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「猪風来(いふうらい)――縄文の鼓動」関 竜司

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 2017年8月11日、筆者は岡山県新見市法曽にある猪風来美術館を訪れた。縄文アーティスト・猪風来(いふうらい)の土器彫刻(「縄文スパイラルアート」)を見るためだ。
 青年時代、縄文土器の破片に感動し、縄文土器の復元に熱中した猪風来は1986年、北海道石狩に居を移し、本格的な創作縄文土器、土偶の制作をはじめる。以降、国内外で精力的に活動し、数多くのギャラリー・展覧会に招かれ、高い評価を獲得し、特に近年ではNHKの番組でハート型土偶や遮光器土偶を再現し、一躍脚光をあびた。(現在、縄文人のやり方で、縄文土器が焼けるのは猪風来ただ一人だ)。2005年、岡山県新見に猪風来美術館を開館したのを機に岡山に活動の拠点を移し、現在も多産な活動を続けている。
 猪風来はいう。
「文明都市に寄生している現代芸術は、力を失いつつある。閉塞した現代芸術シーンに豊饒なる魂のデザインが復活する。それが『縄文スパイラル』である」

「横溝正史をあるく」関 竜司(作・写真)

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 岡山県倉敷市の北部に真備町(まびちょう)という地区がある。岡山県在住の筆者は、探偵小説家・横溝正史の足跡をたずねて真備町岡田周辺を散策した。田園風景の広がるのどかな町だ。
 昭和二十年三月、疎開先の真備に向かっていた横溝正史は、青酸カリを持参していた。当時、探偵小説は都会のもので、疎開のため都会から離れた自分は死ぬしかないと思っていたからだ。
 ところが真備についた横溝一家は、思わぬ歓待を受ける。神戸に生まれ東京で育った都会人の横溝は、最初これには何か裏があるのではないかと疑っていた。しかしそれが偽りのない真心によるものだと気づくと、真備の人々と積極的に交流をもつようになった。特に加藤一(ひとし)、藤田医師、石川淳一氏との交流は、その後の横溝の人生に大きな影響を与えることになる。
 加藤、藤田、石川氏は、夜な夜な横溝宅を訪れ、横溝と怪談話に華を咲かせていた。都会育ちの横溝は三氏の話を聞きながら、田舎の習俗やしきたり、人間関係を学んだ。『八つ墓村』に代表される日本の田舎を舞台にした探偵小説は、まさに真備の人々との交流から生まれたものだったのだ。

「片山真理展 セルフポートレートとオブジェ」関 竜司

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1・片山真理と人形的身体

 義足のアーティスト・片山真理は、日常生活に自身の人形的身体を溶け込ませるセルフポートレイト(自撮り写真)で有名だ。瀬戸内国際芸術祭(2016)の際にとられた夕焼けをバックに凛と立っているポートレイトは、背景の赤と被写体の黒が対照的な秀作だ(図1:片山真理「bystander」(第三回瀬戸内国際芸術祭)(2016))。2016年11月25日、筆者は岡山ルネスホール(金庫棟ギャラリー)で開かれた「片山真理展 セルフポートレートとオブジェ」を訪れた。初期の作品から全部出しという触れ込みにも興味がわいた。
 私たちは普段、自分の身体を機械的なもの・物質的なものと思っていない。むしろ感覚的・感情的・精神的なものと思っている。それらを統合したのが「人間的」とよばれる感覚だ。健常者である私たちが身障者をみて違和感を感じるのは、自身の身体が実は物質であることに否応なく気づいてしまうからだ。
 しかし、と片山のポートレイトは問いかける。身障者の身体と健常者の身体に差異などあるのだろうか。むしろ社会の中で私たちは多かれ少なかれ、何がしかの役割を演じて生きている。そのことを考えれば、私たちは人形として――ロボットにできないことをするロボットとして――生きているに過ぎないのではないか。日常生活の中にスタイリッシュに差し込まれた片山の人形的身体は、そのことをごく自然に自覚させる。
「義足している私ってかわいいでしょ? 女の子なんだから自分をかわいく見せるのは当たり前!」と、写真の中の片山は言い切っている。そしてその姿は確かにかわいいし、かっこいいのだ。

「音の島――豊島(てしま)」関 竜司

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 1・クリスチャン・ボルタンスキーと会う

 2016年8月12日、筆者は香川県と岡山県の中間に浮かぶ「豊島」(てしま)を訪れた。クリスチャン・ボルタンスキーの新しいインスタレーションを見るためだ。
 クリスチャン・ボルタンスキーは、現代を代表するアーティストだ。現代最高のアーティストと言ってもいいかもしれない。
 ボルタンスキーは古着を使ったアートで知られる。大量に購入した古着を天井からつるし、鑑賞者に提示(インスタレーション)するのだ。既製品とは違い、古着にはそれをきた人間の「形」が刻印される。ちょうど新しく買ってきた靴が、履きなれることで自分の足の形に合うようにだ。
 こうした既製の服に刻印された人間の姿・形を大量に見ることで、鑑賞者は自分たちが既製の生の中で生きていることに気づく。と同時に、ナマのままの生がいかにおぞましいものかにも気づかされる。ボルタンスキーの作品は、常に合理的なものと不合理なもの、科学技術と生身の身体、生と死の間を浮遊する。
「わたしが常に関心をもっているのは、『disparition(消滅、消去、死)』であり、それは一貫して変わりません。わたしの作品は、人間と直接かかわるもの。人間の『魂』の神秘性のシンボルなのです」(ボルタンスキー)

「usaginingen――寓話としての生」関 竜司

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 usaginingenは、2010年から活動を続けている映像・音楽パフォーマンス・ユニットだ。2014年にはReykjavik Visual Music Punto y Raya Festival (アイスランド)のライブシネマ部門でグランプリを受賞している。
 昨年まではベルリンで活動していたが、現在は岡山と香川の中間にうかぶアートの島、豊島(てしま)に活動の拠点を移している。

セキ リュウジ

関竜司(せきりゅうじ)
1976年生まれ。第六回日本SF評論賞(優秀賞)受賞。
(玲音の予感:『serial experiments lain』の描く未来)
専門は美学・芸術学。博士(芸術学)。

「屋根の上の馬頭琴弾き――クグルシンとネルグイ――」関 竜司

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 2016年1月31日、岡山県総社市・スタジオ・ザ・ブーンで「遊牧の民の調べ」と題するドンブラと馬頭琴のコンサートが行われた。
 ドンブラとは、カザフ民族を代表する楽器で、二本の弦からなるギターのような楽器だ。リヤス・クグルシンは、ドンブラの第一人者でモンゴル政府から第一文化功労者勲章を授与されている。
 クグルシンは「二人で」という曲の弾き語りをはじめた。朗々とした歌声が、会場内に響く。解説の西村幹也氏によると、この曲はモンゴルではよく知られた曲で、本来ならクグルシンが歌ったあと、その場にいる全員が、それに続けて即興で歌わなければいけないものであるらしい。西村氏はドンブラ奏者の演奏にあわせて、家族全員が歌っていく光景をみてモンゴル・カザフ民族の文化レベルの高さに感動したという。(恐らくわが国の連歌や歌垣も、このようなものであったろう)。
 ただし一度うたわれた歌は忘れられ、二度と歌われることはない。記録には残さないけれども、常に新しいものを作ることができる。それがモンゴルやカザフの遊牧文化なのだ。