タグ: 牧野修

「怖くないとは言ってない」―第十二回 さよならだけが人生さ― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:sayonaradakega_makinoosamu
 出会いがあれば別れがあり、始まりあれば終わりもございます。皆様いかがお過ごしでしょうか。というようなわけでございまして、今回十二回目をもって『怖くないとは言ってない』を終了といたします。ずっとご愛読いただきました方はもちろん、今回だけちょっと覘いてみたあなたに、これから読んでみようかと思ったあなたも。本当に本当にありがとうございます。そしてありがとうございました。
 というわけで最終回はホラーらしくこの世の終わり特集だ!

「怖くないとは言ってない」―第十一回 みなさんのおかげです・平伏篇の巻― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:minasannnookagedesu_makinoosamu
 大阪と東京でのイベントが終了。おかげさまでどちらのイベントも大盛況でした。そしてプレゼント企画も後は発送を残すのみ。ようやく『怖くないとは言ってない第十回記念』イベントが終わろうとしています。
 今回はそのイベント報告と、プレゼントに応募してくださった皆さんのコメントご紹介の二本立て。大感謝祭の巻です。



 東京でのイベントは創土社様のご協力もあり豪華ゲスト総出演。メインゲストは黒史郎さん。司会は井上雅彦さん。スペシャルゲストは山田正紀さん、図子慧さん、山田正紀さん、北原尚彦さん、YOUCHANさん、高野史緒さん、サイン会には菊地秀行さんまで参加いただきました。もう怪獣総進撃ですよ。
 今回のイベントのコンセプトは「皆様にホラー映画を親しんでもらいたい」です。これはこの「怖くないとは言ってない」のコンセプトでもあります。好き嫌いの多い、というか嫌われる可能性の高いホラー映画を、食わず嫌いなら食べやすいものから、楽しいものから入ってきてもらいましょう、という気持ちで始めました。
「なのにどうして人食い一族の話から始めたの?」
 これは開始と同時に井上さんから出た、すごく最もなご意見です。それに対するわたしの回答は「好きだから」。まったく説得力なしでした。

「怖くないとは言ってない」―第10.5回 いろいろ追加でお知らせを― 牧野修

(PDFバージョン:iroirotuika_makinoosamu
『怖くないとは言ってない』いつもは隔月でお送りしておりますが、今回はお知らせがありまして、特別に第10.5回目としてちょびっとだけお送りしております。
 
 まずは何よりプレゼント企画。
 この発表と同時に締め切りでございます。ですがまだまだ応募数が少ない可能性もあります(これを書いている時点ではどうなっているのか良くわかりませんが、それでも)。ですのでこれを読んで「あれっ! もう締め切りなの?」と思ったあなた。「それなら早く言ってよ~」と思ったあなた。今日(20日)集計をしますが、発送までにはまだ間があります。その間に応募してもらった場合、いやとは言えないというか、いい加減というか、適当というか、まあ、はっきりといついつまでならお待ちしますとは書けませんが、しまった! と思われた皆さん。今からでも遅くありませんよ、とだけは伝えておきたい今日の牧野なの。

 ちなみにプレゼント企画の豆本ですが、着々と進行しております。ちらりと見たかぎりではかなりのナニがアレしておりますよ。
 うう、欲しい!
 作者の手には入るのだろうか。

 そしてイベント!
 これがネットにアップされる頃にはもう東京でのイベントは終わっています。
 成功したのかどうだか、今の私には知る由もありません。突然現れた仮面の男が「皆さんにはこれから殺し合いをしてもらいます」的なことを言って、「ゲームの始まりです」で締めくくる長台詞を言い出して会場は大混乱。たまたま参加していた元アメリカ海兵隊の編集者の手によってその場は収まったのだが、それは序章にしか過ぎなかった。なんて面白いことになっていたかもしれません。

 そんなこんなで、次に待っているのは大阪隆祥館書店で開催される『怖くないとは言ってない』第十回記念イベント。これが最後のお知らせでございます。

「ハノークは死んでいた」牧野修(画・YOUCHAN)

(コラム「怖くないとは言ってない」第十回記念作品)

