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【竹内博氏追悼エッセイ】「竹内博さんと古本の思い出」北原尚彦

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 竹内博さんの業績には、昔から触れていた。特撮関係では、後から考えると「あれもこれも、竹内さんが書いていたのか!」というものが多かった。
 直接お会いしたのは、おそらく一九九五年のことだと思う。一九九四年から〈SFマガジン〉に執筆するようになっていたわたしは、その翌年、横田順彌さんに誘われて日本古典SF研究会(以下「古典研」と略)に入会し、例会に顔を出すようになったのだ。
 竹内さんは、特撮研究の第一人者であると同時に、『ゴジラ』の原作者である香山滋研究の第一人者でもあった。そのため古典研に籍を置いて、会報〈未来趣味〉にも執筆しておられた。
 例会にもまめに出席なさり、浅学なわたしともきさくに話をして下さった。この例会は隔月で開催されているのだが、その後、他の場所でも竹内さんにちょくちょくお会いするようになった。古書即売会である。

【竹内博氏追悼エッセイ】「竹内君の思い出」井口健二

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 怪獣映画研究の第1人者であり、個人的には長く友人として付き合わせて貰った竹内博君が亡くなった。2年ほど前から入院して病気はその後も進行したのだろうが、一昨年12月に会ったのが彼の顔を見た最後だった。
 互いに故大伴昌司氏の弟子という立場だった彼と僕だったが、実は大伴氏の生前は顔を会わせたことはなく、初対面は氏の告別式の時だったと思う。突然少年が僕の前に現れて挨拶をされたが、思えば彼はまだ10代半ばの頃で、その割には礼儀正しく丁寧な挨拶だった記憶がある。
 ただし大伴氏からは生前に一度だけ、「井口君は怪獣に余り興味が無いようだから、そちらの方面をやってくれる若い人に手伝って貰うことにした」という話を聞かされたことがあり、多分それが彼のことだったのだろう。
 そんな彼は大伴氏の伝もあって円谷プロに入り怪獣作品のプランナーとしても活躍して行くことになるが、現実的には大伴氏という後ろ楯もなしにそれを行った彼の努力も計り知れないものだ。

【竹内博氏追悼エッセイ】「竹内博 ― 怪獣少年とゴジラ」藤元登四郎

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 謹んで竹内博先生のご霊前に哀悼の意を表します。私は、竹内博先生と直接の関係はありませんでしたが、先生のご著書の愛読者で、偉大なご業績を尊敬しております。

香山滋全集
 私が竹内博(敬称略)を知ったのは、香山滋全集(全14巻、別巻1)(1)の責任編集者としてであった。竹内は、この全集について、「スタートしてから五年かかって、体がもつかどうか心配したが、なんとか無事に完成にこぎつけた」と書いている。この全集は、彼の努力なしには日の目を見ることはなかっただろう。

【竹内博氏追悼エッセイ】「竹内博さんとの出逢いと第2回SFショーが自分の原点だった」氷川竜介(アニメ評論家)

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 2011年6月27日に、竹内博さんが亡くなった。ゴジラやウルトラマンなど怪獣映画を再評価し、円谷英二ら特撮の基礎を築いたクリエイターに関する研究を生涯貫いた大先輩であり、大事な師匠である。激しい喪失感にとらわれた。
 竹内博さんはビジュアル文化の旗手・大伴昌司さんの弟子である。しかし、大伴さんと竹内さんのアプローチはすこし違っていた。
 少年マガジンの巻頭特集や怪獣の内部図解に見られるように、大伴さんはフィルムのなかにある世界をメディアなりに料理して、その地続き感を拡大してイラストなどを駆使していた。講釈師というか、ある意味、現実を過大にプロデュースすることで生じる幻惑感みたいなものを子どもに伝える役割をはたしてきたと思う。
 一方の竹内さんは、フィルムを人の手がつくりあげた作品であることをとても大切にしていた。資料主義であり、写真や雑誌記事など実物のもつパワーを信奉していた。そしてリスト魔でもあった。現実に存在する混沌とした情報を整理することで、新たに見えてくる高次の流れをつかむという点では、学究肌であった。

【竹内博氏追悼エッセイ】「戦友竹内博君との思いで」西脇博光

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 私と竹内博君との付き合いは一体何年になったんだろう。
 彼と始めての出会いは、昭和47年、大学一年生で、同じクラスにいた安井尚志君(特撮映画・テレビ評論編集者)の紹介で六本木に円谷プロダクションの事務所があり、当時小学館より刊行された円谷一編著「円谷英二・日本映画界に残した遺産」を受取に行った時であった。
 その後祖師ケ谷大蔵にある円谷プロダクションに竹内君が移り、毎週日曜日特撮ファンが集まるようになり、彼の提唱のもと「怪獣倶楽部」の同人誌を発行するに至り、私も音楽評論文を書くようになった。
 私が、会社勤めをしながら、LP「ゴジラ」を始め様々なレコードの構成を担当させてもらったのも全て彼の勧めによるものである。

【竹内博氏追悼エッセイ】「竹内博さんの意外な一面」難波弘之

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 突然の竹内博さんの訃報は、かなりショックでした。

 もう十年ほど前のことですが、「実は僕、隠れ香山滋ファンで、全集も持ってます」と、あるパーティの席上で告白したら、あのシャイな感じのままでしたが、嬉しそうに相好を崩されて、「一度うちに遊びにいらっしゃい」と言って下さいましたので、これを真に受けて図々しくも本当に押し掛けました。
 その時は東北沢の駅まで出迎えて下さり、井の頭通り沿いのアパートへ案内されました。

 他の本はご実家に置いてあるそうで、ほとんど香山滋の本しかありませんでしたが、ジュブナイルに至るまで、本当に状態の良いコレクションが整然と並べられ、しばし色々手に取って拝見させて頂きました。

 「難波さんはどの作品が一番お好きですか?」と訊かれ、迷わず「『地球喪失』です」と答えると、「ああ、あれはこうですねああですね」と、実に的確なお話が返って来ました。