(PDFバージョン:suugakugiraino_yatagaikazuo)
夏休みの午前。カレンダーの8月の日付は、もう残り少ない。
庭木からは、ツクツクボウシの鳴き声がしきりに聞こえてくる。
サッシの向こうで、ぎらぎら照らす太陽。
クーラーから送られる冷風に揺れる風鈴。
机代わりのお膳の上には、切った西瓜を並べた皿。
そして……夏休みの宿題。
この日は朝から、数学のドリルに取り組んでいるのである。
……出来ない。
難しすぎる。そもそも、何を言いたいのか全然分からないのだ。
複素数。二次方程式。ベクトル。サイン、コサイン、タンジェント……。
ぼくの両親は理系の研究者。ここは大学の教員住宅だというのに、自分にはなぜか、その方面の資質は遺伝しなかったよう、なのだ。
冷房は効いているはずなのに、脂汗が出てくる。
そのとき、お膳の上のスマホが震え、かたかた鳴った。
メッセージの着信があった。
イタルへ。まなもです。いまから遊びに行っていい?
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「見守り」谷田貝 和男
(PDFバージョン:mimamori_yatagaikazuo)
「ごめんなさい。もう悪いことはしないよ。これからはおばあさんのお手伝いをするから、ゆるしてよ」
たぬきはおじいさん、おばあさん、そしてうさぎにあやまったので、うさぎはたぬきを助けてあげました。
心を入れかえたたぬきは、おばあさんのてつだいをしてくらしたそうです。めでたし、めでたし。
ぼくの読んだことのある民話『かちかち山』は、こんな終わり方になっている。
しかし、本当の結末は違うことを、大きくなってから知ることになった。おばあさんは鍋で煮られ、その報いとしてたぬきは泥船に乗せられ、船が溶けておぼれ死ぬのだ、という。
「年齢指定により適切な描写に変更されております」
それは、電子書籍タブレットに表示された「絵本」の巻末に記されていた文句だが、幼い頃はまだ、その意味が分からなかった。
オリジナルのラストは子供に読ませるには残酷すぎる、ということらしい。
だからぼくは、『かちかち山』の本当のラストを読んだことがない。
「まわる」谷田貝和男
(PDFバージョン:mawaru_yatagaikazuo)
「すごい」
月の裏側にある観測拠点。
探査機から送られてくる観測結果を見て、天文学者の周は管制室で思わず感嘆の声を上げた。
「こんなに間近に、中性子星が見られるとは……」
「まったくだな。生きているうちにこんなことがあるとは、思わなかった」
「テンジンさんですね。ようこそお越しくださいました」
声をかけながら入ってきた老人に、周は最敬礼した。
テンジンは北京に本社を持つ世界的企業のCEOで、この世界では伝説の人物である。少数民族の出身ながら会社を世界トップに押し上げた技術の開発者であり、そして、本プロジェクトを推進しているリーダーでもあるのだ。
りゅう座方向に見つかったこの星が、太陽系からわずか250天文単位の距離まで接近してフライバイすることが分かったのは、数ヶ月前のことだった。
ヤタガイ カズオ
谷田貝和男(ヤタガイ カズオ)
1969年東京生まれ。法政大学文学部卒。2014年、「まわる」で第一回日経「星新一賞」入選。
共著書に『ノストラダまス 予言書新解釈』(1997年 彩文館出版刊 頭脳組合名義)がある。
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