(PDFバージョン:hanooku_makinoosamu

 おばけは捨てられ寂れ朽ちた庭が大好きです。
 廃園の夜は深く、月の光に誘われた人が重い闇に溺れてしまうからです。溺れた人は、おばけの良い遊び相手になります。だからおばけは捨てられ寂れ朽ちた庭が大好きなのです。
 夜に溺れるのは気持ちが良いのだと、ハノークのお母さんは失踪間際に家人へ告白しました。そして愛しい息子の名前を呼びながら夜の廃園を徘徊して五日目。夜に溺れてしまったのでしょう。彼女は姿を消したのです。その日の闇は格別深く、シロップのように濃く甘かったといいます。
 そうそう、ハノークの話ですね。

「怖くないとは言ってない」―第十回 記念ショートショートの巻― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:kinennss_makinoosamu
 さて皆さん、前回の予告通り今回は第十回記念特別号です。
 まずは私のショートショート『ハノークは死んでいた』です。
 実は先日某所でこれを朗読させていただきました。初めての朗読だったのですが、お客さんが初めてのおつかいに接するがごとく優しく対応してくださいました。結果そこそこ好評でほっとしたのでございます。もし私も朗読を聞きたいという方がおられましたらご連絡下さい。夢枕に立ってお聞かせしましょう。
 というわけで『ハノークは死んでいた』でございます。以下のサムネイルをクリックしてくださいまし。




「ハノークは死んでいた」

「怖くないとは言ってない」―第九回 大人の事情の巻― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:otonanojijyou_makinoosamu
 月日の経つのは早いものですね。あっという間に今年が終わろうとしていますよ。たぶんこの調子だと一生もあっという間だろうなと思うんですよね。
 と、しみじみ己の人生を考えてしまう季節となりました。
 こんばんは、芦田愛菜です。嘘です。
 ところで『いま、会いにゆきます』っていう映画がありますよね。見た方おられますでしょうか。このコラムを読んでおられる方にこの映画をご覧になっている人間は少ないと思いますのでちょっと説明しておきますと、会いに来て欲しい人が会いに来るけどなんだか哀しい事情があるというような映画だと思います。おそらく。
 で、これは市川拓司の『いま、会いにゆきます』というベストセラー小説が原作です。
 たとえばこれが平山夢明の『今会いに行きます』なら間違いなく基地害がやってきますよね。倉阪鬼一郎の『今逢いにいきます』ならそう言い残して出掛けた男がとんでもない目にあいますよね。田中啓文なら『居間、兄がいます』ですね。かなり適当ですけど。牧野修の『イマ、アイニイキマす』は、おそらく虐められた死者が蘇って復讐する話ですよ。ついでに言うなら牧野修の『海猿』もホラーですよ。おそらくクトゥルーものですよね。
 と、ここまで敬称略でお送りしてきましたが、そのようなわけで、今回は原作付きのホラー映画の話でございます。

「怖くないとは言ってない」―第八回 怪物と怪獣とせつなさとワイシャツ― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:kaibututokaijyuuto_makinoosamu
 論争というものは、常により良きもの正しいものを求めて行われるわけではない。というより、おおよその論争はどうでもいいことを話し合う。というか、大半はくだらない口喧嘩であったりするわけで、カレーライスのライスは皿の右側か左側かとか、蚊に刺されたとき爪で十字を刻むのは何故かとか、ほんとにどうでもいいことで延々と言い合いを続けていたりする。私も一度「幼児の頃に大便をどう呼んでいたか」という話になり「うんこちゃん」と「うんさん」に別れて大論争となったことがある。最終的には、呼び捨てにしないだけ「クソ」よりはましという結論で痛み分けになった。ほんとにどうでもいい話だったでしょ。

 さてホラーである。
 ホラー好きの間で論争のネタとして有名なものには「超常的な要素のない作品はホラーではない」というものがある。要するに幽霊や妖怪や、怪物に宇宙人などが出てきて怖がらせるのは良いけれど、「結局怖いのは人ですよね」みたいな話はホラーとしては認めない、という立場である。これを遵守するなら単なる殺人鬼映画はホラーではなくなる。その結果サイコホラーはサスペンスであってホラーじゃないとか、いや、あまりにも現実離れした殺人鬼ならホラーで良し、とか、ややこしいことになってくる。
 次に有名なのは「走るゾンビはありかなしか」というものだ。腐った死体が走るわけがない、という意見はもっともだが、それを云うならまず死体が動くわけがないという根本的なところから問題となってくる。
 そろそろ今回のテーマが見えてきたと思う。見えてこない人は置き去りである。というわけで「怪獣か否か」論争が今回のテーマである。もう露骨にパシフィック・リム公開便乗企画である。

