博士に問いかけられたとき、西東時夫は背筋に汗が流れるのを感じた。
「いえ……まだ……」
「そうか。ひょっとしたらもう研究室から逃げてしまったかもしれないね」
 博士は眉間に皺を寄せた。機嫌はよくないようだ。
「もう一度確認しておくが、おかしなウイルスに感染していたとか、そういう危険性はないのだね?」
「はい、それは問題ありません」
「ならば、致し方ないな。サンプルは他にもいるんだし、実験は一からやり直しするしかないだろう」
「すみません……」
「以後、気を付けてくれよ」
 博士が出ていった後、時夫は大きな息をついた。
 とりあえず取り繕うことはできた。しかし、いつまでもこのままにはしておけなかった。
 部屋の隅、薬品棚の後ろを覗き込み、声をかけた。
「おいアル、いるか」
 呼びかけに応じて、白く小さな生き物が顔を出した。
「うまくごまかしてくれたか」

「睦月の家長」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 元旦とは一月一日の朝のことである。高橋躯庵(くあん)は父親にそう教えられた。
 彼にとって父親は、すべての規範だった。この星に住む人間としてするべきこと、日本人として守るべき掟について、父親は厳しく、しかし愛情を持って躯庵に教えた。
 元旦にするべきことも、教えてもらった。朝、東の稜線から昇ってくる「初日の出」に向かって手を合わせるのだ。
 そのためには夜が明けないうちから起き出し、家を出て小塚丘(こづかおか)に登らなければならない。
 前日の大晦日は日付が変わるまで起きていて、新しい年がやってくるのを迎えた。だから睡眠時間は足りていない。妻も息子も夜明け前に起きることを嫌がったが、躯庵は有無を言わせなかった。しきたりに従うことが何よりも重要なのだと信じていたからだ。