タグ: 荒巻義雄

「エゾコンのころ」荒巻義雄

(PDFバージョン:ezokonnnokoro_aramakiyosio
 夕張は、北海道では二度目のSF大会となります。
 イスカーチュリが主体となったエゾコンは、1973年8月2日ですから、約40年前です。支笏湖対岸のホテルを借り切って行いました。
 しかし、たしか千歳空港が天候不良で、来れなかった人も大勢いたはずです。
 当時のメンバーのうち、波津博明さんはその後、東大から読売新聞を経て、現在は大学教授です。三浦祐嗣さんは北大から北海道新聞に入社、今では編集局文化部長です。朝松健さんは国書刊行会を経てSF作家となった。
 やはり、若くしてSFフアンになった人たちは、当時から、どこかちがっていました。

「し み」荒巻義雄(魚澄昇太郎:名義)

(PDFバージョン:simi_aramakiyosio
 恐らく信じやしまいね。
 近ごろ、長雨がつづいているだろう。てっきりしみだとばかり思っていたよ。そう、丁度その辺だね、壁紙がちょっとばかり破れているあたりだよ。
 その晩、俺は例によって無電機(原文ママ)いじくっていたな。これだけが俺の道楽、ちゃんと、ハムの免許は持っているよ。
 いきなり、そいつのつぶやきが聴こえてきたんで、俺はびっくりしたね。

【小松左京氏追悼エッセイ】「小松左京の遺産を『継ぐのはだれか』」荒巻義雄

(PDFバージョン:komatusakyounoisannwotugunohadareka_aramakiyosio
 1 頼れる巨樹
 小松左京を巨樹に例えて書いたことがある。後発作家の偽らざる小松観だが、巨樹は多くの小鳥に巣を与え、足元に日陰をつくる。だが、年齢差のある人たちは十分に恩恵を享受すればいいが、年齢が近いと幹に近づきすぎて日陰になり、自分が大きく育たないという不安を抱いてしまう。
 私は小松さんからご指名をいただき、一九八四年に、『空から墜ちてきた歴史』(新潮文庫)の解説を書かせていただいたが、上記のような感想を率直に書いた。敬愛と畏怖のアンビバレンツが私の小松左京観である。
 もとより小松左京がいたからこそ、日本のSFは今日の地位を築けたのだと思う。創生の時代から福島・柴野時代まで、初期の日本SF界は外部から多くの批判を浴びせられたが、われわれは小松ブルトーザーを先頭にして戦ってこられたのだ。

アラマキ ヨシオ

荒巻義雄(あらまき よしお)
1933年小樽市に生まれる。早稲田大学で心理学を学んだ後、北海学園大学(短大部)で土木・建築学を修める。SF同人誌「CORE」を主宰(後半)。評論「術の小説論―私のハインライン論」、短編「大いなる正午」をSFマガジンに発表し、作家・評論家としてデビュー。現在、北海道で作家活動を続けるかたわら、札幌時計台ギャラリーのオーナーとしても活躍中。

主な著書:小説「神聖代」「時の葦舟」「白き日旅立てば不死」「ファウスト時代」「宇宙25時」「柔らかい時計」「ビッグ・ウォーズ」「ニセコ要塞 1986」「紺碧の艦隊」「旭日の艦隊」「旭日の海戦―日露戦争の地政学」「火星のアトランティス」「ロマノフ帝国の野望―日本征服戦争」、評論「シミュレーション小説の発見」など単行本約175冊。