「怖くないとは言ってない」―第七回 おおむね人を喰ってます― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:oomunehitowo_makinoosamu
 むかしむかし、私が小学六年生の頃。生まれて初めてブルーベリーパイを食べて、これほど美味しい物がこの世にあるのかと感激した。もともと甘いモノは苦手だった。洋菓子は食べなくもなかったが、所詮はショートケーキ止まりだ。当時はパイと言えばアップルパイぐらいしかなかった(いや、まあ、私のような下町のガキの周囲には、という意味ですけどね)。しかもその林檎はえげつなく甘くべしゃべしゃで、あまり好みでもない洋菓子の中でも最下位だった。
 パイと言えばそんなものだと思っていたところに、そのブルーベリーパイは現れたのだった。たかだかアップルパイのアップルがブルーベリーに変わっただけじゃねぇかよ、ブルーベリーがなんだか知らねえけどよ。
 などと毒づきながら、勿体ないから食ってやるけどよ、と一口。
 ああ、なんということでしょう。
 甘みは上品に押さえられ、酸味がそれに寄り添い、パリパリとしたパイの食感はわずかばかりのモッチリとした下地の食感と合わさってもうこれは腰を抜かさんばかりの至上の美味しさだった。
 もう、パイとパイ方面に向かって土下座ですよ。謝罪会見ですよ。こんなことなら言ってくださいよ、アップルパイの旦那、でげすよ。
 そして思った。これを誰に止められることもなく残りを気にすることもなく心ゆくまで食べたいと。
 こんな欲望はたいていは大人になると忘れるものだ。ところが私は忘れていなかった。社会人になってからブルーベリーパイをワンホール買って、まるまる食べてみたのだ。すっかり気持ちが悪くなった。スティーブン・キングの作中人物みたいに紫のマーライオン状態となった。つまりいくら美味しくてもワンホールは多過ぎたというのが結論だ。それぐらい食べる前に気がついてもよさそうなものだが。
 というわけで、今回は食事がテーマだ。

「怖くないとは言ってない」―第六回 ふかい~話― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:fukaiihanasi_makinoosamu
 いくらなんでも時期を外し過ぎとは思いますが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
 今回は新年第一弾に相応しく「ふかい~話」です。漢字にすると「不快~話」。早い話が厭な話特集。もうすっかり嫌がらせですよ。まだお屠蘇気分が抜けない人々(いるかどうか知らないけど)を奈落の底に突き落とすような話が続きますので、覚悟してください。

「怖くないとは言ってない」―第五回 強い女祭りじゃい!― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:tuyoionnna_makinoosamu
さわたまき~!

 何を叫んでいるのか良くわからないと思いますが、とりあえずプレイガールだのプレイガールQだのと聞くと、ヰタ・セクスアリス的な郷愁気分に浸ってしまう牧野でございます。
 ほとんどの方がぽか~んであろうけれども、かまわないのである。そうである。とうとうその日がやってきたのである。
 強い女祭り開催だ!!
 ひゃっは~!
 気分は調子にのってる時の北斗の拳の悪役ザコキャラである。たとえ次の瞬間に頭を爆発させて死ぬのであったにしても、この瞬間は大はしゃぎなのである。

「怖くないとは言ってない」―第四回涙腺系でGO!― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:ruisennkei_makinoosamu
 満員の試写会場でほとんど予備知識無しにスピルバーグの新作を観ていて号泣してしまった牧野です。
 その新作とはET。
 スピルバーグってコメディがヘタだよなあ、とか思いながら観ていたら、死んだはずのETが蘇るとき、枯れた植木がみるみる元通りになっちゃうシーンで、もう声をあげて号泣ですよ。
 カッコワルと思いつつ周りに気づかれないように涙をそっと拭っていたら、前に立っているサラリーマンの肩が小刻みに揺れているじゃないですか。気がつけばそこかしこですすっすすっと鼻をすする音が。照明が点いたら、結構な歳のおっさんたちが、みんなぐすぐすいいながら試写室から出てきましたよ。みうらじゅんがいうところの涙のかつあげ状態。
 あれを見ていたので、一般公開後ぽつぽつとあった辛口のET批判を見るたびに、こいつ試写会で泣かされて照れ隠しにこんなこと書いてんじゃねえの、と思ったものでした。

 というわけで今回のテーマは「泣ける映画」である。

「怖くないとは言ってない」―第三回 これは本当にあった話なんだけど―牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:korehahonntouni_makinoosamu
 夜中自転車で走っていたら職質にあった。きちんとライトもつけているし、もちろん登録済みの自転車だ。問題は何もない。だから、ご苦労様です、たいへんですよねえ、とニコニコして受け答えしていたらどんどん警官の数が増えていった。なんだかひっきりなしに無線機で喋っている人がいる。あっという間に若い警官から年嵩の警官まで十人あまり、私の回りを囲むようにして集まってきた。カバンを見せろとか言われるかなとドキドキして待っていたら、自転車の照合が終わると同時に、わらわらとみんな解散していった。というような経験から、職質の時は警官に向かってにこやかに話し掛けてはならないという教訓を得た牧野です。
 実際それからは職質されると不機嫌そうに応対することにしているが、あっという間に話が終わって解放される。しかし何よりも問題なのは、なんで私はこんなに職質されるのかということである。いや、答えは聞きたくない。

「怖くないとは言ってない」―第二回 だから前をよく見て運転しろよ―牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:maewoyokumite_makinoosamu
 中学生の頃に青信号になったので道路を渡ろうとしたら一瞬目の前が真緑になって、気がついたら道路に仰向けになって空を眺めていて、実はそれって市バス(車体が緑色)に撥ねられていたんだと病院に運ばれていく途中で気がついた牧野です。
 おそらく誰もが自動車で撥ねたり撥ねられたりした経験があるだろう。ないと思っていても、知らぬ間に撥ねたり撥ねられたりしてるはずである。それでもそんな経験がないと言いはるような強情で融通のきかないうえに想像力の欠如した欠陥人間を私は相手にしたくない。
 というようなわけで、事程左様に交通事故は日常的に頻繁に起こっているのである。

「怖くないとは言ってない」―第一回 ソニー・ビーン一族の末裔―牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:soniibiinn_makinoosamu
 頭がおかしいよね、っていうのを誉め言葉として使っていたのだけれど、考えてみればこれって悪口だと取られていたかもしれないなと先日反省したばかりの牧野です。
 自分がされて嫌なことをしてはいけません、というのは親や先生による説教の定番なのだが、話はそう簡単ではない。自分がされて平気なことだからといっても、相手は嫌かもしれない。自分なら喜ぶことでも相手は怒り出すかもしれない。逆に自分がされると嫌なことなのに、して欲しいと思っている人がいたりもする。
 結局自分の感覚だけを判断材料にしても他人には通じないというのが真実なのだろうけれど、そう言われても迷うだけだ。
 私は怖い話が大好きで、ホラー映画やホラー小説やホラー漫画が大好物なのだけれど、この辺りはジャンルの中でもかなり好き嫌いの別れる、というか苦手な人が多いジャンル界のピーマンのようなものなのである。そのため話す相手を極端に選ぶことになる。私が好きだからといってみんなも好きだと思うと大変な目にあう代表的なものがこれだ。
 とはいえ好き嫌いが分かれるということは、私のように好きな人も確実にいるということで、はるか昔から恐怖譚は延々と語り継がれ、ホラー映画もホラー漫画もいまだにしぶとく生き残っている。

マキノ オサム

牧野修(まきの おさむ)
大阪府出身。
1992年『王の眠る丘』で作家デビュー。
1999年『スイート・リトル・ベイビー』で第6回日本ホラー小説大賞長編賞佳作。
2002年『傀儡后』で第23回日本SF大賞受賞。
著書は『死んだ女は歩かない1~3』『晩年計画がはじまりました』『大正二十九年の乙女たち』など。